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2006年9月

2006年9月28日 (木)

伝授される人間と出禁になる人間

今日は人間関係についてヅラヅラと書いてみようと思う。まずは、散鍼を皮切りに・・・。

本屋さんの散鍼は「僕の両手でやる散鍼はシュガイザー先生から習った(盗んだ)ものです」(本屋さん談)といわれる技(笑)で、「皮膚をみる」(谷岡先生の言葉)ことに興味があったワタシは、初めて本屋さんにお会いした約2年前から追っかけ続けている技である。一見するだけでは分からないこの動きは、しっかりと段階を経て習わないと身につかないと思える。一般人には。 実際に、「こうやって器用貧乏にやって出来た気になって、ちょこちょこやってるとちょっと気持ちいいかなあだけのバッタもんになるよ」と本屋さんはよく言うし、事実そうなってしまった人を何人も見ている(多分本人は気がついていなかったりする) 。本屋さんは、散鍼について語り始める前に、1000人以上に散鍼をしてみたそうだ(巨鍼も数えているようで、先日は確か800人台だったような気がする)。 また、シュガイザー先生だって、「開業するまでに一万人の患者さんを診よう」と志を立て(実際には9600人台位だったそうだが)それだけの患者さんに触れてから開業し、今日に至っている。こうしたことを忘れちゃいけない。シュガイザー先生にしたって、あの唯掌論を生み出した背景は、この散鍼や鍼が上手くなりたかったという情熱からだそうだ。一定以上の情熱があれば、一人でもその境地に行き着く例はありはするが、一般的にはかなり難しいのが相場だ。一子相伝の古代の世界ではこういった情熱ある人々しか鍼灸師になれなかったのであろう。あんな適当な国家試験を通れば済む、今とは違うのだ。名字から言っても、ワタシなんて間違いなく百姓であったに違いない(笑)。

さて、散鍼とは皮膚表面を扱いながらも、患者の内部をもいじくるものでもある。なので、逆に術者の気持ちがダイレクトに伝わる手技という怖さもあり、半人前の人間が行うと「方針が決まらない迷い」や、「感じ取るべきものが分からず闇雲に触っている」ということがバレバレなのである。このように、上ずった気持ちで施していると、「この先生、経験ないわ」という術者への不信感が芽生えてしまうわけだ。逆に、間違った豪快さをもつ人物が散鍼に取り組むと、それはそれで他人の家にドカドカと土足で踏み込むような「不快な」感覚を味合わせてしまい、患者のガードが固くなってしまう。

本屋さんは散鍼を先ず、体のある部分から始める。というのも、術者主導で患者に身をゆだねさせるタメだそうだ。この技を駆使すると、ワタシのような小娘が60代お偉方を相手にしても、「治療」が始められるという仕組み。押しの弱い容姿とはかけ離れた本屋さんがこういう小技を駆使する辺り、「何事も小技の連続かぁ」という感慨に陥るのだ。意外に思われるかもしれないが、本屋さんは「そこまでやるか」というぐらい細部にわたり丁重に治療を進める。《気遣いの芸術域》を見事に表現されている。

先日の経絡経穴の講義の後、かねてから散鍼を習っている学生さんが事務所に手解きを受けにきた。最近、本屋さんを見習って「いかに寝ないで済むか」をテーマに研究中のワタシは見えつつある秘儀のお陰で、前日3時間睡眠でも講義が終わるまではどうにかいつもと同様にちょっと意識が飛ぶぐらいのレベルを保つことができた。が、事務所に辿り着いた途端に電池が切れ、目も半開きに「指導されている間、別の部屋でお昼寝してもいいですか」とお願いするしかなかった。が、「今日はちゃんと見てあげたいから、モデルになってもらえる? 寝てればいいから」と要請を受け、後ろめたさから解放されて喜んでモデルを買って出た。本気で寝入るまでの数分で、モデルの役目を果たさねばと、シャットアウト寸前の感覚神経を奮い立たせ、お二人の散鍼を受けた。

このような実地指導を受けるのは初めてであったであろう学生さんはかなり緊張した面持ち。手の重さ、つまり重心のかけ方、体の向きの悪さ、使い方の間違いや、接地面積が少ないことから分かる遠慮している精神状態などが伝わってくる。それとは別に、学生さんの持つクセもよくわかる。散鍼ほどその人の個性が露呈する手技も珍しいのではないだろうか。そのクセをまた本屋さんが指摘する、そのやり方が独特で、まずその拙さを上手く捉えて真似してみるのである。「こんな風?」「いえ、もうちょっとバラバラっという指当たり」というやりとりを3回ほど繰り返すと、もう拙さが再現できる。その上で、「ここを修正してごらん」と的確に注意を出すのである。完璧に、個々に合わせたオーダーメイド的指導法である。その後、もう一人合流して口伝公開が繰り広げられていたようである。後から来たもう一人の人はもう臨床歴も長い先生だが、「凄い秘伝満載! ここまで言っちゃうかって感じだけど、本屋さんの散鍼は自分がやりたいことそのもの」と評する。ワタシはもう寝入ってしまったので貴重な機会を水に流してしまった・・・。あそこで、むりやり起きていれば・・・と後悔先に立たずである。

散鍼には肌の上を進むべき方向と、側がある。こんなに回数を見ているワタシでさえ気付かないことが多々あり、いまだに新しい発見がある。「オメェの目が節穴なだけだろうっ」という声が飛んで来そうである。養老先生の「出力が違えば、入力が違う」という言葉を切り返しに使ってしまおう。本屋さんの受け売り(笑)。

節穴ついでに思い出したが、実は巨鍼をしばらく禁止されていたワタシであるが、時期を見て、身を挺して指導をしてくれ、解禁にしてもらえた。しかも、苦労していた切皮が足の角度を変えるように言われただけで「ポンッ」と簡単にできてしまった。こういうように、段階を見てモノを教えくださる考えには、ただただ敬服するばかりである。「これは伝統的なモノを教わる上では当然のことだ」、と涼しいお顔で言いのけるのだが、神業に近いと思わずにいられない。ただ、本屋さんと同様に伝統的な武術をやられている本屋さんの兄弟弟子が、ワタシの治療を受けた後に下さる感想・指摘は、本屋さんと同じ匂いのする、非常に示唆に富む「段階的指導要素」がたっぷりである。

彼らは生まれながらに伝統を引き継ぐ環境で育ったわけではない。20歳ぐらいで、その道に入ったのが大半なのだろうと思うが、師と、どう人間関係を結んで、コアな部分を伝授されるかという思想が身に染み付いている。「伝統的なモノ=人間関係(師弟関係)」と言い換えるとはっきり見えてくるかもしれないが、鍼灸だって同じ伝統的なものであるのを肌で感じ取っている人はかなり少数であると、本屋さんの影から見ているとそう思える。40近ければ当然のように、この仕組みが肌に馴染んでいる人も普通にいるが、30代前半では半数以下、20代に至ってはたま~にお目に掛かる人物が居れば「希望の光」と崇めたくなるほど、惨憺たる現状である。もちろん、ちょっと前の世代では徒弟制度の「弊害」もあり、それに潰されている人もいなくはないが……。

徒弟制度で成り立ってきた鍼灸の伝承に限らず、日本の社会が、戦後の学校教育へと移行するに当たって、失った部分は《技術》と、伝承を成り立たせる《人間関係の構築の仕方》であろう。学校制度に乗っかって、《お金を払って、与えられたものをこなして、資格を取る》のに馴染みきった人間が、「もっとリアルなモノを見たい」と《技術》目当てに外へ出てゆく。熱心なので行動力はある。が、《人間関係の構築の仕方》を度外視しているため、いつまでもコアな部分に触れられない。この自分で作っている落とし穴に気付かないために、お金も時間も労力もロスをする。これぐらいなら、自分の不手際であるから「要領が悪い」と言い訳して対外的にも済まされるが、本当に怖いのは、失礼を重ねた結果の《縁切り》である。「二度と敷居を踏ませない」という感情を先生に抱かせれば、もうオシマイである。大抵、こういう先生方は腹が決まっているのでリベンジは効かない。

