本屋さんの近くにいると、色んな事があります。キレイ事で繕わない、体裁を気にしない、問題点をぐぃ~っとえぐりだし、本質をズバッと鋭く突きつけるのが本屋さんの性分です。フリーライターを実はかなり手広くやっている(芸名は多数お持ち。ついでに記念写真はヤバい世界の大物から宮様まであるようでそれこそ治療院に貼り出せばスゴい誤解を生むのでは…:笑)、本屋さんの仕事を覗く度に、ジャーナリストとはこういうものかぁと分かってきました。ご本人は「鍼灸や~なりすと」と自虐的に称されています。
さて、鋭い毒牙に当たった人々の反応は大体同じです。反論を直接やり取りする気は起こらないようで、大抵地下に潜って「陰口」を展開します。本屋さんのたっての希望であるディスカッションが実現しないことが多いのです。何故でしょう。(シュガイザー先生も悪口を言われるようになって本物とも言ってますが)
例えば、講演をされる時などに出てくる鍼灸業界にまつわる裏話。初めて聞くと衝撃的です。特に従順な学生の方にとってはその傾向が強い。しかし、社会人経験を経てしっかり社会を見てきた学生さんは、ショックというより「ごもっとも」と相槌を打ちまくり、ファーストコンタクトにしてファンになってしまうことが多く見受けられます。
先日の福岡講演の後日談として、某学校から電話が事務局に入ったことをブログにあえて載せてみまちた。「素晴らしかった!!」と興奮冷めやらない受講者が多いでしょうが(もっとも賞讃をそのまま真に受ける程本屋さんもお人好しではありませんけどね;笑)、毒のある話を聞きながら嫌な気持ちになった方はやはりおいででした。本屋さんも講演の中で、「ある人にとっては気分を害する話でもありますから」と前置きをされていましたね。実は事務局に電話が入った瞬間、ワタシはあの場におりました。事務局のレベル3氏の返答でどういう内容かを推察するのは容易であり、迷える学生のためを想って電話を掛けてきたというのは手に取るように分かった次第でございます。
「何も知らない学生に・・・」という先生の主張は、現代の甘い子育てに共通するように思えてならないのはワタシだけでせうか?育ちきらない大人がする子育てそっくりです。しかも学生は子供ではなく、20歳を超えたイイ大人です。自主性を育てるのに情報規制は要りません。「あのオジサン、色々変なこと言ってるね。自分の頭で考えよう」で良いではありませんか。
ワタシが思うに、皆さんが鍼灸師を目指して資格を取ろうと思った瞬間に思い描いた姿は雇われ鍼灸師ではなく、開業鍼灸師だったのでは??だって、世の中の鍼灸院は殆ど一人で切り盛りしていますよね。その姿を見て鍼灸師になろうと思った人が殆どでしょう。脳裏に浮かんだのは一国一城の主の姿だったのですよ。たまに病院に入っている鍼灸師を思い描いた人もいるかもしれませんが、病院に入れる鍼灸師の数は限りに限られているのが現状で、よっぽど優秀か、よっぽど強いコネがあるかという一般には開いていない門戸です。因みに雇われ鍼灸師のメッカである整骨院の鍼灸師をスイッチマンと呼ぶのはご存知ですか?求人数は圧倒的ですがその反面、回転が良い、つまり「虚しくなって」辞めていく鍼灸師が後を絶たないので求人が絶えないというのもお忘れなく。
「一国一城」を「一刻一畳」、つまり「ベット一台一時間で○○円」とちゃかしているのも本屋さんですが、ベット一台からスタートの開業したての鍼灸師や、出張でとりあえず始めた卒業したての新米鍼灸師が切実に思っていることは「どうやったら生計が立てられるか」だというのが、卒後1年目のワタシにはよ~く見えてきましたよ。現実が見えてきたと言い換えられますね。なんで卒業して大海原に出てみないと実感が沸かないのかと言えば、簡単です。学生だったときのフィールドは「学校」であって対象が「先生」に認められることだったのに対し、鍼灸師のフィールドは「世間、社会」であり、対象が「私以外の他者」にどう認められるかだからです。
