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2006年8月22日 (火)

8・16 唯掌論 感想

6.7.8月と月に2回~3回のペースで開催された長野仁先生の講演の締めくくり、《唯掌論》が終わりました。

今回は4時間の中で、前半を長野先生、後半を寄金氏で担当していただきました。実際は3時間を長野先生、それを引き継ぐ総括も含めて1時間を寄金氏という時間配分でありました。お盆真っ只中なのに、多くの方にお越しいただきました。ありがとうございました!

そもそも《唯掌論》を考え出した経緯から説明がありました。今までも掻い摘んで聞いていた部分はあったのですが、古典鍼灸研究会、日本鍼灸研究会、経絡治療学会を経て辿り着いた境地が、「痛くなく、熱くない鍼灸」と、「散鍼」と、「気」ではなく「手指という肉体」の鍛錬だったそうです。長野先生は「気」という言葉を使って片付けるのが嫌いだそうです。「気」と言う概念は非常に便利な活用ができるのを多くの鍼灸師は既にご存知だと思われます。「気が分からないお前が悪い」といった高圧的態度で臨む先生も随分お見かけしますが、個人の感覚であって他人には推し量ることでしか認識できないものですから、「学生が先生に気を使う」方式で、「気」の存在は治効の誤魔化しの常套手段に使われています。それと違って、手指の鍛錬は「目に見える」、具体的極まりない筋トレなのであります。誤魔化しが効かない部分ですから、取り組んだ人が得られるものは一目瞭然です。

当初、散鍼が上手くなるための手指の開発だったそうですが、これがどんな技にも応用が利くことが分かったそうです。《唯掌論》の前は《マンダラスパイラルトレーニング》と名づけていたそうです。9つの型があるので、マンダラ。スパイラルの由来は押手と刺し手の練習法を組み合わせると、大日如来の印を組む形が出来上がります。そこから生まれる螺旋運動(スパイラル)のエネルギーで患者さんを挟み込むようにするという「気持ち」を含めるといいでしょ、ということのようです。先生は軽く仰いましたが、これってすごい理由付けだとワタシは思うのです。今まで「スパイラルをイメージして鍼先にエネルギーを送る」という類の説明をされた先生は数人いました。が、それのルーツがどうしてもアメリカ西海岸系のヒッピーライフのを祖としている感じでして。鍼灸とスピリチュアルの融合って事なのかもしれませんが、なんだかとってつけた現代の解釈という気がしてました。今回の「大日如来」の方がワタシ的には納得いきましたですね。2000年続いてきた鍼灸が仏教と密接に絡み合ったある時期に取り込んだ概念を、平成の医学考証人シュガイザーを通して表に出たって感じでした(笑)。因みに、「先生は鍼を刺しながら、スパイラルをイメージして念を送るぞ、う~んっ。ってなことしてるんですか?」と伺ってみた所、「しません」とのお答えでした。

さてさて。《唯掌論》は1~9の動きで構成されています。良く出来たもので、夫々の動きの中に1~9の数字が形作られるのであります。「これって、偶然ですか?」とのワタシの問いに、「後付けです」とあっさり答えられましたが、練習する方にとっては非常にありがたい。現在はテキストなるものはありませんから、自分の記憶とメモが便りです。なので、順番を思い出しながらやっていけばいいので助かります。あ、ただですね、裏DVDがあるんですよ。別に裏じゃないですけど(笑)。去年の多賀大社フォーラムでは販売していましたね。2000年度に撮られたものです。和方鍼灸友の会会員のみ購入可能な受注生産、1枚5000円也。欲しい方は六然社までお問い合わせ下さい。

1~9の動きには独創的な名前がついています。誰も引用したがらないようにという、素晴らしいコピーガードが付いているわけです。「貴様は誰だ運動」、「ちょっとモジモジ運動」、「キツツキついばみ運動」・・・ナドナド。もっと過激な名前もありますが、一応控えましょう(笑)。

1から順を追っての説明ですが、この《唯掌論》は散鍼が出来るために作られたものなので、散鍼を見た事がない方の為に散鍼実技披露が急遽加わりました。いやぁ~、長野先生の実技の説明も非常に分かりやすい。「こんな感じ」というのを極力排除し、最大限の言語化をしてくださいます。学生が技を習得する心掛けとして、丁寧な説明が良いのか悪いのかという論争も有りますが、それはさておき、とにかくこれ以上整理された説明には出会わないだろうなぁという気がします。鍼灸の教え方は、とかく、個人の感覚の世界で語られることが多いので、その先生の使う言葉の癖から理解しなくてはなので、やっている事の理解に結びつくまでに結構時間が必要だったりします。

散鍼の補と瀉の動きの違いを見せてもらいました。動き一つ一つを細分化して解説されるので、一回参加しただけでも随分とエッセンスがもらえます。ただし、本屋さんがココで注意を呼びかけたのが、「なまじ器用な人程中途半端に動きを真似し始める事が多いですが、基本をきっちりしてからでないと、単に爽快なだけの散鍼バッタモンになりますよ」とあせらず、地道ぃにやっていく意義を言われました。早く指を動かしたい衝動に駆られるのは分かるのですが、半年手指の練習をすればある程度の域から動きを体得できるので、その方が近道だとのこと。モノへの取り組み方全般に通じる気がしました。実際に本屋さんが半年教えた学生さんがちょっと披露してくれましたが、殆ど動きは出来ており、2年生でコレだけ指が動くのか!と驚愕している参加者もチラホラ.

流れの中で、弾爪のやり方(これが非常に美しい!音もね)と、井穴を見つける指の作り方と実際に井穴の場所の取り方のポイントを教わりました。「こうやって」的な説明を受け続ける100回と、今回の1回の比較でしたら、ワタシは長野先生の一回を取るなぁと感激しながら3時間を過ごしていました。

ラスト1時間は、本屋さんの出番でした。長野先生の講義を受けて、大日如来の真言に「五大(五行)」が含まれている事と、五体身分との解説をちょっとされた後、短時間ではありますが、東洋的視点の体の使い方を中国語四文字熟語に乗せて、要点を確実に抑えた説明をされました。アレキサンダーテクニック、フェルデンクライス、フォーカシング、センタリングといった海外から持ち込まれたボディーワークの考えやテクニックを観ていくと、元々東洋の武術の中には当たり前のように基本中の基本としてあるものが殆どだそうです。身体作りの時も再三に渡って「二目平視」などと注意をされるわけですが、たった四文字のくせに真意を突きまくってんなぁと、中国人のキャッチコピー作製能力に感心します。

本屋さんのお話は、話題がどんどん変わって行きます。上記の説明をされた以外に、トピックだけをメモしていたら20項目以上有りました。本屋さん自身、お話するためにメモを用意するわけでもないのに、最初から最後まで全然違う話題がいつの間にか一貫した流れに纏まるのはどうしてだろう??といつも思います。圧縮された時間とでも言いましょうか、さすが七味唐辛子を路面で叩き売りしていただけあって、口上がお上手で人を惹きつけます。

因みに、この日配られた本屋さんの資料は「五胴の体作り」のお話が載っているあの「一遍斎のツボに聞け!」第15話と鍼灸関係の古文書資料。この資料については長野先生も「知らなかった」貴重なものだそうです。この発言に、本屋さんはガッツポーズ。「長野先生がマークしていないものを自分が持っていた、っていうのは異様に嬉しい」だそうです。

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