えらそうに書いてしまっているが、ここまで読んで、ちょっと、身の危険を感じた学生諸君が居れば実は本望である。が、諦めないでもらいたい。冷静になって周りを見回して欲しい。実力ある先生の後ろには必ず、先生と個人的な関係を築いた《金魚のフン》が一人や二人居るはずである。彼らはどうやって《金魚のフン》を許されているのだろうかを考えてみるべきなんじゃ?   さらに、観察を進めると《金魚のフン》には2パターンあることに気付くはずである。その先生だけに付いている《金魚のフン》と、実力&魅力に満ちた先生方複数と人間関係を築いている《金魚のフン?》だ。前者は、たまたまその先生と気が合うだけなのかもしれない。が、後者は違う。全く違う。例を上げれば簡単だが、前者は「あの先生といつも一緒に居るあの人って一体・・・・」と、存在意義を問われる人物である。対して、後者は強引に他人を押しのけて、後ろにくっつくのではなく、「おいで、おいで」と場所を用意して待たれている《スーパー金魚のフン》である。ワタシは《スーパー金魚のフン》の人物像を想像で書いているのではなく、具体的な方々を思い出しながら書いている。《スーパー金魚のフン》に共通していえる事は一様に、《謙虚》であることと、《やることやって、能力を高め続ける》点である。どうもこの2点が合わさると、実力に満ちた先生方は教えたくなるようである。この《高まり続ける能力》の部分に魅力を感じ、期待を込めて、普通じゃ出てこないコアなエッセンスを惜しげもなく出してしまうようである。これは、コネでもお金でも買えるものではないのである。

コネで思い出したが、鍼灸学校の入学式が終わった教室で「○○先生の紹介で」、「卒業したら、○○先生のところで働きます」という多数いらしたたコネクション系の人々の自己紹介と、「本当に習いたかったら外で師匠を見つけなさい。難しいだろうケドね」という先生の話を聞きながら、「コネも金も無いワタシは、なんて場違いな世界に入ってしまったのか」と、本気で泣きそうになった。1週間ぐらいはかなりブルーであった。学校が終われば真っすぐ家に帰り、与えられた科目を消化するように毎日数時間程度勉強するのみの、芸の無い暗記勉強法を繰り返しただけの1年生であったが、大して勉強しない学生が大半の中ではこんな学習法でも功を奏した。その最大の成果とも言うべきものは、毎回授業後に質問攻撃を繰り返したワタシを嫌がりつつも(笑)、目を掛けてくれたS先生との出会いで、現在ワタシは日本有数の実力在る鍼灸家達を身近に感じる六然社へもぐりこんでいるのである。(本屋さんの目はキビシい、何処かの会長さんとか肩書きや地位や名声とかには全く関係なくシビアに実力を評価する……人相悪いからダメ、で切り捨てちゃうこともあるけど……その後大抵水野南北や目黒ゲンリュウシの話とかが続くのであるが……)

また、文章が長すぎて纏まらなくなってきた。この辺りでやめておこう。2年生の時に、ふと気付いたことがある。「要は実力か。実力つながりの先生方はキラキラしていて楽しそうである」と。(シュガイザー先生も本屋さんも鍼灸の話をしている時は実に楽しそうだ)。

この「楽しい」というのは結構大事なことだと思う。ワタシの場合は構築の仕方の方法論の一つに《楽しそう》も隠れた柱となっている。先生方にとって《楽しそう》な行事やネタを提供することで、良い気分になってもらおうという風に後から見ると動いてきた感があるが、まだまだ素人の域で、却って手間を取らせているだけでもある。しかも、某地域では「暴走丸」とあだ名される一面を持つワタシであるので、本屋さんからは片手で数えられなくなりつつあるペナルティを突きつけられている。しつこいようだが《人間関係の構築の仕方》も実力なのだ。ワタシ自身の情況は常に背水の陣でありながらも、いつも仕事をサボってブログを書いている。「両手で数えられなくなったら、足の指も足してくれるかなぁ」と淡い期待をこめつつ・・・。今回こうも嫌らしく綴っているのは、《楽しそう&良い気分》の真逆である《面倒くさい》件を一掃したいという「願い」からであった。ワタシ主催の勉強会にいらしてくださる学生諸君にも、ご理解いただければ幸いです。

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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2006年9月27日 (水)

ニコイチ出演 京都大学 人文科学研究所

さて、もう某ブログでご覧になっている方も多いかと思いますが、こちらでもご案内をさせて頂きます!何故、アップが遅くなったかと申しますと・・・。実は本屋さんの経絡経穴講座の感想文(これを楽しみにしていてくれると言ってくれる読者がいる以上書かねば……)をほぼ書き終えておりまして、それをアップしてから出そうと思っていたのに・・・。なんと、あんなに書き綴った(例の如く)感想文が消えちゃったぁぁああ~。悔しいから、随分ブログを書く気になれなかったのでありました(笑)。

今週からもうスタートで毎週木曜日の夕方に開催される、京都大学人文研アカデミー・共同研究セミナーにニコイチが登場です。シュガイザー先生が10月19日、本屋さんが10月26日です。京都大学という、国立大学の《人文》領域に御呼ばれされる鍼灸師って、そんなにはいないんじゃないですかねぇ。鍼灸周辺領域の一流処から認められるというのは、お二人が《自分の分野を突き抜けている》類希な人物であるという評価であると感じます。「突き抜けたらどこ行っちゃうわけ?」とニコイチの厳しい口撃が返ってきそうですが(汗)、やっぱり世間は二人の才能をほっておかないということでせう(笑)。  とかく鍼灸業界は「ナカマ・ナカマ」と顔見知りだけで小さく纏まる「隣組」のような体質のようで、能力が枠から出ちゃう人間に対しては「そのまま出て行って」と、居場所を奪う傾向があるように感じます。鍼灸業界というよりは特に鍼灸学校の先生ですね(笑)。だから、悪しき慣習が真っ白な学生に染まっていくんでしょうね。その悪習をちょっとでも破らんとワタシの勉強会主催熱にも力が入ります!!(笑) 自分達で作った会でのうのうと偉ぶることはある意味簡単ですがねぇ(ワタシも自分の勉強会では「我が物顔で憎たらしい、あのムキタマゴめ」と某参加者から本屋さんへクレームが入っています:笑)。 余談ですが、ちょくちょくやってくる本屋さんの「一見厳ついけど妙に礼儀正しい謎のナカマ達」は鍼灸関係とは無縁ですが、皆さん非常に見識の幅も広く心意気の篤い人達です。最近やっとワタシにも親しげに接して下さるようになりまぴた。何故かそのナカマ達にワタシは「暴走◎」と呼ばれています(笑)。

さて、話は変わりますが、シュガイザー先生が監修する絵本がもうじき出版予定です。九州国立博物館に展示されている『針聞書』の「腹の虫」をキャラクターにしたもので、アンパンマンを出版しているフレーベル館から出されます。資料を提供した六然社にも表紙とカバーのデザインが送られてきましたが、なかなかすてきな本になりそうですよ。なんでも、来年には九州国立博物館でシュガイザー先生プロデュースによるイベントがあるようですよぉ。先日、多賀フォーでお会いした博多のOさんから、「亀癪」のキーホルダーを頂きまして(ありがとうございました!!)、九博へ行ってみたいなぁと思っていたところです。しかも、来年早々には博多辺りで、「鍼灸開業繁栄の秘訣」なるテーマで本屋さんが講演をするらしい・・・・。これも、マネージャー(自称)として付いて行かねばっ。冬の博多は何が美味しいのかなぁ~。

話が随分それました。では、詳細は京都大学 人文科学研究所でチェックされるのをお願いしつつ、概要を下記に書いておきます。

東アジアにおける健康思想の系譜

10月19日(木)  鍼灸医術  長野 仁

10月26日(木)  身体技法  寄金 丈嗣

会場:京都大学人文科学研究所本館 大会議室

時間:17:30~19:00

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2006年9月23日 (土)

多賀大社フォーラム’06 感想  ④

③で終わったはずが・・・(笑)。皆さんから寄せられた感想もお載せしますよん!

