多賀大社フォーラム’06 ご案内速報《講演内容》
続きまして、代表小間使い(長野仁)からのメッセージです。ブログなので、簡易バージョンにしようと思ったのですが、削除する場所が見当たらない・・・・。なので、全文掲載です!
-和方鍼灸友の会-
多賀大社フォーラム ’06
ご あ い さ つ
早いもので、「和方鍼灸友の会」の一大イベント、「多賀大社フォーラム」も3回目を迎えますが、最初に残念なお知らせをしなければなりません。本年1月、当フォーラムの後援を快諾下さり、絶大なる協力を惜しまれなかった藤村滋権宮司がご逝去されました。多賀大社の生き字引的存在だった権宮司との永遠のお別れがこんなにも早いとは、誰に予想できたでしょうか。会を代表して、心よりご冥福をお祈りいたします。多賀法印慰霊の折、一同で黙祷し哀悼を捧げる所存です。
◎「茶番呆人」再演
さて、当初は会員100名を目標とし、50~80名で推移するものと考えておりましたが、すでに250名を超えたようで、主宰(代表小間使い)としての責務を痛感するようになりました。参加費割引などの優遇に吊られて、何となく「和方鍼灸友の会」に入ることになってしまった方(特に学生諸氏)もいらっしゃるのではないかと想像するに及び、過去2回は空白だった土曜の午前中に、第53回全日本鍼灸学会学術大会における狂育講演「はりをたて やいとをすえる いやしとくらし ―ひらがな日本鍼灸史― 」を再演してみることにいたしました。講演の全容はパロディ本『新日本鍼灸楽会草紙』に掲載されている訳ですが、ライブだと、私が何を考え、何をしようとしているのかが、ダイレクトに伝えられると思ったからです。「何となく」状態を明確な動機へとシフトさせられたなら、責任の一端は免れたことになるでしょう。人間の所業ですから全く同じという訳にはいかないでしょうが、バージョンアップしていることは間違いありませんし、せっかく朝っぱらからボランティアするのですから、入会間もない方だけでなく、大勢のご参加を切望する次第です。ちなみに、現存唯一のシュガイザー・パーツのヘルメットも持っていきます!
◎9月2日 会員限定
私のプレステージのあと、いよいよ本戦突入となります。トップバッターは、斯界の重鎮・昆健一郎先生にお願いいたしました。目下、六然社は昆先生の著作集(仮題:『伝統鍼灸神髄』)を刊行すべく準備を進めております。現時点では、ギリギリ間に合うか間に合わないかの瀬戸際らしいですが、それはともかく、研究家・教育家として、さらには臨床家として、関西(鍼灸は西高東低ですから関西は地方ではなく日本のメッカということになります)の大舞台で20世紀の鍼灸界を牽引されてきた先生の業績は圧巻であり、私たち後学へ向けての熱いメッセージを、基調講演として拝聴いたします。
つぐ実技編は、進化しつづける鍼聖・新城三六先生が、刻苦勉励の果てに編み出した四診法の新境地、「眼診」と「胸診」を開陳して頂きます。「眼診」とは、『診断革命』(六然社)で展開した「虹彩(黒目)分析」と、新たに開拓した「強膜(白目)分析」の総称で、強膜分析は欧米で流布している「スクレオロジー(強膜診)」の誤謬を正して余りあるばかりか、虹彩分析をさらに的確なものとする望診(視診)法です。虹彩分析を正経になぞらえるなら、強膜分析は奇経にたとえられます。「正経を熟知せずんば、奇経を掌握するに及ばす」、参加者各位、虹彩分析を心して復習すべし。いっぽう「胸診」はというと、七星論を前提に考案された、両手の寸口脈診を陵駕する、胸骨と胸椎の切診(圧診)法です。強膜分析とリンクした時、即効新城理論の信憑性・確実性はさらに向上します。過労の余り、突発性難聴の予備軍となってしまった私自身、両診法で裏打ちされた巨鍼と七星鍼法によって発作状態を回避できている次第です。
初日の取りは、昭和鍼灸の巨匠・井上恵理師の高弟で、散鍼法の第一人者である南谷旺伯先生に飾っていただきます。先生に親炙していただくようになってから10年近くなろうかと思いますが、ようやく実技公開に漕ぎつけました。先生には、鍼の持ち方と運び方、ツボの取り方、押手の当て方など、井上恵理師直伝の基本中の基本をご教授下さるようお願いしてあります。学生諸君のみならず、ベテランの臨床家にとっても裨益するところ絶大であると確信いたします。私自身、「唯掌論」の軌道修正を迫られるのではないかと、今からビクビクかつワクワクしている次第です。南谷先生には、ぜひ『散ずる鍼を尋ねて』を上梓していただけるよう切望いたします。もちろん六然社から。
◎9月3日 会員・一般とも
前回は、「近代日本の隠秘学と鍼灸」と題して、霊術・療術と鍼灸の関わりを、石原克己・横山浩之・久米建寿・吉永進一・正木晃各先生に、それぞれの専門から解きほぐしていただき、霊術・霊術家は単なるオカルト・オカルティストの一言で拒絶・排斥しえないほど、鍼灸術・鍼灸師と根底の部分で繋がっていることを思い知らされました。
