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2006年10月14日 (土)

今度の診極図説は美味しい!

本屋さんの、無言だけど有無を言わせないプレッシャーが効を奏したのか、10/18、12/20のシュガイザー先生の講座は美味しいですよ、皆さん。なんと腹部打診の実技付き!

そもそも、「なんで『診極図説』が必要なのか?」という事が分からなくちゃイケナイということで、「1回目に実技を見てもらったら理解できるだろうから」と先生からのありがたいご提案で実現したのであります。我々鍼灸師は薬を使うわけではないのであって、この『診極図説』の腹診を鍼灸にどう応用できるのか、といった一つの答えをご覧頂ける会となりそうです!!!  先生によっては、腹診の本を「ああ、あれは薬のものだからねえ」ですましてしまう人もいますが、そういう人種をニコイチは「思考停止」(つまりバカ?!)と笑っています。そこに宝があるのに分からないのは勿体ない「生きてるうちに頭を使わなくっちゃ!」本屋さんの口癖であります。

シュガイザー先生の打鍼はなんと、本屋さんもちゃんとは見たことが無いそう。ワタシももちろんありません。本屋さんに言わせると、シュガイザー先生は、「六王鍼的打鍼」、いわば太極療法的打鍼というものを考えているとの事。そこを原点に、夢分流や、意斎流、そして多賀法印流の打鍼へと展開して行けるような、いわば『意仲玄奥』(日本腹診の源流)を基本に据えた、お腹から見る人体宇宙、そこへ旅立つ宇宙戦艦大和ならぬ、槌と鍼、そして具象から抽象へと変身して行く「虫」、それらを全て見渡す神の視点としての針立て達の想い、そうしたものの流れの中に『診極図説』も『百腹図説』もあるそうです(by本屋さん)。

 最近、ワタシは「長野仁先生の研究のまとめ」と称して、《日本独自の鍼法 腹診が生まれた背景》を自分なりにまとめてみまぴた。って、先生の論文をツギハギしただけだけど。先生には今年に入ってからずっと、毎月のペースで勉強会をやって頂いていますが、それぞれ別のテーマでありながらも底辺に繋がる「何か」を漠然と感じつつも、掴みかねていたものがございました。先生の論文にある、《腹診》に関連したものを拾ってみたら形が見えてきたのですねぇ。ようやく。

