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2007年12月29日 (土)

12月22日 鴻仁先生講義感想

 歳末特別講演の初日、鴻仁先生こと長野仁先生の講義がございました。またも全国からご参加頂いた皆さん、来た甲斐があったでしょ(笑)。今回のテーマは『東洋医学と心の問題』。さて、どう切り口を持っていかれるのかと楽しみにしておりました。

 東洋思想では、《身心》、つまり身体に重きが置かれており、これが現実だとまず説明。望診にしたって、観相、手相、これらに共通しているのは「身体を観ている」という点。そして、《心身》、これは理想を言うのだそうです。「武士は食わねど高楊枝」というのは、食わないのが現実で、それでも高楊枝をくわえている見栄という心の状態でしょと。

 この説明を聞いて、ハっとしましたワタシ。この秋に吉野のお寺で断食しながら修行の真似事みたいなことを体験して以来、「身体を使った行の意味」をちょっぴり考えていたのです。身体を使う修行(荒行)を実際にされた僧侶の手記なんかを読んでみますと、ある種のパワー(超能力と言えますかね)は、身体を酷使の上に更に酷使した所では案外誰にでも現れる再現性があるんだそうです。「誰にでも」です。例えばチベットの山奥、空気の少ないところで、10往復も数10㎏の水汲みをするとか、不眠不臥で飲まず食わずもその一環だそうでした。「誰にでも」なので、ワタシもやればその仲間になれる可能性が大なのですが、そんな過酷なことやれないと諦めてしまう所が凡人のまま生涯を終えるであろう由縁です。一見無茶苦茶に思える行にも意味があるそうなんです。「やれないよ」と思ったりするのが人間だけど、死にそうなくらいになってやり終えた時に手にしているものがちゃんとある、と書いてありました。ここでポイントなのは「頭で考えても得られないけど、身体を使えば得られる」と言う点です。過酷な状況を身体に作り、それを通った人間だけに現れる特殊な能力。これは、《選ばれた者(誰に?;笑)》的なものではなく、とにかく、誰でも、そこまでやれさえすれば得られるものなんだそうです。次の日の本屋さんの講義でも、長野先生のテーマを受け、こういった話題が出ていました。本屋さんの紹介した資料にあった、湯浅泰雄先生、竹内敏春先生、そして十万枚大護摩供をやりきった僧侶に密着していた藤田庄市氏のルポ等を読むとさらに納得できます。

 一方、今流行のスピリチュアル系はこんなしんどい事をせず、「貴方が考え方を変えれば、新しい自分と出会え、更に他者を思いる心があるなら癒しのパワーを与えましょう」といっているような気がしてます。その過程では身体を使う事はなく、ありがちなのは心がしんどい、心じゃなくて頭かも知れませんが、要は頭を使ってグチャグチャと考える事を促します。「今現在の不幸(悩み)は過去の何に起因するのか」を、ドンドン掘り下げていく過程などは《気付き》を促す為には必要とされていますが、《気付いた》ところで解決法を得たわけじゃないので、行動に変化を起こせないから意外と失敗するんですって、本屋さん曰く。 散々時間を費やして出来てきた事は、単に自分に都合の良い言い訳を作り上げただけだったとか。そして、椅子に座って、たまには寝転んでだって、悶々と考えていることが《魂のステップアップ》的な考えに繋がることだってあるわけです(ホントか?)。ロールプレイゲームのようですね。彼らが出会う「新しい自分」。これは単に妄想ではないでしょうか。ワタシ的にはここにどうも「言葉遊び」的な《思い込み》があるんじゃないかと思えるわけです。

 リアリティは身体にあるんだということをここ1、2年でひたひたと観じます。本屋さんがいつも言いますね「肉体離れて伝統なし!」……。長野先生も東洋医学では「身体」がメインだ、と明言されていました。現代社会における諸問題の数々、実は身体を動かさなくなったことが根っこにあるんじゃないかと思えるものばかりです。例えば環境ホルモンのせいにされている精子の数、動きの低下なんてのも、本屋さんに言わせれば「身体を使わなくなっただけ。自分が運動しないのに自分が作るもんが動くわけないじゃん(笑)」と。実際に不妊治療を受けていた友人のご主人も相当低い数値だったそうですが、バスを使わずに歩くようにしただけでグンと増えたとか。キレやすい若者にしたって、身体をへとへとになるほど使わないから、余剰に溜まってしまったエネルギーが爆発してしまうんじゃないかなぁ。後は、食べ物の関係も深いですね。動と食が身体に及ぼす影響ってものすごい事です。

 身体の限界を追求する事の意味、つまり死ぬほどの修行が行われてきた必要性、それを通してしか得られないものがあるからこそ、今尚、そのテのものってなくならないんですね。思い込みヒーリング療法に安易に走る前に、そういう世界がちゃんとあることを知っておくべきだと次の日本屋さんは声を大きくしておっしゃっていました(実際に何種類かやったことがある模様)。「みんな結局奇跡が欲しいんだよ」と本屋さんは常々おっしゃっています。安易なヒーリング療法にはまりやすい方を見ていると、自分を特別視する感情がベースにあるように思えてなりません。そんでもって、長野先生は「僕は技術者ですから」と自分のことをおっしゃいます。「僕の手で作った動き、震動が患者さんの身体に作用を起こしているんですよ」と先日見学させてもらった時に患者さんに説明されていました。「技術者」発言にワタシはピクっとなってしまいました。ナント潔い。治療家と奢ることなく、技術者。「鍼を打つ」、のは技術者だ~と妙に納得しました。(本屋さんは「職人」っていいまぷ…)