認識を新たにした瞬間から霊術書・療術書ハンターに豹変した私は、吉永先生をして「素人がそんなに集めちゃイカン!」と言わしめるほどのコレクションを築き上げてしまいましたが、貴重文献の多くは吉永先生に有効活用していただいております。前回の直後、『日本人の心・身・霊』全15巻(クレス出版)に引き続き、『催眠術の黎明』全7巻(同)を編纂された先生には、最新の研究成果である近代日本における催眠術史を概括していただく予定です。私のように、「催眠術」と聞くと興味本位なテレビ番組の格好のネタといった程度の認識しか持ち得ない方も多いでしょうが、宗教学・社会学的の俎上に乗せれば、日本の近代化とは何だったのか、日本人の心性に何が横たわっているのかが垣間見られる訳です。
明治大正期における近代化の文脈を、「催眠術」というフィルターを通して俯瞰した後は、医史学的な指定発言が3題続きます。第1は、昨年の「霊術に関わった鍼灸家」の列伝が好評を博した、横山浩之先生による「近代化の中の鍼灸界」について。前回よりも広角レンズで明治維新以降の鍼灸界を一望してもらいます。催眠術と鍼灸の意外な関わりも顏を覗かせます。注意しておきたいのは、「近代化」イコール「科学化」ではなく、今に繋がる「古典主義」も「近代化」の産物だということです。
第2は、多賀フォー初参戦(K1みたい!)の大浦慈観先生による「杉山流と杉山真伝流」について。今や両流派研究の第一人者となった大浦先生には、『秘傳・杉山眞傳流』覆刻本(桜雲会)、『表之巻』『中之巻』訓読本の経緯から、系譜・管鍼・刺手・押手・腹診・医案の最新の研究まで、縦横無尽に語って頂きます。近世に誕生した管鍼法は、近代化の中で刺鍼法の主流となり今日に到っている訳ですが、その体系化を図った『杉山真伝流』の緻密な読解から、管鍼法の持つ技術的・思想的な本質が浮き彫りにされることでしょう。
第3は、多賀フォーの原点回帰です。そもそも当フォーラムの会場が多賀大社となったのは、私が院生時代から多賀法印流の研究を進めていたことに端を発します。ではなぜ多賀法印流なのかといえば、打鍼法の開祖「ムブン」を多賀法印流とする古記録があり、真相を明らかにするためでした。当然まず一次資料の収集から着手し、その一環で本家本元の多賀大社にアポなしで押しかけたのですが、無礼きわまりない私を温かく迎え入れて下さったのが藤村権宮司だったのです。権宮司と意気投合してから急速に「ご縁」の回路が繋がり、次々と発見した流儀書を『多賀法印流医書集成』(和方鍼灸友の会)に編集、何とフォーラムの直前には宗与法印の肖像画が手中に収まりました。今回は記念品に『医書集成』第3集だけでなく、多賀法印流・多賀大社ゆかりの絵はがきセットを加えましたので、参加費が1000円アップになってしまったことご了承下さい。多賀法印流は打鍼法を用い、大浦先生によれば管鍼は打鍼の色濃い影響下に形成されているとのこと、中世末期から近世初頭に打鍼が風靡した理由、腹診と打鍼の関係などを考察いたします。
3題の医史学(鍼灸史学)的な発言のあと、我らが後見人・正木晃先生に「興教大師・覚鑁の身体論と身体技法」について詳察して頂きます。真言密教中興の祖と目される覚鑁の名著『五輪九字明秘密釈』の身体論は、中世の五蔵曼荼羅・五輪砕のブームを呼び、やがて鍼立・金創医らが医学の基礎知識として受容し、人だけでなく馬医の根幹ともなったのです。人が先か馬が先かは議論の余地がありますが、覚鑁を端緒とする身体論が、腹診発明の原動力となったという私の指摘は定説化しつつあります。正木先生には、「新義派」と呼ばれる覚鑁の密教思想から身体技法まで、時間の許す限り熱弁をふるっていただきます。「ご縁」とは不思議なもので、正木先生に覚鑁の講演をご依頼した直後、江戸時代の坐像が友の会にお出ましになりました。会期中は講演会場に鎮座していただきますので、ごゆるりとご尊顔を拝して下さい。ちなみに、明治時代の肖像も展示いたします。
◎最後に
過去2回行なっていたフリー・ディスカッションは、生産性が低いように感じましたので、今回から講演のみといたしましたことご諒解下さい。今年も盛り沢山の内容で、入会間もない面々は消化不良を起こすかも知れませんが、感電にも似たカルチャー・ショックを体感していただければ幸甚です。奮ってご参加下さいますよう心よりお願い申し上げます。ネット上のブログ「六然の小窓」は、更新情報が得られますので要チェックです。
http://yuishouron.cocolog-nifty.com/blog/
2006年7月吉日
和方鍼灸友の会主宰 長 野 仁 謹識
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