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2006年8月25日 (金)

8・20 本屋に学ぶ経絡経穴 第4回感想

毎月のお楽しみ、経絡経穴学・第4回が20日に行われました。他の勉強会と掛け持ちでいらしている方もいて、そっちの情報を頂いたりと、いつもと違った夏休みの第3日曜日でした。

今回は肺経の説明を詳しく、大腸経を途中までという説明が軸になりました。といっても、いつもの如く、半分以上が直接経絡経穴ではない話。ですが、ちゃんと頭を使うと実は全ての話が鍼灸の世界にリンクする《自分の幅を広げるきっかけ作り》が満載の内容でした。

前回は漫画でしたので、今回はエッセーの紹介(なのかな?)。『海馬が耳から駆けてゆく4』菅野彰 新書館 1400円の中に紹介されている、筆者(小説家)の酷使された肉体疲労を取り除いてゆく浅草開業の鍼灸師Aが登場するくだりを配布。この先生は、治療時間内に痛みが消えなかったら御代はタダ、というなんだか本屋さんと相通ずる勝負師的要素の強い鍼灸師でありました。本屋さんも「出来高払いでいいから」と、他の針灸治療院や病院で治らなかった人々が来るとそう言ってニヤリとしています。しかし、前回の漫画に引き続き、なんでこうしたものが次から次に出てくるのか不思議。参加者の何人がこういうアンテナを持っているのか分かりませんが、ワタシ的には結構面白く、この本を読ませて頂きました。

このエッセーのタイトル、「海馬」から漢方薬の話に広がり、「生薬の海馬も真っ白いものは漂白されているケースも多いですからね」と釘を刺しつつ、補腎の話へ。難経が出てきたり・・・、そうそう。難経で思い出しましたが、六然社から年内ぐらいに発行予定がありますです。著者は池田政一先生。ついこの間まで編集し終わったのがまだ23難とか本屋さんは言っていたのに、何故かもう80難。恐るべし、ハイスピードであります。ワタシが出勤している間は、歩いてすぐの所へ納品に行ったまま神保町の本屋巡りをしてたっぷり本を買い込んで戻りが2時間後とか、お客様とお話が弾んで「あれ?もうこんな時間」とか、本業(パチプロ?;笑)へ行って閉店まで帰ってこないパターンもあり、どうも、夜中が一番活動的な脳みその状態であるようで、大抵朝まで仕事をやっているようです。一体いつ寝ているのかなぁと不思議に思います。もしかして、本業から戻った後にゴロンと寝ている1時間以内が全てではないのか?!という疑いも捨て切れません。夜中の何時にメール出しても即レスだったりするし。

今回の講義では「千島学説」も出ましたねぇ。現在の生理学から見ると、甚だナンセンスな学説なのですが、愛好家はかなりいるそうです。特に鍼灸師の中に。簡単に言ってしまいますと「腸造血説」なのですが、その論拠に、戦争で手足を失くした方々を観察しても、総じて皆元気であるのは腸で造血しているからだ、というものがあったりしますです。つまり、人体を構成する部分の大きな骨を失くしているのですから、骨髓での造血説を否定できる要素であると言いたいのでしょうが・・・。どっこい、本屋さん曰く、「手足を失っても、世間の目に付く所で生きている人は元々丈夫なだけ、死んじゃった人は表に出てきませんからっていうことを忘れちゃダメですよ」。騙されやすい鍼灸師が物事の見方を学べる画期的な講座です(笑)。そういえば、講義後も井穴刺絡について質問されている方がいらして、「井穴刺絡をしたら熱が下がったんですが、小指からの出血が多かったのはやはり経絡的な病証から考えて……」という質問に「それはもちろんあるかもしれないけど、小指の皮は薄いから!」って答えているのを聞いてしまいまぴた。なんでも経絡に持ち込んで結論を出しがちな鍼灸師の世界観を「世界観が大事」と言いつつ、ちゃあーんと一歩下がって冷たく見据える視点……これが本屋さんが嫌われる理由でもあるんですね(笑)

千島学説は置いておいて、本屋さん自身が「脾臓=統血」を生理学的に理解した出来事についてお話されていました。この内容は、ワタシが学生だった時にも伺っていまして、その後、病理学の教科書にそれを裏付ける文章を見つけたときは思わずアンダーラインを引いてしまったことを覚えています。