 余談ですが、吉野のお寺で指導に当たられていた僧侶の治療をする機会がありまして、その際お腹に触ってびっくりしました。思わず手を引っ込めてしまいましたです。「僕ね、以前飲まず食わずで7日間の行をやってから、お腹の肉が無くなっちゃったんです」と笑っておっしゃるんですが、その皮膚の下の状態は一般人では触った事のない感覚でした。「水も飲まない塩もないなんて、まずいですよ」と思わず口走って後悔しましたが、死ぬほどの(死ぬ場合もある)修行ってやっぱり身体に悪いじゃないか、とワタシ的には思ったわけです(笑)。

 さて、配られた資料にはクリスマスにちなんで、五行のクリスマスツリーの図がありました。以前、色体ちゃんで説明してくださった時よりもより簡素化した図です。この図だけを見てもサッパリ分からないのですが、先生の説明を聞くとその図が生きてくるんですねぇ。簡素化したものって、実は色んな発展形をその上に乗せられるんですね。ああも説明できるし、こうも説明できるといった、東洋医学の複雑さを説明するのにはぴったり。東洋医学を熟知されている鴻仁先生からアウトプットされた図ですもの、当たり前か。

 先生は、色体表を「一覧にして覚えやすくした、圧縮データー」と説明されました。「だから、そのまま使おうとしても無茶なの、解凍しなきゃね。言葉と言葉のつながりが説明されていないんだから」と。例えば、肝=怒=イライラ。この=の部分、言葉の接着剤を今回の講義では沢山お話になっていました。あ、因みに「色体」というのは健康体を指すんだそうです。で、反対語は「爛体(ただれたからだ)」って言うんですって。初めて語源を知りました、っていうか、「色体」という言葉を鵜呑みに使う事に何の疑問も持っていませんでした。いつも気付かされますが、思考停止ばかりのワタシの脳みそ・・・。『五臓六腑変化傍通訣』に載っているんだそうです。

 《色体経象学による「こころ」の解説》と題したプリントが配られました。「怒・思・喜・驚・恐・悲・憂、魂・意・神・志・魄、神、血・営・気、精、骨髓・筋膜・肌肉・血脈・皮毛」といった漢字が並んだ一枚のプリント。これらの漢字を使って先生がホワイトボードに書いていく図形を一生懸命写していましたが、最後の方になって後ろからツンツンしてくる本屋さんに「プリントに書き込めば、こうなるでしょ」と指摘され、びっくり。ワタシには単なる漢字の羅列に見えていたのですが、そこには意味ある配列と線が隠されていたのです! って気づいていた人も多かったみたい・・・。この見えない壁がワタシの限界?!とがっかりもしました(笑)。

 時系列、人間が生まれてから死ぬまでの流れで、どの蔵気のどの感情がどう変化していくか、といった流れで説明されます。レベル3氏は敬服した様子で「よくまぁ、あんだけ説明できますなぁ」と終わった後に先生にお話されていました。ワタシもそう思います。参加していた森ノ宮の学生に聞いた所、「授業では今日話された個々について、もっと時間をかけて説明されています」とのことでした。森ノ宮の学生さんが羨ましい!

 「神」には広義と狭義の意味があって、同じ漢字が指し示す事を「どっちかな」と区別しなければいけない、と教えてもらいました。内気がこころで、外形が身体。そういうカテゴリーでさっきの漢字を見ていくと、また見えてくる世界があります。

 こころが成長する順番と身体が成長する順番は、五行(木火土金水)の並びが違ってきます。幼、少、青、壮、老と進む中で木火土金水のどこから成熟し始めるか。これは出席した人にだけのお土産ですので、書けません(笑)。そして身体の方も然り。「積極性」、「開放性」、「論理性」、「感受性」、「芸術性」、「反応性」、「耐久性」といった分類も身体の方にはありました。これらを早く本にして頂きたいものです。そうすれば学校教育の導入部分が変わるはずです。唯掌論もそうですが、学校に入ってすぐにやるべきことが長野先生のノウハウにあるのです。それが普及する日が来る事をワタシは信じています! ま、普及しなければ今みたいに自分で普及活動を続けるまでです(笑)。

 講義終了後、長野先生は神保町の古本街に行くために颯爽と会場を後にしました。広尾で行われる曲直瀬道三生誕500年祭に直接行くのかと思っていたら、「僕はお昼はいいですから、その分、一時間で本屋巡りをします」と(笑)。先生らしいですね。講演会参加者の15名ほどが一緒に記念祭に参加しました。先生にくっついてきた人数の多さに、主宰者の方からは「すごい動員力だね。しかもこんな全国各地から来てもらうなんて」と、とても喜んでくださっていました。

 というわけで、土曜日長野講座が終了。次の日曜日寄金講座へ続きます。この日の夜に実は、《ニコイチ治療での競演》と題して書きたいものがあるんですが・・・。すごく贅沢な治療でしたよ。仰向けが鴻仁先生、うつ伏せが本屋さん。終わって起き上がった患者さんの顔が一回り以上もスッキリしていました。

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