学生のときに世間を見せてくれる先生があまりいないんです。口では「現実は厳しいぞ」と言ったところで、具体的な細かい話がでてこない。まぁ、自分が世間に歩みださずに学校へ戻ってきているんだから、具体的な話は分からないんですね。漠然と不安感を煽るぐらいしかできない。学生の視線を自分の所で止めてしまって、その後ろに果てしなく続く世間を遮断してしまう壁とでもいいましょうか。安くないお金を払ってもらうには、何かを認められないと次ぎはございません。成功している鍼灸師を思い浮かべてください。抜きん出た人間というか、強いキャラを持ってませんか? キャラは一日にして成らず、また、誰かがお膳立てして作ってくれるものでもありません。自主性という自分の中にある柱から、知らず知らず自分で作り上げていった結果です。
そもそも。鍼灸師は自分以外の全人類を顧客層に狙える恐るべき職業なのです。だから、「乞食か大名」に分かれる。認められれば顧客層は全人類。裁ききれないぐらい押し寄せます。が、誰にも認められなければ顧客がいないのですから収入源がありましぇん。裸一貫、自分自身が商品です。ですから鍼灸師は経営者でもあるのです。自分をマネージメントして世に売り出す、意識するともしなくとも、患者に売り込む側面が必要です。
これって、営業職にも匹敵します。経営者であり、敏腕営業マンのセンスも必要です。あぁ、大変になってきましたねぇ。他人から情報規制を受けて、自分の頭で考えない人間がやっていける職業だと思いますか?臨機応変、適宜切り抜ける能力、これを育てなくてどうするんですか、先生。それでなくてもマニュアルで育った人間の思考回路から逸脱する様々な出来事が日常的に繰り返されるわけですよ。なんてったて、全人類が顧客層ですから、65億分の1である自分の固定概念を超えるものなんか普通に出てきます。その都度上手く切り抜け、次につなげる能力こそが鍼灸師を続けられる原動力です。だったら頭を開発してあげなきゃ片手落ちです。「どう考えるか」の回路を沢山作り上げてあげなきゃ、臨機応変に対処できません。先生の得意なレールを敷いてその上を歩かせるのはのは簡単ですが、行き着く先はどこですか? 「後は個人の能力だ、健闘を祈る!じゃっ」では、本屋さんがよく例える「神風特攻隊」「学徒出陣」、行ったきりの片道切符と同じです。砂利道、ぬかるみ、コンクリート・・・色んな地面を捉えて歩くには一つのセオリーでは絶対に無理。だけど、一つのことから応用させる頭が出来ていれば、そこから無数に自分で生み出せるのです。これが能力であり、子育てでも大事なポイントだとワタシは本屋さんのやり方を見ていて思うのです。鍼灸師の資格を取らせる=国家試験をパスさせる、のが学校の一番の目的であるのは仕方ない。それは譲ります。だけど、職業に出来る、食べていける鍼灸師をを育てるのが先生の仕事じゃありませんか? 先生の実績はこの点で判断されるべきだと思います。カルチャーセンター気分なのは学生だけじゃないし、殆どの先生が「自分は就職担当じゃない」と、「食べていける鍼灸師養成プロジェクト」には関係ない風に仕事をこなしていませんか? 誰が責任を負うのか明確じゃないから、先生も曖昧にこなせるんでしょうね。就職先を用意しろと言ってるんじゃないですよ。自力で掴んでくるように仕向けるのも教育の方向性なんじゃないでしょうかぁ。
その点、本屋さんは大変立派な教育者です。逆説的に言えばね。しかも、毒を除いてよくよく聞いてみると、「○○もありますが、△△もあります。この違いは・・・でとりあえず試してみたら」という風であったり、「××はおススメしませんが、こう捉えるなら価値があるかも」とかであって、「これだけやってやっていれば大丈夫(真意:オレの言う事だけを聞け!)」とは絶対に言いません。だから「俺についてこい」的なものを求める人にはもっともキビシい教育者かもしれません。突き放して「自分の足でちゃんと歩け」って言われるわけですからね。
もっとも本屋さんが「これを練習すると良いよ」と言った事を半年続けていた鍼灸学校の一年生が、(患者さんの皮膚を読むレベルには行かないものの)手の動きそのものは、ほぼ本屋さんが福岡の講演会でも70人にやってみせた散鍼の動きに近いものができるようになっているのをワタシは見ています。たった半年ですよ! 「学生の為」とかいうのでしたら、その位のスキルを学生に身につけさせてこそ初めて言えるものじゃないでしょうか? 少なくとも、口先だけでなくそういう風に身体を作る教育法を持っているのは、シュガイザー先生と本屋さん位しか今の鍼灸界にいない気がする・・・。 もちろん「動きが出来てからがスタート」だとは本屋さんも言ってますけどね。