以下↓

今年も参加できて良かったです。案の定消化不良ですが、とにかく行けたことに意義があるかな・・・。ありがとうございました。

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多賀フォーラム、お疲れ様でした。3年越しでやっと参加でき、うれしく、そして、あまりの内容の濃さにびっくり。どれも聞き逃すまい!とかなり興奮気味でした。購入したかった本も町の本屋さんに行くよりも揃っていたのがすごい。
長野先生をはじめ、黒忍者さんや皆さんのお力を感じます。ありがとうございました。実際に、あの場で先生方のお話がじかに聞けたり、見たりできたことや、参加者の方とお話できたのは、他の学会に参加しては味わえないことですね。

学生時代、はじめて参加できた千葉での全日本鍼灸の壇上で長野先生の話を聞けたこと。この多賀フォーラムでまたお話が聞けて2年前に聞いたときとはまた違ったものやあの時にはわからなかったことが少し身近に感じたりしました。
昆健一郎先生の本が待ち遠しくなりました。楽しみです。
フォーラムで配られたプリントを何度か読み、今までの黒忍者さんの講義の中でお話されていたことがまた少し身近に感じます。でも、こういう素晴らしい業績が、本屋さんの目に触れなければ世の中に出ないということの怖さも感じました。

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多賀大社フォーラム本当にお疲れさまでした。裏方として色々走り回り大変だったと思います。お世話になりました。また来年も参加します。今年は二回目の参加ということもあり、去年よりも気持ち的に落ち着いて参加する事ができました。去年はなにもかもが初めてで、驚いている間に二日間が過ぎてしまったという感じでしたので・・・そういう意味では今年の方が楽しめました。

内容は非常にもりだくさんで、バリエーション豊かな充実した内容だったのではないでしょうか。資料も豊富でしたし(今少しづつ読んでいますが私にとってはかなりの情報量です)、ただ横山先生の資料がなかったのが少し残念でした。参加されていた他の先生が「あそこら辺の話は資料が少ないからあれだけの事を調べて講演として聞けるのはとても貴重だ」「学校の先生にこそ聞いてもらいたい内容だなあ」と言っておられました。まあでも墓場までもっていくとか言っていましたからねえ(笑)。

私は千葉大会での長野先生の発表は見ていないので新日本鍼灸学会草紙を読んで想像するしかないのですが、90分一本勝負狂育講演!アドレナリン出まくりのアジテーションしまくり!という感じでは多賀大社バージョンはありませんでした。どちらかというとリラックスして面白く聞けましたね(いつも講習会で長野先生の毒舌になれているせいかもしれません)。本に書かれている講演録の方が戦闘モードバリバリでまさに狂育講演という感じでした。(長野先生も、前回のをそのままやることはできない。自分で自分を演じるのはかなりきびしいと言っていました。見ている人も違えば場所も違う同じものを求める方が無理でしょう)当日はかなりの方がその千葉大会にも参加されていたようで、狂育講演を2バージョン見られたわけですからうらやましく思いました。

実技は私たちが見やすいようにと色々工夫してくださりありがとうございます。あれ以上見やすくは無理だと思いますね、それぐらいよく見えましたし内容も本当に素晴らしいものでした。前回の二日目は近代日本のオカルティズムというテーマで各々の先生方が講演されており聞いていて統一感があったのですが、今回は、それよりも個々の先生方の発表される世界観を大切にしていたという印象でした。去年同様、吉永先生と正木先生は話が上手く、講演も面白かったです。前回も思ったのですが、自分の知識不足、勉強不足を感じずにはおれませんでした(発表を聞くにも基本的な知識があるのとないのとでは、聞こえ方も全然違うでしょうし)実技で言えば、九鍼会や唯掌論で教わった基本的な指の訓練からもう一度見直していかなければいけないなと感じました(何のためにその訓練をやるのか、この動きにはどういう意味があるのかとか色々です)。最後に当日講演してくださった先生方、この素晴らしいイベントを企画、運営していただいた方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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皆さん、ありがとうございます。こういう声を頂けると本当に楽しみが増します。ワタシ自身、ニコイチの活動に大変感銘を受け、追っかけているうちに現在に至ります。和方の年間イベントである多賀大社フォーラムは内容自体も素晴らしいのですが、あの場で皆さんとお会いできるというシチュエーションにも価値があると思っています。鍼灸業界に入って世界がどんどん広がりますが、ワタシにとってはその象徴の2日間であるのであります。和方においては追っかけが高じて、シュガイザー先生には「女番頭」といわれるまで内部に勝手に侵入しております(笑)。うひひ。

感想にもありましたが、亜東書店さんの品揃えはたっぷりでしたね。今年も130万の売り上げを記録したそうです。120人程度の参加者でですよ。毎夏に開かれる○○大学では参加者500人でこの半分以下、全日本鍼灸学会では15倍以上の参加者(それに3日)で多賀フォー以下程度の売り上げだそうです。本屋さんが言うには「多賀フォーに来る和方の会員は、勉強しているのかどうかは分からないけど(笑)、本を買って読むつもりはあるんだよねぇ。」と嬉しそうに言っていました。なんてったって、本屋なので本を買う人は「良し」とする傾向があるようです。亜東さんも毎年、品揃えに悩むそうですよ。和書は1割、中国書は2割引きですもんね。おまとめ買いの場合は送料無料で送ってくださる心遣い!やっぱり違うねぇ、亜東さん。あ、それに前回書き忘れましたが、懇親会の景品の中には亜東書店さん提供の物も毎年あるのでした。

ちなみに亜東書店さんのことをあくとう書店(悪党書店?、悪東書店)と書く先生がいるようです(爆笑)。それも一度じゃなく、毎回らしい。…「あのやろう、また、あくとう書店って書きやがった」と温厚なOさんが怒ってました。そうそうこの秋、Oさんとワタシはそれぞれの地元で取れる梨対決を致しました。千葉VS横浜。Oさん、どうでしたか?  実は・・・、ワタシはうっかりラストの浜なしをお客様に出してしまい、なんと対決が実現できませんでした(涙)。まぁ、今年は梨が不作でありましたから、敢え無く強制終了に追い込まれてしまいましたが来年こそはっ・・・。お手合わせ、またお願いいたします(笑)。

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2006年9月21日 (木)

『診極図説』全2回講座受付スタート

   『診極図説』 長野仁先生による 

          

      新刊記念解説講座

今秋、六然社より発行予定の腹診医学書『診極図説』をテキストにした全2回の講座を行います。1回目の10月は『診極図説』が書かれた当時の背景の解説と歴史的意義を解説いただきます。2回目の12月には本をテキストとして配布し、実際に『診極図説』を読んでいきます。

●日時:1回目 平成18年 1018() 16151815 

    2回目       1220() 16151815

●講義内容:『診極図説』

●参加費: 15000円 (和方鍼灸友の会会員 11000円) ※書籍代 5600円を含みます

●定員  : 40名 

●会場  : 代々木近辺  ※詳細はお問い合わせメールにてお送りします。

《お申し込み方法》

こちらまでメールにてお申し込み下さい。予約完了の返信をこちらからさせて頂きます。※FAXでもお受けします。03-6279-5102 六然社 担当山本

予約完了後、下記口座への振込みをお願いします。

 ※お振込み期限10月11日(水)

 

 郵便振替: 口座番号   

0130-5-351212  和方鍼灸友の会

催: 和方鍼灸友の会  

後援: 六然社  

担当: 山本綾乃

● 『診極図説』ってどんな本?? (解説by本屋さん)

『診極図説』の著者瀬丘長圭について、浅田宗伯の『皇国名医伝』には次のように書いてあります。 ……長圭は江戸の人で、吉益東洞に東方の一人と評価された。診断は腹診を専らとし、常に「腹候と外証とは表裏をなすものだが、外証はいろいろあって惑いやすいのに対し、腹候は一つで間違いがない。だから腹診を優先するのだ」といっていた。また「医に方極・証極・診極という三極がある。診極とは腹診のことである」といって『診極図説』という著述をなした。その書には腹診法および治験が詳述されている。その術大いに広まるに至らずして、中年にて没した。」…… また、『日本漢方腹診叢書』(オリエント出版社)中の松本一男先生の解説には、「吉益東洞の弟子、瀬丘長圭は異色の注目すべき腹診法の開拓者であった。彼は『診極図説』二巻を著し、いわば科学的な腹診法の体系化を模索した。たとえば、柴胡桂枝湯ならば、どの様な腹証の場合に用いるべきかというような具体的問題について、多数の患者の臨床例を統計的、帰納的に検討して最良の結論を導き出そうとしたのである。この一例をとりあげてみても、古方派をつらぬく「実事求是」精神を明瞭にうかがうことができる。稲葉文礼の『腹証奇覧』や、その弟子・和久田叔虎の『腹証奇覧翼』などは、この傷寒論系の腹診書の代表作と見なしうる好著であり、いずれも瀬丘長圭の説を継承、発展させたものであった」  とあります。しかし、どうやら、実際に『診極図説』を読み進んでみると、瀬丘長圭の目指したのは、単なる処方の為の一対一対応の腹証探求ではなく、深い人間理解に基づく直感を重視した腹診だったのではないかという見方も出来るそうです。 事実、『診極図説』の発行は、瀬丘長圭の没後なのだそうですが、色々な事を勘案してみると、長圭存命時にすでにこの書はあり、門人達には、門外不出として読まれていたものと想像できるとの事でした。

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2006年9月20日 (水)

