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2006年6月 7日 (水)

6月3日 寄金講義 in京都 感想

お知らせ致しましたとおり、先週末に京都で行われました。参加者は関西を中心とした学生さん達でありましたが、東京からも数名参加していましたね。

1年生が多かったようでして、自分の置かれている境遇の寒さに《気付き》が訪れたようです。鍼灸学校は優・良・可で分けた場合、優はなくて、良もなくて(えぇ~)、不可のみであると、本屋さんもシュガイザー先生もよく仰います。ワタシはその意味が最初は分からずにおりまひたが、鍼灸学校っていうのはカルチャースクールに毛の生えたもの的なものなんだと最近は思うようになりました。500万も払ってねぇ。……某新設校なんて、ホームページに《ベンチャー企業》と自らを謳っています。医療がベンチャー企業でいいのでしょうかねぇ。 そういうのとの比較で、伝統校は「うちは違う」と胸を張りますが、やはりせいぜい「可」なんですね。優には行かないんです。だって、伝統って言っても、所詮昭和からです。伝統って言うなら、日本鍼灸1500年をしっかり継承しているのかっていう突っ込みを自分達で課さなきゃねぇ。それを課しているオタクをワタシは知っているだけに、知らない方(特に学生)を不憫に思います。このオタクが学校カリキュラムを作ったら素晴らしい3年間になるでしょうね。でも、厚生省が決めたカリキュラムが悪すぎてどうにもならんと先生方は言い訳されます。そんなの先生の力量次第で実際の授業時間はなんだってやれるだろうと思うのですけど・・・。

実はワタシはこういうことを卒業するときに言ってみました(めでたく来年からは検閲がかかるカモ)。会場は一瞬凍りましたようです。司会の方も滞り(まさに気滞に満ちた空間)の手助けをする素敵な間を作ってくださいました。式場を後にする時には「苦言をどうも」と苦々しく言っておられた校長も、新入生の入学式後の職員会議では「素晴らしい教育論」と意見が変わったそうです。因みに校長の卒業お祝いの辞では、「職にキセンの別はない」というものでした。この詞を聞くたびにワタシは「職業に貴賎はない、韓国だけにキーセンあり」という本屋さんのブラックなギャグを思い出してしまいます。ちなみに「苦言」が「教育論」にすげ替えられた、その職員会議ではワタシの悪口も展開されたそうですが、ちょっと、濡れ衣を着せられた感があったので、この場をお借りして弁解しておきます(笑)。そんな事書いてると「校長先生に『セクハラ上手・生き方上手』って本書いてもらえ」って前から言ってる本屋さんがまたなんか言い出しそうですけど、さすがにそれが不可能な事くらいはワタシは分かります。ワタシが分からないのは「部落問題」と「ハタヨーガ」です。※数名爆笑しているでしょう・・・・。

とにかく鍼灸学校というのは、非常にぬるい企業です。ユーザーは学生。95%以上は3年まで居るんだから、入学しちゃえばそれでよし。1年目は何にも分からないから、どんな内容だって全然文句は出ない。2年目から色々と外を見るようになり、だんだんと目が肥えてきて、学校って?? と思い始める。しかし、3年目で《国試》という迫り来る2月問題にすり返られて、本来の職業訓練校という側面をぼやかす作戦は成功する。なので、ところてん式に出て行く学生の言い分は汲み上げられることも無く、ぬる~く改革してます風を漂わせて毎年度をやり過ごしていく。

もちろん、一生懸命やっておられる先生もいらっしゃいます。そうした先生方はそれなりに実力もあって、尊敬出来る部分もありますし、自分が行き着いた所を学生に伝えようと自分の言葉で喋って下さいます。鍼灸というのは《俺流》でこその面があり、それは到達点として本人的には良いのですが、素人を育てることにおいては間違っているのでは?と思えてなりません。自分の経験から「これをすれば良い。俺の言うことをやるだけでよい」と言った押し付けを教育と履き違え、神さまというか、イヌのリーダー的存在である自分をアピールします。そういう先輩も結構居ますねぇ。ワンワン。

