癒しと治し
先日、ある先生とメールのやり取りをしていた中に「アロマも使う○○先生は、癒しではなく治しをしていますね」という一文があった。
この韻を踏んだ言い方に「うぉぉ~これだよこれ。ワタシが目指そうと思ったものは」と感激した。今までつべこべ説明していたが、このキーワードで全て解決だ!! イタダキっ。って感じであった。
アロマ業界から鍼灸学校へ入る動機は、どうせ人の身体を触るんだから治す領域に手を出したい、というものだった。触りながら、こっそりアレコレ治せたらいいなぁ、小人がコソコソ夜中に修理するみたいで、ちょっとしたイタズラっぽくていいなぁと思っていた(もちろん今も)。お顔のエステをやっていた時に、「今日は頭痛がする」と言われると、首や頭皮も何気なく一緒にマッサージして頭痛を楽にさせるのが快感だった(笑)。が、今思えばあの頃は「循環が良くなればいいのだ」という筋と脈管レベルでしか身体を見ることができなかった。今はもう一層違うもの、骨と膜というレベルがあることを知ってはいる(そう、知っているだけ;涙)。
実は、これを体現する人がいる。本屋さんである。皮膚、肌肉、筋、脈管、骨を全部網羅する治療を組み込んでいる。そして、患者さんが女性の場合は、こっそり骨盤を調節してウエストを締め、首の調節がてらにこっそり小顔矯正と言えるものをしている。これは美容の観点から行っているのではなく、あくまでも治療の一環なのだが、敢えて患者さんには「ウエスト締まりますよ、小顔矯正しますね」とは言わない。こっそり治しておく。顔をいじれば感覚器官の諸問題が解決するし、骨盤を整えるのは必須と言えるほど治療のキーになる。
顔の左右差を非常に気にしている、過去に顔面神経麻痺を起こされた女性だけには、納得させるために説明していたっけ。治療の度にいつもやっていたのだが、患者さんの意識上に「小顔」という魔法の言葉が昇ると、女性は真剣になる。この相乗効果と来たら、あら不思議(笑)。「いつもより動きの悪い目と口が開けやすい!」と反応がめちゃくちゃ上がる。「顔が引き締まった。また次回もこれをお願いします」とルンルンしてお帰りになった。
巷には骨盤矯正・小顔矯正と大々的に宣伝し、心理作戦で成り立っている治療院(無資格系に多い気がする)が乱立しては消えていく。短期決戦の経営テクニックとしては悪くないのかも知れないが、宣伝すればするほど、無い技術を隠そうとしているようにも見えてくる。とりあえず洗脳作戦で場を繋ごうというのか、施術前後の写真は笑えるぐらい大袈裟だ。が、コンプレックスを持った女性の行動力は侮れない。飛びつく女性は意外といる。しかし、数回は続いてもずっとは来ないに違いない。人は簡単に騙せるが、騙し続けるのは難しい。
そういえば、先日。来年の春にウェディングドレスを着る女性がウェスト周りをどうにかしたいと本屋さんに訴えていた。「10分で減りますよ」と簡単に回答する本屋さんに、その女性は藁をもすがる勢いで「お願いします!!」と頼み込んでいた。
彼女がベットに横たわる前にウェストを測ることにした。実際に本屋さんが骨盤を調整するのはずっと見ているが、測るのは初めてだったので期待が増す。「えぇ、測られたくないっ」とお腹を隠す彼女に、「紐ですから、何センチかは分かりません」と本屋さん。あ、メジャーじゃなくていいのか。これって素敵な配慮だわ、と内心さすがだなぁと思っていたワタシ。お臍のラインと、上前腸骨一番高いラインで測って紐に印をつけておく。
横たわった彼女の脚を動かしたりすること10分弱。さて、計測の時間。まずお臍から。
《ひえぇ~。増えてる。明らかに3cmぐらい。まさか、本屋さんでも木から落ちるのか??》と、「増えています」と言い出せずにオドオドしてしまったワタシを見て察したのか知らないが、「お臍周りは増えるかも」と敗北宣言(?!)をする本屋さん。
この言葉に救われて「あ、増えています」と切り出すと、彼女は「えぇ~!!」とショックを隠し切れない。減ると思っていたのに、そりゃそうだろう・・・。
この空気を消し去るべく、慌てて上前腸骨の方を測る。こっちは4cmぐらい減っている。《やった~。空気を変えられる!!》と意気込んで、「減ってますよ」と告げると、彼女は飛び跳ねて喜んだ。しばし喜びを共有するとお互いに疑問が・・・。
どうしてお臍周りは3cmぐらい増えたんだろう??
「それはですね。言いにくいんですけど、余計なお肉が上に上がったってことです(笑)」と本屋さんがニヤニヤして種明かし。なるほどぉ。お肉は減らないわけね。当たり前か。でも、骨盤の上に上がったお肉は取れやすいんじゃないかなぁと思ったりもした。なので、ウエスト調整を数日置きにやって、そこそこ食べ物を減らしたり、運動をすれば案外簡単に細くなるんじゃないかと。
本屋さんは「結果として患者さんが楽になれば良いんだよ」としか言わない。施術の方法は鍼灸でもいいし、手技でもいいし、言葉だって良いんだということである。常に非常事体制を頭に置いて考える本屋さんのお好みとしては、「何も無かったら?」という前提で手技が一番に来る。それをワタシもマネっこしているつもりだが、お寺の治療会の時、3時間半で17人を一人でこなした日は、「鍼が出来て良かった」と心底思った(笑)。臨機応変、どんな状況でも対処できる引き出しが多い事が大事なんだと、言われたことを思い出したっけ。
痛がらせる、熱がらせることは意図的に避ける本屋さんの治療は「癒し」というより、「極楽」という感じ。終わった後の患者さんを見るとそう感じる。「極楽」と「治し」が共存する本屋さんの治療はやっぱり名人クラスだと思うのだ。それはやっぱり、《骨と膜》が見えるからなのではないかと睨んでいるが、この辺りの入り口は合宿の時に出るに違いないと、今から待ち遠しい28,29日なのであった。おしまい。
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