多賀大社フォーラム’06 感想 ③

ようやく2日目のご紹介。「だいたい長すぎるんじゃ!」というお叱りの声が聞こえてきそうな昨今です(笑)。携帯で見て下さっている方はつらいのではないかと気にしつつ、全然改善しようとしないワタシです。

例年通り彦根キャッスルに宿泊しました。昨夜の2次会には講演の先生方も参加してくださり、30名程でまたワイワイガヤガヤ盛り上がりましたよ。懇親会と違って席が決まっているわけでもなく、一年生が大御所先生の前に座る事もありますし、自分を広げるよい機会になったはず。事前に場所を手配して下さった京都のO先生のお気遣いで時間を有効に使えました。感謝感謝です。本屋さんは4次会までやったそうです。前日だって寝ていないのに、どうしてそんなに動けるのか? 何が一般人と違うのかについて、目下観察中です(笑)。

さて、2日目の演題スタートです。トップバッターは吉永進一先生。「催眠術の黎明」と題して昨年に続くいて、オカルトを紐解いてくださいました。霊術と霊学の違いとか、明治時代に日本でオカルトブームが起こった発端にもなっている海外の出来事など、オカルトの流れを掴むきっかけを頂きました。そもそもオカルトとは、なんだかインチキ臭く怪しい世界ぐらいにしか思っていなかったのですが、十二分に鍼灸史に関与している事実を昨年知った辺りから、これはインチキと切り捨ててしまうのは浅はか過ぎるぞ、と感じた次第です。本屋さんもかなり詳しく、「この手の話で勉強会も出来るよ」というくらい。そんなこと言っちゃうと、本当にセッティングしちゃうぞ(笑)。余談ですが、先日、席を立って伸びをしながらたまたま見上げた事務所の本棚に『オカルト徹底批判』という、これまた怪しげな本を見つけました。手にとって読んで見ると、投稿形式を取りつつも何個か「これは本屋さんの文章に違いない」というのを発見しました(笑)。手広いなぁ~。「この〇〇と△△って名前、ペンネームですか?」と聞いてみたところ、「知らな~い」とはぐらかしていましたが、絶対にあの短くても鋭く、且つ分かりやすい文章は本屋さんだ。まちがいないっ!

続いて、森ノ宮図書室の横山浩之先生。演目は「近代化の中の鍼灸界」。「今の教科書はダメだ」という批判は学校の先生からもよく出ていましたが、そういったレベルの問題じゃなく、時代時代で教科書と鍼灸師を取り巻く制度が産み出す鍼灸師像を浮き彫りにしてくれました。GHQ介入が無かったかも知れないといった、いわゆる通説が誰かの都合で作られている可能性も示唆。この話は本屋さんから聞いていたのですが、講演の終りにポロっと漏らす辺りがにくいなぁ~と思ったりもしました(笑)。視点が違えば、こうもすっきり分るものかぁと目からうろこの約一時間。昨年の横山先生の講義といい、今回のも是非資料として手元に欲しいなぁと思います。ワタシの元へ届いた感想では、同じ意見が圧倒的に多かったです。これを知らずして、学校教育に関わるなとか。また、参加者のAさんが言うには「卒論の時に3ヶ月も探した資料を先生に尋ねたところ、5分で出てきた(涙)」というエピソードを教えてくださいました。鍼灸界のスーパーコンピューターって感じの検索能力ですね。森ノ宮の学生さんがうらやましいっ。因みに、横山先生の愛称はこげパンマンだそうです(笑)。これは、今年の多賀フォーの日程を日・月と勘違いされていたI先生の「貴女、女性専門でやりたければ、秘宝館に行かなきゃダメですよ」という言葉を真摯に受け止め、東京へ来る講座のついでに熱海で下車して本当に行ってこられた、行動派の現在3年生Sさんが言っていました。

午前中のラストは大浦慈観先生。「杉山流と杉山眞伝流ー近世から近代へー」と題して、杉山眞伝流の流れから、管鍼法の実技公開も。本来だったらシュガイザー先生の持ち時間である午後の一部も急遽提供して、独自の鍼管を使った手技の数々をご披露いただきました。杉山眞伝流の研究は本という形で一段落されましたが、数ヶ月前にニコイチから宿題が出されているはずです(笑)。ワタシがお使いとしてお渡したDVDに入っているのは、『五輪砕』だそうです。研究結果にありつける日を待ってま~す。

昨日の懇親会会場には、お昼のお弁当が用意されていました。昨年のとは違って、グレードアップ??という感じです。業者が違うのかと思うほどの内容の変化でしたが、朝もしっかり食べてきたくせに、しっかり頂いてしまいました。食べると眠くなるのに、食べてしまうなぁ・・・。そう言えば、寝ない人々(本屋さん他少数)はこぞって少食です。モードが変われば一般人並みに食されますが、日々の食生活は常識とはかけ離れたパターンです。1食ぐらいは食べていますが、あとはつまみ食いですか?ってぐらいの量であります。料理も料理人以上に上手なのに、食に対して欲求が無いのが不思議でございます。「血糖値が上がれば良いのだ」という究極理論で甘い物を口にしている現場を頻繁に見かけますが、一般人以上に体と頭は動くわけで、原動力の食ってなんだ?  とも思わずにいられません。これも目下観察中。

午後イチは、主宰者長野仁先生。「意斎流と多賀法印流ー中世から近世へー」というタイトルでした。「僕のは聞き飽きているでしょ。資料を用意しましたから、読めば終わりです」となんとも乱暴な始まりでしたが、読めば終わりになるわけもありません。サービス精神に富んだ先生ですから、資料に書かれていない話に及びまくり、駆け足の濃厚な講義となりました。本当だったら、この日のために資料を書き下ろしたかったのに、記念品で配布した『医書集成』の原稿作りをM君と2人で夜中まで作業をしていて無理だった・・・、と多賀フォー前日の電話で仰っていました。書き下ろさなくても、膨大な論文が手元にあるから良いのではないか、と思ってしまうのですが、それを書いた当時よりも先生自身は進化されているのであって、自分で許せないそうです。こういった根の詰め方ができる方と、「まぁいいか」で済ませてしまう我ら凡人では到達点が違うのは目に見えています。天才は何もしないで天才なのではなく、取り組む量が半端でない人間のみが進める域なのでしょうかねぇ。

さてさて、本当にラスト。和方鍼灸友の会の後見人と位置づけられる、正木晃先生の登場です。「興教大師・覚鑁の身体論と身体技法」というテーマで、2日間にわたる多賀大社フォーラムを締めくくっていただきました。この覚鑁という人物は、密教について本当のことを言っちゃたがために、迫害を受け続けたそうです。この話を聞いた時、シュガイザー先生の元へ来られた理由が分かったような気がしました(笑)。因みに、上人の名声に反感とねたみを持つ当時の真言宗の人達は、覚鑁上人の住まい(高野山金剛峯寺境内の密厳院)を襲い、乱暴をしたり放火をしたりしたそうです。覚鑁の命を狙った刺客の一人が、密厳院の本尊であった不動明王像の後に覚鑁が隠れていると思い像もろとも切りつけたところ、何故か不動明王の像から血が流れたという、伝説が残っているそうです。覚鑁さんは、かすりきず一つ負わず、弟子一同とともに根来に移転し、円明寺・神宮寺などの造営を進めたのですが、その後、豊臣秀吉との確執の末に討伐を受け壊滅の憂き目に遭います。でも、生き延びた御弟子さん達は奈良や京都へ逃れ長谷寺や智積院において新義真言宗の教義を根付かせ、現在に至るそうです。この辺り、真言宗豊山派の大僧正を師匠に持つと言う本屋さんに聞きまぴた受け売りです。その後、阿字観について沢山解説してくれましたが、割愛させて頂きます(笑)。ただ、次回の本屋さんの講座では、何故瞑想領域に身体的五臓が五仏や五大と関わりを持つのかといった覚鑁(上人とつけないと本屋さんに怒られまぷ)独自の思想展開を述べた「五臓三摩地観」の系譜とその特徴、という論文(本屋さんの師匠によるものらしい)のコピーを下さるそうです。

以上のように多賀フォーも終わり、事務所に戻った今年の資料などを一つのダンボールに収めました。ダンボールの色んな面に《多賀フォー’06》と書き込んで完了。「終わっちゃったなぁ」という感じです。だがしかし!この事務所には覚鑁上人がいらしているのであります。まだ所定位置をお造り出来ていないのが心苦しいかぎりです。これからは、この事務所内で目を光らせていただくわけです。正直に生きねば・・・、なーんて。終わり。