シュガイザー先生や本屋さんがこうした方達と一線を介するのは、「自分でやれ」と現実を見させることです。「変わりに練習してあげられないからねぇ、こればっかりは」ともよく仰います。「いい先生もいるけど、その個人個人の俺派の用語翻訳から始めなくちゃイケナイのはとても大変!」と本屋さんはよく言ってます。だからこそ、方法論を公開するわけです。やれる人はやればいい。手にしたい人は手に出来るというシンプルだけど、甘くない世界です。だから、山のようにある本も貸してくれない(くれることはあるけど)。「自分の手元になくてどうすんの?」と問いかけられます。そうですね・・・。シュガイザー先生達に入れ込んでいる某鍼灸学校2年生は昨年の本代が40万だったそうです。これは、この生徒の通っている学校図書室の予算額(30万)を超えています(笑)。さっきも本屋さんは数十冊の本を抱えて帰ってきました。

思うんですけど、和方鍼灸友の会ほどお金が無い会ってあるのかなぁ。年会費もとってないし、入会金1万円のみだし、それは通信費とかコピー代、葉書代やらに消えていくので、多賀フォーも講師謝礼とか神社に払うお金とかで毎年足が出てます。「僕らの趣味だからいいんだ」と言っています。援助を申し入れてくれた先生もいたようなんですが、断っちゃったみたいです。まあ、古書を買い漁るのは、シュガイザー先生、本屋さんの自腹ですが、これを支える収入ははっきり言ってありません。シュガイザー先生の講演会の参加費だって、一回分の請求書にもなりません。次々にくる請求書に「ながのく~ん」と頭を抱える本屋さん。今も机の上に某古書店の41万円の請求書が……

毎週届くこれらの本を栄養に、新しい説がオタクの脳みそから生まれ出て、その恩恵に預かるわけですから、我々の支払ったお金は形を変えて戻ってくる方式だと思います。某学会(遮断法人?)のように、プール金を自宅の購入費に当てちゃったりできる素晴らしい個人的資産流用制度があるわけじゃないですし(笑)。そういえば六然社の新刊書に『茶番呆人 新日本鍼灸楽会草紙』の広告が載っていて、そこには「実態の隠匿と言論の弾圧を目論む㈳全日本鍼灸学会が関係諸団体に販売自粛願いの回状を何度も回した業界で話題の禁書(ビニール本)」としっかり書いてありまぴた。

そうそう、今回の講義は「奇経八脈」がタイトルでした。ですけど、いつもの通り奇経の話をしたのはほんの一瞬。図を書いただけ(笑)。でもその図は人体における奇経のあり方を一瞬で理解させるもので、なーんだっ奇経ってこう考えとけば使えるじゃんと臨床的にも応用の効く内容でした。実際に随分前にワタシは聞いていまして、試してみましたが本当に効くんですねぇ。明らかに。だけど、後から考えてみたら、気口九道の脉の話も小周天の話も易の話も馬丹陽の話も全真教の話も金庸の話も李世珍先生の鳳凰の眼龍の眼の話も竜虎の話もみんな李時珍の奇経八脈考の話と繋がりはあるんですねえ。「パチスロと北斗の拳と散針と」っていうのは本屋さんの三題噺で定着した感がありますが、ワタシも遅ればせながら『北斗の拳』を読み始めまぴたですよ。奈良の治療所で出会いました(笑)。結構面白いんで、近いうちに仕事をサボって近所のマン喫に行って読破してこようと思ってまぷ。

さっき、事務所にきた鍼灸学校の1年生は「時間がない人ほど、お金を掛けないと」と自分のポリシーを言っていました。「この人わかってるのねえ」と、また次回会うのが楽しみになった方でした。京都でもこういう種族に結構出会います。そういった出会いが楽しみでもあるのでした。まあ本屋さんは「みんな騙されてんだ」っておっしゃいますけどね。

講義の詳細記録は 《学生交流会のささやき》  というブログをご覧下さい。ワタシは省略(笑)。

★★★なお、六然社の本は、 こちらこちらの書店ウェブサイトから購入出来ます★★★

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