以下の項目でまとめてみました。
鍼灸の受容の経緯:約1500年前に日本に入ってきた「中国鍼灸」がどのような遍歴を経て現在に至ったのか。シュガイザー先生の言葉をお借りすれば「歴史的存在でもある伝統医学の文献を紐解く上で注意しなければいけないのは、それらが執筆された状況、つまり時間軸と空間軸をはっきりさせなければならないという点である。時代と風土を考慮しなければ正確につむぐ事はできない。そのためには、医史学的な研究が不可欠となってくる。」ごもっとも。
鍼灸書の閲覧場所:ココに行けば全てが揃っている、という図書館や文庫が無いのが実態だと、確か『日本腹診の源流―意仲玄奥の世界-』か、『皆伝・入江流鍼術』の講義の際に嘆いていらっしゃいましたよねぇ。
藤浪剛一博士  ~杏雨書屋に鍼灸書が集まった経緯~:パクリ元の先生の文章に出てくる小川春興という名前に引っかかったので取り上げてみました。『本朝鍼灸医人伝』『最新日本鍼灸学初歩』を著述されたそうですが、その後自殺されたとか。今気付いてしまったが、ワタシと同じ年齢じゃないかぁ。この年にして、こんな偉大な事ができてしまったのか・・・・。本屋さんお勧めの『帝国鍼灸医報』という雑誌にも、このお名前が出てくる。「関東のあるごくごく一部の歴史にすぎない」と本屋さんが称される『昭和鍼灸の歳月』とは違った昭和鍼灸の歴史には欠かせない人間だと聞いている。余談であるが、せんだって母校のT先生へ『いぶき山艾』という貴重この上ない本のコピーをうちの本屋さんから預かって、贈呈しに行った際に「杏雨書屋にもあるんだそうですが、それよりも綺麗な状態の物を手に入れたので寄付します」と告げると、なんと杏雨書屋をご存知ないようであった。医者の鍼灸は伝統には縁がないのかなぁと思ったが、ワタシの発音が悪かっただけかもしれない(笑)。
仏教医学:これぞ、ずっと不思議に思っていることであった。一年前からシュガイザー先生にくっついて、正木先生の宗教アニメ講座等にも出ているが、「なんで宗教なんだろう」とたまに頭をよぎった。単にシュガイザー先生がアニメ好きなのかな、と深く考えなかったが、ここが非常に重要なキーになる点だと気付いたのは、シュガイザー先生の勉強会でチラホラ見える仏教思想の影からだった。またも、先生の言葉を引用すると「鍼立と呼ばれた室町から江戸初期の鍼灸専門医達は、仏教的な医学思想を中国医学の中へ完全に入れ込んでしまう役割を担ったのではないかと考えられる。なぜならば、当時の医師は概して僧侶であったからである」、これが①にある時間軸=時代である。
本屋さんが勉強会の中で随分と補足解説してくれた【「阿」字・五輪の発生学】。シュガイザー先生には【五蔵・五大の解剖生理学】絵巻物の見方も習いましたねぇ。参加者の多くが「へぇ~」を連発していたのと、実際に五蔵絵巻を見せて貰ったのが思い出されます。この、「五蔵絵巻」も先生の造語なんですよ。ネーミングが的確ですよねぇ。個人的には「モノを完璧にイメージさせる名前を付ける事が仕事の第一歩だ!」とうるさく言っていたじいさんを思い出します。【三尸・諸虫の病因論】は九州博物館の『針聞書』に重なりますね。絵本の発売はもうすぐなのかなぁ。

以上、3つの【 】のトピックをまとめてみたのですが、ようやく入り口が分かったぞ、という程度であってもその後に続く世界観が前よりもはっきりしてきたぞ、って感じです。
「五蔵六府図」の伝来:中国のと日本のってかなり表現が違ってくるんですよねぇ。④の仏教医学が随分と入ってきた世界観がしっかりと出てきているのだそうです。本屋さんは「日本に伝統鍼灸は無い、という認識からスタートするべきで、じゃぁどこから探るかと言えばせめてこの時代だ」と仰っています。
『医家秘方』解剖図構成の詳細:これは多賀フォーで配った資料の解説だす。典型的な資料のようなので、解説を載せてみました。
腹診の萌芽
脈診の再認識も金瘡と五臓論から
最古の腹診文献
静的な内景図から動的な腹位図へ:先生の造語「腹状図」「腹位図」という単語は、なんと上手に、的確に表現されている事でせう、と感激しました。これらのカテゴリー化で見えてくるモノが腹診の鍼灸への応用→打鍼なのでせう。
腹診を先取りしたのは鍼か薬か:締めも先生のお言葉で(笑)。「腹診の歴史を概括すると、本道以外の鍼を含む雑多な領域から発生し、鍼用(腹位図)と薬用(腹状図)が同時に出揃い、薬用はすぐに廃れ、鍼用だけが残って雑多なバリエーションが生じた。のちに鍼用を薬用に改変したものが出現し、しばらく鍼用と改変薬用が併存する。そして、薬用が独創的に再発見され、今度は薬用が全盛となる。この段階になって、仏教医学が完全に中国医学に吸収されたと思われる」とあります。

この腹診から日本独自の鍼法・打鍼が生まれるのですが、その点は講義で解説されると思われます。シュガイザー先生の打鍼の道具はどんなのだろう? 以前に解説されていた募穴の使い方もおしえてくださるのかなぁ? 冷えなければ、ワタシのお腹を提供したいところなんですけど、きっと無理だろうから残念。どなたか立候補してくださいね。