オマケ。目の前でPCを打っている本屋さんに「今何してんの? なんかずっと打ってるけど」と、がばっと画面を覗かれてしまいました。「随分また長いねぇ。てめぇいい加減に仕事しろっ」と言い捨て玄関のほうへ向かったなぁと思ったら、多賀フォーの帰りのインターで買ってきたまま放置して期限を迎えたお菓子を取ってきただけでした(ほっ)。が、「業務命令だ。食え!」と2つも手渡されてしまった・・・。自分だって、ずっとメールや本を読んでいるくせに。って、寝ないからワタシと違って仕事もちゃんとやってるのである。そんな本屋さんは、天才バカボンのパパの曲に乗せて「バンバン覚鑁・かくばんばん♪・天才ぃ僧侶だぁ・か~くばんばん!!」と鼻歌を歌ってメールの返事を書いているのでありました。

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2006年9月16日 (土)

長野仁先生 講演 at 同志社大学

シュガイザーこと、長野仁先生の多方面のご活躍の一端をご紹介いたします。

来る、9月30日(土)に京都、同志社大学で【東北アジアにおける安心・安全】というテーマで講演をされます。

テーマの【東北アジアにおける安心・安全ー中国を起点として】という辺りから、ワタシは勝手に近年増えつつある、【日本における中国人の犯罪をどう防ぐか】といった内容かと思ってしまいました(笑)。シュガイザー先生がいくらマルチと言えども、鍼灸、健康を離れたテーマでもやるのかぁと一瞬脳裏をかすめましたが、冷静にお話を聞いてみた所、以下のようなお話でした。勘違い勘違い。

鍼灸の治療効果を語る際に「自然治癒力」という単語が使われるのを頻繁に耳にしますが、実はコレ、東洋の発想ではないそうです。ヒポクラテス医学から来たこの概念が何故今、東洋医学を語る上で紛れ込んできたのか。その辺りを歴史的観点からも含めてお話になるそうですよ。電話口でもパーッと聞いたのですが、もっと詳しくお聞きしたいのでワタシも会場へ行くのでありま~す。

日時:平成18年9月30日(土) 13~17時

場所:京都ガーデンパレスホテル (075-411-0111)

地下鉄今出川駅・丸太町駅より それぞれ徒歩8分

入場無料、申し込み不要

第一部 未来を前に

講演「日中間の安心・安全」

講演:中島嶺雄(国際教養大学長)

対談:中島嶺雄・村田晃嗣(同志社大教授)

第二部 伝統を通して現代へ

シンポジウム「東北アジア型の安心・安全」

〈道徳・法から〉 湯浅邦弘(大阪大教授)・季衛東(神戸大教授)・三宅康之(愛知県立大助教授)

〈宗教・医学から〉 竹内弘行(名古屋大教授)・長野仁(鍼灸院鴻仁堂院長)・大形徹(大阪府立大教授)

さてさて、これとは別件で10月には、シュガイザー先生と本屋さんが、なんと京都大学人文科学研究所で講義をなさるとか? よく分りませんが、これって結構凄い事なんじゃ??? 詳細はまた改めて。

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多賀大社フォーラム’06 感想②

一日目の講演以外のプログラムはこんな感じでした。

先ず、始めに先年迄大変御世話になった「藤村滋権宮司」の追悼の為の黙祷をしました。それから権宮司さんの挨拶がありまして、昆先生の講演です。

昆先生の基調講演が終わった後は会場を本殿へ移動し、「多賀法印」慰霊・「弥曽以知」入魂式が行われました。今年は講演会場を出る際、皆さんに大幅に遅れてしまいました。待合所には、入魂を待つ弥曽以知達の姿がない・・・。「ここまで来て、ワタシの弥曽以知だけ入魂しないで帰るわけにはいかんっ」と慌てて、一人彷徨う。殆どの方が正坐して待つ厳かな場へ滑り込み、どうにかマイ弥曽以知もねじ込めたので一安心。因に、ニコイチが遅れて到着しましたが、基調講演の為に来て下さった昆先生を送り出していた為でした。足が不自由な為、上り下りも不自由なのに、良く来て下さいましたと今更ながら、感謝している次第です。その後昆先生から六然社にお手紙が届きました。「もっと上手に話せれば良かった」という内容でしたが、伝わる方には十分熱意が伝わった内容だったと聞いています。さて、祓の祝詞は本屋さんも一緒に呟いていたようですが、例年3人程がするはずの玉串奉奠が今年はシュガイザー先生お一人だけでしたので、神聖な時間が短く感じて少し惜しい気がしました。

新たに入魂された弥曽以知をうれしそうに持ち帰る人々。限定81セットしか作っていない弥曽以知の存在を知ったのが、もう売れ切れ終了後であったという方が結構います。どうしても欲しいと相談を受けますが、なんせ人間国宝の彫金師の御年にちなんで81セットという数なので、生産しようにもどうにもならないのでありまする。ワタシの場合も、第一陣が買った後でのキャンセル待ちしか手がないという情況でありました。キラキラ輝く弥曽以知を本屋さんがシャラシャラと接触鍼に使うのを見るにつけ、「むぅ~欲しいなぁ」と気持ちが高まりまして、先行投資でお金を先にお渡ししておいたのでありました。現在、ワタシのようなキャンセル待ちの第2陣も、もう終了でして本当にSOLD OUT。知るのが遅かったねぇ、で済む方もいらっしゃいますが、「どうしてもっ」という強い要望に応えるべく、考案された第3の和方鍼灸オリジナル調気鍼、その名は《おうぎ》。今年の3月にデモをご覧になった方からも、お問い合わせがバンバン来ておりますが、今回の多賀フォーでご予約を受けられるかなぁと思いきや、やはり量産が出来ない関係上、お申し込み受付にまではまだ至りませんでした。もうしばらくで調整が付くとのことです。購入希望の方はお待ちくださいませ。尚、自分のネーミングがレーザーで入れられるそうですよ。

さて、6:30からは肩の力を抜いて、お楽しみの懇親会。新城先生の虹彩撮影が長蛇の列でありましたが、ここは一旦打ち切りで会場へ大移動。いきなり本屋さんより御使命を受けた刺絡学会事務局長のK先生のご挨拶を皮切りに、豪華な食事を囲んでの会がスタートしました。今年初のビックイベント(ブログにも書きました:笑)、シュガイザー先生のカラオケタイムがいつから始まるのかを心待ちにして、南谷先生と同じお席につけた機会を生かすべく、同席した先生方一同が南谷先生のお話を伺いながら食事を進めました。

ほどなくして、シュ先生のカラオケが始まりました。素人の域を完全に超えている。物まねの特徴を解説しつつ、熱証(熱唱)。シュ先生の教え子さんには衝撃的なお姿だったようである。普段は割と真面目にされているそうで(笑)、近寄りがたいオーラが漂っているそうである。全く想像できない姿であったと人伝に耳に入ってきた。でも先生御希望のアニメソングの殆どが常備されていなくて……、シュ先生の凄さはあんなものじゃない……のをワタシは知っていまぷ。

本当であれば、ここで飛び込みゲスト《ビビアンT》が登場する予定が・・・。まだ会場にお着きになっていない(涙)。さて、ビビアンTと姉妹と呼ぶ程仲良しなのが運命学でおなじみのバーバラS。バーバラの名前の由来は諸説あるようであるが、「ババァで、ビールっ腹」という辺りが真相らしい(自称ですよ!)。ご本人からの迫力あるオモシロメールには勝てないので説明はコレくらいにしておこう。バーバラの発案で宴会会場の右後方には「お嬢さん席」がご用意されていた。バーバラに習ったのであるが、大阪では女性の呼称は《お嬢ちゃん》と《お嬢さん》の2種類しか存在しないということである。ほんまもんの若い女性は《お嬢ちゃん》、《お嬢さん》は40歳以上。これだけ。さすが商人の町である。この「お嬢さん席」は、宴会の進み具合を見て各自が飲み物を片手に寄ってきてはワイワイ盛り上がるという「夜はオバフォー」の現場であった。ワタシは味噌汁まで持ち寄った(笑)。とてもかわいい、H先生のお嬢ちゃまと仲良くなることができたし。また来年も来て欲しいなぁ。ここでもバーバラとお話したい女性が相次いだ。○木○子のような「脅迫・占い」と違って、バーバラの視点は非常に地に足を付けさせてくれる、ごもっともという内容ばかり。因みに、鍼灸師でも学生でもないIさんは、今回バーバラ目当てで参加されたそうである。