なんとか会の会長とか何の肩書きも組織のバックもなく、腕だけで患者さんと一対一の勝負をして行くのが鍼灸師です。自分の業界ばかり見ていて、振り向いたら患者さんは待っていないという先生じゃねぇ、「何のノウハウを提供できるの?」と聞いてみたくなります。まぁ、どこかに所属していれば業界同士の横のつながりで多少は患者さんが来るでしょう。でもきっとたまにです。それよりも何よりも、患者さんが連れてくるのが一番多いでしょうし、それが一番確実に定着するのです。「この先生いいよ。是非行ってみなさいよ!」という太鼓判をもらって戸を叩いてくる患者さんは、それだけで治るモードに入っています。大船に乗った気になって来ます。同じ治療をしても、マインド的に勝算がぐっと上がるものです。そうやって、患者Aルート、患者Bルート、患者Cルートと、頼んでもいないのに増えていくものなんだと本屋さんを見ているとはっきり分かります。治療院を経営してきた経験もない、確実に使えるスキルを提供するノウハウもない先生って意外と多い気がします。サラリーマン鍼灸師と自分で経営をしている鍼灸師から出てくる思考回路は全然違います。場数を踏んだ対応能力が全然違う。これじゃ、卒業したらどう切り抜けていくかっていう、「自分の足で歩いていけ」教育が出来るわけがない。自分が避けて、やっていない道のりへの対処法を教えることなんて誰だって出来ません。
毒気を撒き散らす本屋さんの本質の部分が見えてこない人が要所要所に現れ、ワタシはあごが外れてしまいそうです。ワタシが社会人になりたてだった20歳からの3年間、同じ職場の70を過ぎた爺さんが毎日毎日「人の本質を見なきゃダメだよ」と人生を切り抜ける5か条を教えてくれました。ついでに毎日毎日「顕微鏡のレンズがどう作られるか」「焼き芋の美味しい作り方」「少年時代の思い出」「ヒステリックな奥さんの愚痴」等、繰り返された話題は沢山あります。当時は「本質」という言葉を漠然と受け取っていましたが、なんとなく頭にこびりついたこの言葉の意味が、六然社にいるとよく見えてくるのです。
鍼灸師という職業を選ぶなら、まぁとにかく、患者さんを納得させらるモノを持っていないと続きませんね。それが何で有っても結構ですが惹き付ける何かがなければ絶対に紹介しようなんて思われません。しかも、鍼灸師は「先生」という職業ですから、まず、他人から見える(認めずにいられない何かを持った)存在感が確立していない顔なし君では土俵に上がれません。やっぱり自己主張ができないとダメなのです(※他人との協調性がないのを自己主張とはいいません)。業界の裏でもなんでも見せてあげて、ありとあらゆる情報の中から自分で取捨選択して行動させる自主性を育ててくれる先生は普通学校にはいません。なので学生の皆さん、しょうがないから、自分の頭で考えて、自分で自分を育ててください。
鍼灸学校の先生方は胸に手を当てて考えてみて下さい。ご自分の同級生達の何人が「開業して成功」していますか? 他人に教えられる程臨床経験がおありですか? 開業して世の中と向き合って勝負してみた事がありますか? 学生なんて弱いもんで特殊な人を覗けば(笑)先生の言う事を聞くしかないんです。 現実に気がついて随分遅すぎたスタートを切るのが殆どです。 シュガイザー先生は、のべ約1万人(正確には9600人代だったように記憶しています)の患者さんを診てから開業したそうです。 本屋さんも嘗てお寺でのボランティアで数千人を診ていたようですし、最近またそれを復活する事になり(理由があるのですけど秘密)、でワタシも邪魔にならない程度に付き合わせて頂くことにしました。 ニコイチは、鍼灸界の暗愚主義にはひたすら攻撃的ですが、鍼灸治療を受ける庶民への施術にはサービス精神満載です。 福岡で「患者様」と呼ぶ事への批判話を聞いても、その精神から学ぶものは沢山あると思うのですけどねぇ?保身ばっかりで嫌だわぁ。
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