脈診の話も出ました。人迎気口診の内傷と外感の見分け方でしたね。本屋さんは、治療中脈を診ないことも多いのですが、見る方に限って「やっぱり内傷だ」とか呟いてます。脉を診なくても判別できる要素をいくつも持っていて、確認のためにちょっと診るか、って感じを受けます。  実はワタシの母校は経絡治療の六部定位比較脈診を、割とどの先生も義務付けていたので、脈を診れば「○虚かなぁ」と悩む羽目になります。本屋さんの「経絡治療の六部比較脈差診はそもそも破綻している」説をしょっちゅう聞いていると、原理原則が先生方のご都合主義で本当にいい加減なのが分かるにつれ「肝虚でまず取ればいいだろう」となんだか診る気も起きなくなってくるのです(人のせい:笑)。しかし、一旦診始めると、「いや、これは○虚じゃなくて△虚だね」と先生方に否定され続けたトラウマ(笑)が顔を出し、「う~ん」と悩み続けて、「どこか悪いですか」と患者さんを心配させる事になります。この、比較脈診の恐ろしい所は、自分の中で勝手に断定し始める所であると思います。4つの虚しか選択肢はないわけですから、思い込みによるアテハメ率が圧倒的であろうと自分の中では行き着きました。ある時期、ワタシは脈が分かった気になりましたですよ。先生との整合率も高くなりましたし。でもそれって、各先生方の《読むくせ》が分かっただけなんだと今では思います。  因みにシュガイザー先生はしっかり脈診をします。先生の説明を聞くと、もっと広がりをもって解釈してもいいのかぁと、脈を診る気になります。本屋さんも言ってます「長野先生は本治法ができる」「ああいうのをやられると脈診って本気で取り組んでいかないとって思うよなあ」って。本屋さんはどうなんですか? って聞いてみたところ「僕は出来ません、究極の標治は本治を必要としないんじゃないかって方向でやってますから(笑)」と自嘲気味に言ってましたけど、どうだか……。シュガイザー先生は、上焦、中焦、下焦として診るとか、比較脈診に於いても、検脈毎にどう体内のバランスが変化しているのかの解説が面白い(やっぱりね)。先日、シュガイザー先生が本屋さんの治療をしているのを見学させてもらいましたが、何度かの検脈の最後で「肝が浮いてきたので目で治そう」と言って(先週16日の真っ赤な目の本屋さんの姿を思い出せる方も多いかと思いますが)、目の周りを軽やかに散鍼、散鍼、散鍼!。 現在アメリカで大流行(しつつあるらしい?)の「アキュフェイシャル」ってこういう技術が有る人がやれるんだろうなぁと、美しい動きにため息が出ました。とりあえず祖脈から診るようにして、シュガイザーチックに自由な置き換えもこなせるようになれたらなぁと思っている今日この頃です。

さて、講義にお話を戻します。「お土産」と言って、毎回本屋さんは臨床にすぐに使えるツボの運用を幾つか教えてくれます。今回は中府近辺の圧痛を肘より先のツボの切皮だけで取る方法。「こうした患部を弄らずに患部の症状を変化させる事が出来れば、患者さんを騙せるでしょう(笑)」と本屋さんは言います。今回の方法は、関西にいらした合田幸平という先生の言われていたことだそうです。そういえば小児鍼の大家である谷岡先生も学生時代この先生に習っていたそうで、谷岡先生の子供との付き合い方のルーツも合田先生の本に散見出来るとの、超レア情報も頂きました。

鼠径部の痛みにはこの2穴とか、ペインクリニックの概念が出て来たことがいかに画期的な医療の思想的進歩(つまり今迄「単なる一症状」でしかなかった「痛み」それそのものを「病態、つまり治療の対象とした」ということ)であったかと言う事や「シャドウワーク」を唱えた「イリイチ」という思想家の話とか、どんどん大腸経から離れていきます。是動病と所生病の説明(次回に持ち越し)、お勧め図書『勘の研究』、『医学禅』、『蔵珍要篇』まで出てきて、残り時間がわずかになっても大腸経は終わりません。国民性の違いは数字に表れるといった話では、インドは3つ、韓国は4つ、中国は太極から九宮までの9つ、日本は1つが大好きなんだとか。だから「万病一毒説」「万病一如」「一気留滞」といった概念が生まれるそうです。へぇ~と皆さん猛ダッシュでメモを進めていましたね。

「知識は人を救う」という、24時間テレビの標語のような発言が。自分が楽になるために勉強はするんであって、世界観を狭くしてどうすんの?と。なるほどなぁと思います。人生全般に通用しそうな標語ですが、これは鍼灸師にとっての基本中の基本、八綱弁証の説明で仰っていた事です。何故八綱から分類するかと言うと、その後の選択肢を楽にする為……、難しい事を沢山憶えるのが弁証論治じゃなかったんですね。目から鱗です。

あ、それから、今年も多賀フォーで講演される、シュガイザー先生が《最も恐れる読者》と言われている、森ノ宮図書室の横山先生に本屋さんが「勝てないな」と思った瞬間の話とかもマニアック過ぎでした(高校生時代に本屋さんがちらほら読んでいた『エピステーメー』という学術雑誌を横山先生も全巻持っていたらしい)。横山先生のお話は、これまた理路整然とされて、無駄な感情移入がない「完璧な講義」という感じです。しっかり整理された濃密な情報が満載ですよ。去年のお話は圧巻でした。講義録が早く本にならないかなぁと思っています。以下に今回の多賀フォーご案内の横山先生が担当される箇所を転記しておきますね。

明治大正期における近代化の文脈を、「催眠術」というフィルターを通して俯瞰した後は、医史学的な指定発言が3題続きます。第1は、昨年の「霊術に関わった鍼灸家」の列伝が好評を博した、横山浩之先生による「近代化の中の鍼灸界」について。前回よりも広角レンズで明治維新以降の鍼灸界を一望してもらいます。催眠術と鍼灸の意外な関わりも顏を覗かせます。注意しておきたいのは、「近代化」イコール「科学化」ではなく、今に繋がる「古典主義」も「近代化」の産物だということです。

とまあ、今回はこの辺りで書くのを止めようと思います。際限なく書いてしまうので、仕事が終わらない~。

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