時間が進むにつれ、どんどん移動する皆さん。あちこちで笑い声が飛ぶ、非常に和んだ、和みきった懇親会である。そんな時間帯に、恒例のジャンケン記念品争奪大会が始まった。これは本屋さんの自腹によるマニアック記念品(長野先生や大浦先生の論文の掲載されている雑誌セット、『TAO鍼灸療法』終刊号、食養関係の書籍、超心理学関係・自然食関係・鍼灸関係の書籍等等)、を、各テーブルでジャンケンをし、選ばれた代表同士が再びジャンケンで奪い合うルールである。「始めますよー」という本屋さんの号令を受けて、数名が会場の外で話しこんでいる人々を呼びに行く。その行為を見逃さなかった本屋さんは「今、お友達を外に呼びに行かれた方は無条件で勝ち、シード権獲得です!そういう心掛けの人間は得(徳)をします」と、新たにルールができるのである。さて、各テーブルを勝ち抜いてきた代表が集まってジャンケンを始めようかと、皆の緊張が高鳴る。と、そこで、「ジャンケンする前に辞退する方いますか?」という、ナンセンスな問い掛けが本屋さんから発せられた。すると「去年も頂いたので・・・」など゙と、2名も辞退を申し出る。「ハイ、今辞退された方は無条件に商品獲得です!さぁ、残った心根の卑しい方々で再びジャンケン大会を始めまーす」と、どんどんルールが変更されるのでありました(笑)。そんな中、H先生のお嬢ちゃまが勝ち抜き、商品を選びにテーブルへ向かった。新城先生の今やネットで1万円以上の値が付く『究極の特殊針』と、本屋さんお手製の巨鍼を迷わず手に取るお嬢ちゃま。正木先生の(お母さんと子供のための)『マンダラ塗り絵』(春秋社ではマンダラボーナスが出たほどの売り上げを記録中らしい)じゃなくていいの?、と聞いてみましたが、頑なに首を横に振る。「あーなんてお父さん思いなんじゃろう・・・」としばし感慨にふけった。後で聞いて分かった事だが別に親に頼まれたのではなくて、うちで御両親が「巨鍼もやってみたいね」と話していたのを聞いていたからだと言う。

続いて、皆さんお待ちかねの日本中の『夜鳴く鳥』が集まる長野書店がオープンです。「事前に言ってた値段より安いじゃないか!」という余興価格でのご奉仕でした(笑)。先生、サービスし過ぎ・・・。一つ一つの本の説明と共に、欲しい方が名乗りを上げてジャンケンで争奪戦を繰り返すのです。関西方面で教員をされているA先生が落とした『オカルトムーブメント』が出品されると、翌日お話くださる吉永先生がコメントを寄せてくださった。「その本の出版社はちょっとトラブルがあって、殆どの本は断裁の目にあったはず。それは非常に貴重な本です!」と。会場中から「へぇ~」が湧き上がった。他に、工藤訓正先生の著書も出た。刺絡学会の血が騒いだのであろう。黙っていられなかったのが、冒頭でご挨拶をされたK先生(笑)。「持ってんだろ~」とやじが相次ぐ中、当然の如く勝ち抜き手に入れた。「大人気ない?」と笑ってお支払いを済ませるK先生であったが、きっとこの本も先生の元へ行きたかったに違いない。

そして!!終盤も差し迫った時間帯に、ようやくビビアンTの登場。わざわざこの出番のために駆けつけて下さったといっても過言ではない、飛び入りゲストである。山本リンダ、沢田研二を駆けつけ3曲。お歌は基より、華麗なステップとの合わせ技!瞼を閉じると浮かんでくる(きてしまう:笑)あの腰使い・・・。会場からは割れんばかりの拍手と歓声が飛び交います。ここは神社だったけ?と忘れてしまうほどのライブショーを満喫しました。出番を終えられた、赤いシャツがまぶしいビビアンは一躍人気者になり、熱烈なファンがごっそりできました。私もその一人です(笑)。ありがたくも、「貴女、今日からアンジェラって呼んじゃうわ」とお名前もいただきました。来年も見たい・・・。

2時間を越す、やんややんやの大騒ぎ。各自、先生方との交流も深められたようで、その勢いのまま2次会へ続くのであった。続く。…次回は二日目の報告です。

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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2006年9月13日 (水)

新城先生 講演会 in東京町田

東京方面の方、朗報です。このブログにもお名前が出てくる(って、ワタシが多大なる影響を受けているので頻繁に登場されるのですが)、新城先生が東京町田で講演をされるそうです。

内容は、多賀大社フォーラムとほぼ同じだそうですよ。先生が東京方面でお話になるのは滅多にありません。新大阪で2ヶ月に1回開かれている【実践塾】や、【多賀大社フォーラム】に参加したくともご都合が悪かった方、この機会にしがみついて下さいませ!

日本量子医学研究会 講演 & シンポジウム

日時    :2006年10月15日(日)    10:00~17:30(予定)
参加費:当日会場にて受付
           一般(非会員)・・・・・5千円
          会員(研究会費)・・・・入会金1万円(入会時のみ)
          ・・・年会費1万円(参加費込み)

当日は、プロ仕様の虹彩分析システムを搭載した撮影カメラを設置します
希望者は無料で虹彩を撮影し、写真を持ち帰ることができます
(撮影は参加者のみ)

新城先生のブログで詳しくチェックしてみてください。

新城先生の講演時間は13時30分~15時00分です。

演題は「人体惑星試論と隠れ脳梗塞」。場所は町田市民ホール第4会議室です。

お申し込み先は下記まで。詳細の問い合わせも、こちらへお願いいたします。
日本量子医学研究会事務局(なかむらクリニック内) こちらからお願いします。

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2006年9月11日 (月)

本屋の治療見聞録 1

せっかく日記帳に書く場所があるのだから、本屋さんの治療見聞録を書く事にしまぴた。多賀フォーの続きは今書き途中で~す。ノートを取り取りのワタシの備忘録の為だけど、誰かの参考になるかもしれないし、◯っちゃん先生、その他大勢の隠れ本屋ファンも読みたいだろうとか思ったりもするし。でもカテゴリーから変な期待はしないでくださいね(笑) 。

たまにいらっしゃる30代の患者さんが、一昨日冷房直撃を7時間受け、翌日から高熱を出したことで、目の奥・周囲と頭がズキズキ痛いし、だるいしどうにもならない、といってみえた。

本屋さんは、いつもは大抵うつ伏せから始めるのであるが、急性症状だからと今回はやることが随分違う。今日は仰向けからまず最初に脈をみて、舌をみている。「やっぱり急性期には見た方がいいのだな」と珍しい光景を眺める。まだ熱があるようで、足は冷たい。「熱だから、今日は鍼灸だけかなぁ」と思いきや、パパパと手足に数本打った後に、大腿部をいじり始める。「ここは取るのが難しいんです、ちょっと痛いですけど目には効きますからね」と言いつつ、ズバリ当たっているポイントに患者さんは痛さのあまり、息を止めてしまう。

目の周りが痛いという事で、顔面部の目の周囲に散鍼をし始めた。「お。これは先日シュガイザー先生が本屋さんの治療で見せた技じゃないか」もう、出来てるよ・・・と思いながら見ていると、次は太淵に弾爪なんてしている。「あ。これもシュガイザー先生がやってたやつだ」と、随所にシュガイザー治療を取り入れている。

本屋さんは≪とりあえずやってみる指数≫が凡人よりもはるかに高い。努力は大嫌いと言っているが、創意工夫(ズルとご本人は言う)を施して、凡人が「面倒くさいから、今度やろう」と永久にやらない事を、ちゃちゃとやってみる。しかも、ご幼少の頃から頭を使い、あらゆる状況設定をしてから物事に当たる癖がついていらっしゃるみたいで、たいていの事は一度でできる。センスが良いと一言で言ってしまえばそれまでだが、「なんとなく」ではなく、「しっかり」物事を多重的に捉えてから行動するというのが、非凡な方の思考パターンであると思えるのである。よって、本屋さんは失敗が少ない、と言うか無い。まず、あらかじめ失敗に陥るいくつかのパターンを思い描くので、それを避けて行動するようである。(にゃので、随時回転中の脳ミソ君は過剰に熱を産むらしい。頭を触るといつも熱い。この辺りは本屋さんにツボの話を聞いてから、随分意識するようになった)。因みに、ワタシも目周りの散鍼を「こんな風でしたよねぇ」と、シュガイザー治療に感化されて本屋さんにやってみたところ、「やめてくれ」と頼まれてしまった。非常に不愉快だったらしい。また首のAKAを施す際の掌の位置も「なんでその指が顔にかかるの、耳を塞がれて気持ち良いと思う?」ナドナド、「ア~たまに誰かにやって貰うのは勉強になるなぁ」と嫌味のつもりじゃ無いらしい、本心を呟くのである(こうするのは良くないという情報を蓄積しているってことのようです)。