今までの勉強会の総括も実は入っているのが腹診、打鍼に続く『診極図説』なんですね。今回がいよいよ応用編ですからね。臨床にどう活かすかの最大限のヒントを頂けそうです!もうちょぃっと、ちゃんと知りたいと思った学生さんは図書室に行って、鍼灸OSAKAに載っている論文を探して見てから当日に望まれるとイイかもしれませんよ。

さて、こんな機会は又とございません。先生も「二度と打鍼はやりません」と仰っています(笑)。お申し込みの皆さんの誰もが、今日の今日まで知らなかったことであります。ここはみんなで幸運を享受しませう。
ここまで読むと、「私も入れて!」攻撃が絶対に来るかと思われます(笑)。締め切りも過ぎていますが、こうなったら特別に枠を広げちゃいましょう。手配師アンジェラの独断です(っていつもだけど:笑)。事前に「実技公開」としていませんでしたからね。参加希望の方は大至急メールを下さいませ。

   『診極図説』 長野仁先生による 

          

      新刊記念解説講座

今秋、六然社より発行予定の腹診医学書『診極図説』をテキストにした全2回の講座を行います。1回目の10月は『診極図説』が書かれた当時の背景の解説と歴史的意義を解説いただきます。2回目の12月には本をテキストとして配布し、実際に『診極図説』を読んでいきます。

●日時:1回目 平成18年 1018() 16151815 

    2回目       1220() 16151815

●講義内容:『診極図説』

●参加費: 15000円 (和方鍼灸友の会会員 11000円) ※書籍代 5600円を含みます

●定員  : 40名 

●会場  : 代々木近辺  ※詳細はお問い合わせメールにてお送りします。

《お申し込み方法》

こちらまでメールにてお申し込み下さい。予約完了の返信をこちらからさせて頂きます。※FAXでもお受けします。03-6279-5102 六然社 担当山本

予約完了後、下記口座への振込みをお願いします。

 ※お振込み期限10月11日(水)

 

 郵便振替: 口座番号   

0130-5-351212  和方鍼灸友の会

催: 和方鍼灸友の会  

後援: 六然社  

担当: 山本綾乃

● 『診極図説』ってどんな本?? (解説by本屋さん)

『診極図説』の著者瀬丘長圭について、浅田宗伯の『皇国名医伝』には次のように書いてあります。 ……長圭は江戸の人で、吉益東洞に東方の一人と評価された。診断は腹診を専らとし、常に「腹候と外証とは表裏をなすものだが、外証はいろいろあって惑いやすいのに対し、腹候は一つで間違いがない。だから腹診を優先するのだ」といっていた。また「医に方極・証極・診極という三極がある。診極とは腹診のことである」といって『診極図説』という著述をなした。その書には腹診法および治験が詳述されている。その術大いに広まるに至らずして、中年にて没した。」…… また、『日本漢方腹診叢書』(オリエント出版社)中の松本一男先生の解説には、「吉益東洞の弟子、瀬丘長圭は異色の注目すべき腹診法の開拓者であった。彼は『診極図説』二巻を著し、いわば科学的な腹診法の体系化を模索した。たとえば、柴胡桂枝湯ならば、どの様な腹証の場合に用いるべきかというような具体的問題について、多数の患者の臨床例を統計的、帰納的に検討して最良の結論を導き出そうとしたのである。この一例をとりあげてみても、古方派をつらぬく「実事求是」精神を明瞭にうかがうことができる。稲葉文礼の『腹証奇覧』や、その弟子・和久田叔虎の『腹証奇覧翼』などは、この傷寒論系の腹診書の代表作と見なしうる好著であり、いずれも瀬丘長圭の説を継承、発展させたものであった」  とあります。しかし、どうやら、実際に『診極図説』を読み進んでみると、瀬丘長圭の目指したのは、単なる処方の為の一対一対応の腹証探求ではなく、深い人間理解に基づく直感を重視した腹診だったのではないかという見方も出来るそうです。 事実、『診極図説』の発行は、瀬丘長圭の没後なのだそうですが、色々な事を勘案してみると、長圭存命時にすでにこの書はあり、門人達には、門外不出として読まれていたものと想像できるとの事でした。

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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