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2006年5月 7日 (日)

押手が甘い!!

ただ今、本屋さんは本棚を作っています。何でも作れる手であるのは、鍼灸師として見ても機能面で優れているのではなかろうか・・・。巨鍼(太さ0,8粍、長さ30cm〜1mの究極の特殊鍼)もあっと言う間に作っちゃうし。  (巨鍼については、新城三六先生の『究極の特殊鍼』(かんぽう発行)に使用法、制作方法が載っています) 名言:「作れるから刺せるんや!!」。新城先生もずっと鍼は手作りされていて、若い頃から中国鍼の針尖も研いでいたので、「指先にちょんちょんと針尖を当てただけで状態が分かる」と、そういえば話されてました。

本屋さんは鍼灸学校のパンフレットに掲載されている写真などを見ては、「押手が甘いんだよなぁ」とよく呟かれています。確かにいわれてみてみてみると、満月とか半月とか言葉だけ知っていても意味が分からずやっている先生は少なくないし、「氣が漏れる!」とかいう割には隙間空いてるじゃん、って押手も少なくなくって…まあ長野先生の手を基準に「甘い」って言われてもちょっと一般鍼灸師には厳しいかも……でもそうした手を作るのがプロってもんじゃぁ?

「押手が甘いんだよなぁ」の発言の背景には、痛くなく指すことは大前提で、このレベルの方法論ではなく、患者さんに与える《安心感》を念頭におっしゃっている気がします。

ワタシは母校で3年生の鍼灸実技助手をしていますが、まだ安定していない押手をよく見かけます。大抵、押手の存在は頭になく、刺鍼動作(捻鍼)の利き手のみに意識が集中しています。本人の取り組みが甘い!というよりも、「上下圧・左右圧・固定圧」という言葉だけの教えで、実際にどうするのかということの教えをきっちり受けていないんだろうと思います。自分も適当に作っていた押手に、この一月で随分注目させてもらう、よい機会になりました。

先生方は教えているかもしれませんが、ワタシの場合に限っては、耳から入って実地に役立つものとして頭に残ったのは唯一、長野先生(+お髭の忍者)のお話でした。要は、説明の上手さ、話の伝え方の上手さと鍼灸実技の上手さはイコールではないというのが教育現場の盲点であります。要点をキチンと伝えるというのは、一つの能力です。高いセンスを必要とシマスデス。

因みに、鍼灸学校の図書館には入っていない(入れてもらえない:笑)例の雑誌『新日本鍼灸楽会草紙』のP17に、押手のヒントが書いてあります。この雑誌は、《使い込み暴露》の点しか目に行かない先生方が多くて、びっくりです。この辺りは業界を知るヨミモノとして面白いですが、まじめな部分が大半でして、ワタシ的には宝の山ですけどねぇ。そういえば伝統鍼灸学会の御偉方が今年の国家試験で「未病治の医学」とかいう言葉が出たのにクレームを付ける(古典的には「治未病」だから)という話もあったようですが、この事だってこの『新日本鍼灸楽会草紙』には先読みで書いてあるし、だいたい伝統鍼灸学会の前のパンフにだって何度も「未病治」って書いてあるんだって(笑)。本当に、ポリシー持ってこだわってるのかなぁ・・・。

先日、捻鍼の入らない学生さんが「不器用な上に、手が硬くって」と恥ずかしそうに、手の練習法を聞きに来ました。練習をすれば、今よりは確実に動くようになります。進む速さと到達点は人それぞれでしょうけど、絶対に今日よりは来年の方が進化しているのであります。その為の長野先生の「これで鍼がうまくなる」所謂「唯掌論」システムなのであります。

こんなにキチンとシステム化できているのがありながら、それを使わない手はないんじゃないかと、ワタシなんかは思うのですが。自分の腿を3千回なでるとかやっている間に、散鍼ができるようになりますからねぇ。人生限られた時間です。早く行ける所は、方法論を使って早く行きたいなぁと、絶対的エネルギー不足の虚証のワタシは考えてしまいます。

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