さて、伏臥位になってもらい、まだガンガン痛むと訴える患者さんの目の周囲の症状を取るのを目標に治療をする。基本的に、本屋さんは患者さんの服を脱がせない。それこそ四肢末端ぐらいで、あとは手技というパターンである。出ている所だけで勝負するのがポリシーだ。よって、今回の患者さんもTシャツ+膝迄パンツのまま手足に鍼灸を施している。「こういう熱があるときは、Th〇番が凹んでるはず」と言うので、「失礼しまーす」と女の特権を最大限に活かし、触ってみると本当に一ヶ所凹んでいる。「そこにお灸〇壮できる?」と要請を頂いたので、お灸係として治療に参加させて貰う。が、一発目で熱がらせてしまった。この時点で負けである・・・。本屋さんのお灸は指で行う緩和のみで、ほんわか気持ちよ~いスペシャルなお灸である。この〇壮も、「まじないか?」と思うような根拠であるが、必ず本屋さんはそうしている。

足に鍼をしていた本屋さんに「凹みが消えた?」と、問われるが「????」わからない。そこで、本屋さんの療術が炸裂。わずか30秒にして「よし、戻った」と触って見るように促す。「ほ~」、いつまでもぺたぺた触っているワタシをよそに淡々と治療を進めて行く。もう一度仰向けになってもらい、現状を聞いてみると「まだ目の周りが・・・」と。寝ている時は大丈夫になったが、起き上がると響くのか、体位変換がしんどそうである。

「頭にまだ熱があるか見て」と言われたので、触って見ると頭頂部は抜けたようだが側頭部がすごい。上実極まりない、飲食過剰の太ったおっさんの百会の如く蒸れている。「側頭部がまだあります」。「それは今から取るから大丈夫」と、また足をいじくり始めた。時間にして、左右夫々10秒。「見て」。「あれ????」、熱感が引いている。蒸れていたのが無くなっている。そんなにすぐに引くのかぁ??? 氷を当てたってこんなにすぐに引かないでしょう~。えー、えー、えー・・・とワタシはイマイチ状況が飲み込めない。が、本当に熱感が引いているのである。本屋さんの心理マジックかも知れないから、「えー」と思っている間に、何度か触って見た。やっぱり取れている……。

こんだけ、熱も引いたから大丈夫だろうとワタシは思ったが、患者さんは「まだ・・・」と痛みを訴える。今日の患者は手強い。「わかった」と、なにやら意を決したらしく、ゼロ番鍼を探す本屋さん。「うぉ~、眼窩内刺鍼だぁ」と、更に手元に注目していると「この方は骨の形がちょっと特徴的だから・・・」と刺鍼部位を丹念に探し出す。スーッと寸3が根元迄たっぷり入ったまま、しばらく置鍼タイムへ。いつも通り最後の調整をして、抜針後しばらくお休みいただく。ちょうど、多賀フォーの荷物を持ってきてくださった亜東さんがいらっしゃった。荷物を上げたりして、時間が経ったので「いかがですか?」とお部屋を覗くと、「頭痛は収まったけど、まだ目の周りが・・・・」と、大分楽になったが、全ては取り切れていないと訴える。それを聞いた本屋さん、本気モードのスイッチが入った。カチッ。座位にて、頚椎の調整やらを始めている。「最後をどう終えるのか」に興味深々だったのだが、雑用が入ってしまい残念ながら見届けられなかった。 

着替えを済ませ、お部屋から出てきた患者さんのお顔は一時間前とは明らかに違う。事務所の奥でなにやら整理を始めていた本屋さんの代わりに、お支払いをしようとしている患者さんの側へ進んだ。「ありがとうございました。楽になりました」と差し出すお金を受け取ろうと、両手を出す前に、何だか嫌な予感がしたので念のため本屋さんをチラッと見てみた。やはり・・・・。なぜだか、手をヒラヒラ振っている。ついでに首も振っている。そして口は「要らない」と言っている。状況が飲み込めない患者さんは口を開けたまま、本屋さんを見つめ返す。「今日の治療は自分的には納得が行かないから受け取れない」と、お財布にしまうように促す。両手を出す前で良かった、と恥をかかずに済んでホッとしたワタシは、「そういう事ですって(笑)」と、患者さんを玄関へお見送りした。

色んな状況によるが、治療費を受け取らないのはよくある事である。意表を突かれて、ポカンとする患者さんへの対応も慣れてきた(笑)。また、受け取った治療費も懐へ入るよりは、多賀大社のお賽銭に入る事の方が圧倒的に多いように見受けられるのであった。

翌日、本屋さんはこの患者さんへ電話をし、情況を聞いていた。フォローはもちろんするのである。

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2006年9月 6日 (水)

多賀大社フォーラム’06 感想

終ってしまった・・・。二日間なんてあっという間ですね。盛りだくさん過ぎて、一瞬にして過ぎてしまった気がしますが、皆さんはどうお感じになりました??

無事に終了しまして、ホッとしております。不慣れな受付対応で、お待たせしてしまう事も多々あり、申し訳ありませんでした。そうそう、懇親会に移る前に、シュガイザーヘルメットが壇上にあって「あ、出し物だ」と思ったのもつかの間、「うぉ~しまった。朝一だったんだ・・・」と気付きました。ご覧になれた皆さん、よかったですねぇ(涙)。某ブログにお写真が載っていたので、それを見て涙をのみます。

今年は12:30からの本番の前に、プレとして長野先生の狂育講演がありました。お申し込みになった方の内、どの位がお見えになるのかと思っていましたが、9割以上が間に合わせてきてくださいました。東京チームは5時起きですかね。我々4人は本屋さんの車に乗って、2時半に出発でした。朝の準備は大阪チームに任せちゃおうか、亜東さんにもギリギリになるかもしれません、とか言っていたくせに、なぜか養老パーキングエリアで亜東書店さんに遭遇、なんでも関西方面に深夜出立で行く際は、京都のO先生らとともに、途中休憩のお約束場所となっている模様(それにしても平気な顔で400キロノンストップで一気に走るのが皆さん普通なのかしら?)。そして7時にはまだ早朝の厳かな雰囲気の残る多賀の社に到着。スタッフ関係者では一番乗りでした。本屋さんの運転ですからね。

来る途中の車中から朝焼けを見て、非日常的な景色を堪能してきましたが(因みに本屋さんは朝焼けなんて、しょっちゅう見ているから普通だそうです)、やっぱり多賀大社の空気は格別でした。高速を下りて、多賀に近づくと水田が広がります。黄色に色付いてきた穂がひしめく中、空を見上げると「秋だなぁ」と高い空になったのを感じました。そう言えば、去年は地震雲が出ていて、本屋さんが「地震が来る」と断言されていましたが、その通り本当にあってびっくりしたのを思い出しました。

荷物を下ろす前に、まず、参拝を済ませました。神社の中をうろちょろしている内に、おでこを蚊に食われました。強烈に痒かった・・・。近代的な建物が視界に一切入らない角度が多いので、多賀法院の時代から同じ風景かなぁとか、空と木々と神社の建物と足元の白い石の調和の取れた空間を眺めていました。リフレッシュというか、2年目なのでリセットという気持ちで浄化されていく感じでした。

本屋さん曰、「神社は神聖に見えて、実は人の欲望が渦巻く汚い所だったりもする」ということです。正木先生のお話にもあったように、加持祈祷系の神社だけは増え続け、もちろん収益も伸びているそうです。21世紀のこの時代にねぇ・・・と仰っていましたね。「皆欲深いなぁ~」と他人事の金にまみれた世界観を無意識に想像していましたが、そう言えばお賽銭を投げながら「鍼が上手くなりますように」とお願いしたのはこのワタシです(笑)。同類ですね、あはは。「本当は自分を省みて、日ごろの感謝をする場所だ」と本屋さんが言っていた事を今になって思い出しましたです。来年こそは!

さてさて、午前はシュガイザー節は炸裂していたのでしょうか? 受付に追われて、殆ど内容がわからなかったのですが、笑いが随分起きていましたね。先生は来た時はスーツだったのに、なんで出番を前にしてシマシマTシャツに着替えてんだ??と一瞬思いましたです。だって、シュガイザー先生は人前に立つときはどんなに熱くてもYシャツとネクタイを装着します。先月のムシムシ暑かった勉強会でも「汗が搾れる」とお耳まで真っ赤になっても、ラフな格好は致しません。今のご時世、ちょい悪オヤジ風にシャツ一枚でボタンを多めに開けるという手法もありますし、南国風でないアロハシャツだっていっぱい売っていますからねぇ。一度「お話になると暑いでしょうから、ポロシャツの類で良いのでは」と聞いてみたのですが、「お金を払って僕の話なんかを聞きに来てくれているのに、そういう失礼はできません」ときっぱり仰っていましたからねぇ。(本屋さんは本屋さんでネクタイは冠婚葬祭しかしない、形は大切だけど礼儀は姿格好じゃないって主義みたいです。でも大抵黒い服ですねえ)。シュガイザー先生はこの日はわざわざ着替えたのは、レジメにあるように【ろーてく・のーねくたい・ライフ】を表現してのことだったのですね。
そう言えば、全日本鍼灸学会・千葉大会の時も朝一番でも凄い人の数が入っていました。あのレジメは今となってはかなり貴重ですよ。今回手に入った方、和方鍼灸友の会の原点を紐解くこの資料を大切に保管くださいませ。千葉でシュガイザー先生を初めて知ったワタシは、「これで進む方向性は決まった!」と興奮気味に会場を出る際、余っていたこの資料をあざとく見つけ、「友達がこれなくて・・・」とかナントカ言って2冊もぱくった迷惑な奴です(笑)。もちろん、普及活動に使いましたよ。今回においては、皆さんお行儀が良くて、そんな方は一人もいらっしゃいませんでしたね。

さて、シュ先生の講演中に正木先生がまず到着されました。お馬に乗られる正木先生は夏らしく日焼けされていました。先生は猫をたくさん飼っていらして、「魔女の宅急便」の宗教学講座の時も猫の事を随分お話になっていましたよ。しばし、雑談をしながら「授業を持っている、〇〇大学の学生は偏差値は高いけど、マンダラ塗り絵をさせると、≪生きる力≫にかけているのを痛感する」と言った話しを聞きました。ワタシは単純に頭が良いが、人とコミュニケーションを取るのが苦手なタイプを想像しましたが、どうもそういう分かり易いステレオタイプではないそうです。頭がいいので、一見コミュニケーションも非常に上手に取るが、実は希薄な関係を望んでいる・・・、そういうタイプがゴロゴロいるそうです。鍼灸バカといった濃い人間ばかりと付き合っているこの頃ですので、ワタシの周りには見かけないタイプですが、能力があるのにもったいないなぁと思ってしまいます。
参加者のうちの一人が、職場でマンダラ塗り絵をやってもらったら、実はこんな風な傾向が数名に見られた、と先生にお話になっていました。社会生活を普通に送りながら、内面は病んでいるという人間が身近に結構いるみたいです。そういう人にこそ、人に直接触れて行う鍼灸の技術が役に立って欲しいと、正木先生はよく仰っています。

続いて、昆先生がお昼前に到着されました(フォーラムの中身を聞きたかったにもかかわらず送迎をして下さったF先生有り難うございました。この場を借りて御礼申し上げます)。「老中医そのもの」という風貌は一見にして、「昆先生だ!」と分かりました。ロビーでお待ちになるのかと思いきや、シュ先生の講演会場に入り、しばらく座ってらっしゃいました。よく来てくださったなぁ、と感激いたしましたが、これもニコイチの類希なる知識量と熱意が老中医を動かしたのかぁとその恩恵に預かれてありがたい事であると嬉しくなった次第です。講演の内容は、特効穴や顔面神経痛は手術なんかしてもいいことなくて独特な鍼の仕方で治るとかの具体的な話が多かったようですが、「これだけ実用的な医療である鍼灸をもっと自信をもってやっていってほしい」というメッセージが、込められていました。「皆さんがどれだけ勉強なさっているか知りませんが・・・」という耳が痛い言葉も出ていたそうですね。参加者中に「色々な勉強会に行くけど、長野先生の会に来るといつもヘコみますよ。もっともっと勉強しなきゃって」と仰る先生が居ましたが、昆先生に言われるとさすがのニコイチもヘコむのかもしれません。この昆先生のお仕事の一部がいずれ六然社から形になって出版されます。当日は出版予定の本の過激な「まえがき」と「あとがき」、そして昆先生の過去の論文の一部が参考資料として配られました。さっき読んでみたら、経絡治療についてや、刺さない鍼に付いて、1970年代に書いておられるんですね。事務所には、昆先生の過去のお仕事の資料が山積みになっていますが、それらにちゃんと目を通すだけでもワタシは一生かかりそうです。

午後の第二弾は新城先生の講義でした。シュガイザーファンと自ら仰る新城先生は、奥様共々、もちろん朝一からお出ででした。今回は最新兵器を携えての登場です(笑)。虹彩撮影を眼科で使用する機械を使って行い、コンピューターで自動的に虹彩診断を行う、というコンセプトで現在プログラムを作成中だそうです。試しにワタシも虹彩を撮って頂きました。まだまだ改良中という事ですが、この機械が完成すれば眼科医が虹彩診断を使って根本的な治療ができるようになるといった幅広い視野まで組み込んでいるとお話になっていました。「じゃぁ、鍼灸師の出番はなくなっちゃうのですかぁ・・・」と力無く聞くワタシに先生は、「そうじゃない、情報の共有化で広がる事はいくらでもあるでしょう」と≪考え方≫を優しく教えてくださいました。どうも、鍼灸師ってのは資格を取って、待っているだけで仕事が無いと嘆いた挙句に廃業・・・というパターンが多いように感じます。先生のように、医学の東西を越えて、現実的に利用可能な新しい診断方法を提供する域まで仕事をしてしまう、驚異的な鍼灸師は滅多にいないのかもしれません。今回初めて新城先生を知った学生さんは「風貌が鍼灸師っぽくなくて、衝撃を受けた(笑)」と言っていました。「ゴルゴ13に似てらっしゃるから?」と聞いて見ましたが、そうではなく、それこそ≪生きる力≫じゃないですが、力がある人間そのものっていう人と成りが鍼灸師っぽくないらしいです。吹けば飛ぶ~が鍼灸師なのでしょうかね(笑)。ニコイチも飛びそうにないですね。

昨年の実技講演で、後ろの席の方々が見られなかったという反省点を活かし、今年はベットを囲んで一列目は椅子に坐る、二列目は立つ、三列目は椅子に立つ、四列目は机に立つ、といった配慮がなされました。これはとても効を奏し、実技を間近に見る事が出来て実りが多かったと思います。

初日最後の先生は、南谷先生の「楽しい散ずる鍼」でありました。先生にお会いするのは初めてでしたが、年輪を重ねて尚澄んでくる人間性とでも言いましょうか、目下の人間にも常に丁寧に謙虚に大切に接して下さるお心遣いには敬服致しました。実は、5日火曜には先生から六然社にお礼のお葉書が届きました。去年の鍋島先生の時も「やられた!」と大先輩から先に御礼を頂いてしまったことを恥じましたが、今年も二の舞を踏んでしまいました。進歩がない・・・。先生の散ずる鍼を見て、シュガイザー先生が修得しようと取り組んだ散鍼のルーツは「これだったのか!」と感激いたしました。長野/寄金チルドレンであるワタシは更にその親の世代を見た感覚に酔いしれました。先生の手さばきは、本屋さんが言う所の「枯れた技」だそうで、無駄な動きが削ぎ落とされいるモノだそうです。患者モデルさんとの絶妙なやり取りも「枯れた技」の一つであるようにも思え、年を取って磨かれる職業である事も事実だなぁと思いました。普段だったらワタシが教えを請う先生方も、南谷先生の前では参加者の一人ですから、真剣に学生の顔になっているのも思えば不思議な感じがしました。刺絡学会代表とでも言いましょうか、「はい、脱いで」と言われてS先生がモデルになり、「このペンで反応点に印をつけて」と言われてK先生が施術前後反応をチェックする光景なんて普通じゃ見られません(笑)。翌日の講師でもある、大浦先生も借り出されていましたし、南谷先生ワールドに皆が引き込まれた実演でした。散ずる鍼大好き!のワタシにとって、南谷先生との出会いをこの日で終わらせるわけもなく、ちゃっかり懇親会の席上で講習会の段取りを付けておきました。「シュガイザーとの夢の散ずる鍼のコラボレーション」、もしくは「六然・直伝講習会」と言った辺りで実現可能ではなかろうかと踏んでいます。日程は未定ですが、近い将来的には開催したいと思っております。余談ですが、肌の見方において小児鍼の谷岡先生との共通項が随分あることを懇親会でお話し出来た時に伺いまして、肌の見方について少しだけ核心に迫れた気がしました。

これでもまだ1日目の途中です。全3回ぐらいでお伝えする感じになりそうです。

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