12月23日 本屋さん講座 感想
前日に引き続いての参加の方が圧倒的に多かったです。今回のテーマは『鍼灸に賭して生きる魂』~「鍼灸師として生きる魂」《by鴻仁先生》パロディ版? 鍼灸にしっかり取り組む前に鍼灸師がハマリやすいヒーリング療法のアレコレ、その傾向と対策!? でした。 参加者からの感想で、毒舌+批判の嵐の根底には「鍼灸頑張ろうよ!」という熱い応援メッセージがど~んと横たわっていた、とありました。単に批判と受け取る人は、鍼灸の事が好きじゃないんだと思いますです。
《鍼灸師を目指す人が陥りがちな精神病理の例~貴方騙されていませんか?(地球温暖化を一例に)》というプリントが配布されました。 以下、一部抜粋
※ 感染るんです? (強迫神経症的邪気論) —邪気が移ってそれが嫌なら治療家なんか辞めましょう—
※ 脉が診れなきゃ治療はできないの?(偏執狂的「脈診信仰」等) —技術習得の研鑽を放棄しろと言う意味ではありませんので念の為—
※日本人の大好きな複雑怪奇な「道の思想」 —「なぜ日本ではあっという間に道(信仰)になってしまうのか」—
※弁証論治でマインドコントロール? —なぜ中医学を勉強した人(特に学生~数年間)は(概して)理屈っぽくて鼻息が荒いのでしょうか?—
※ 世界はリアリティであってファンタジーではありません。 —目に見えないものをないがしろにしていいと言うわけではありませんので念の為—
※ 考え方としての「自分探し」は意味のない妄想です。仮想現実への逃避は止めましょう。 —「どうしょうもない自分が歩いている(by種田山頭火)」—
※ 貴方が「いい人」である事と、それが「世の中に対して良い事」であるかどうかは無関係です。
※ 今の自分のダメさ加減を、過去の虎馬や他人様のせいにするのは止めましょう。
※ 事実(現実の患者さん)と伝聞(諸先輩方の生の言葉)と記録(文献や古典)
※ 一時期ブームとなったニューエイジ系のヒーリングや自己啓発や潜在能力開発などが魅力的なのは何故? 貴方がなりたいのは超能力者? ほんとは奇跡が欲しいだけでしょ? 奇跡の追求は不毛です。
※ 宗教を利用するな、舐めるな、修業するなら本気でやれ!
※ 素人受けするヒーリングの落とし穴(不要な用語を破棄しましょう)
※ 現実の生存競争から目を背けているくせに、魂の弱肉強食の中にいませんか?
自分の頭を使って、自ら考え判断することを止めないようにしましょう。自分の意志で、種々の情報を自ら収集し、それを自分の頭で消化し、評価を加え、その結果に基づいて自らの意志で判断し、行動する事が大切です。信念やドグマへの隷属は人生の豊かさを失う事に繋がります。 惑わされ易い怪しい言葉の数々(貴方も使っていませんか?)証明する事が極めて難しい事をあたかも事実であるかのように宣伝するのは如何なものか?
ーーーーーーーーーー以上抜粋でしたーーーーーーーーーー項目だけを並べると単に茶化しているだけも見えますが、実際にお話を聞いた方はそうではないことがお分かり頂けたと思います。ダメ出しの連続でありつつも、じゃぁどうしたらいいのか、どう考えていくべきかをそれとなく見せてくれます。「○○になりたくなければ、△△せよ」といったような単純な事ではなく、「○○もこういう面はありなんだけど、基本的にその考え方はまずいでしょ、ただ、☆☆とも、××とも考えられるように持っていけるでしょ」とそれとなく指南。なので、勘の良い方は自分で気付くわけです。「気付き」が訪れっぱなしの人も結構いたみたいです。(イニシエーション的儀式的自己満足的脈診を一刀両断しつつも、ではどうしたら脈診が習得出来るのかの実際例もちゃんと提示していましたね)。本屋さんは「気付いた後、行動を変えてね」と自分に向き合って生きる、情けない自分を包み隠さず見て行け、と言っていたように思います。講演会でよくあるような、美しいお花畑的お話に参加者がぽわ~んとするようなそんな甘ったるい話を本屋さんがするわきゃねえぴー。
さて、恒例の感想文。今年最後ですから長文です(笑)。プライバシー保護他の為、一部改変引用ですが一応許可は得ています。
============================昨日の勉強会は本当に濃かったです。レイキの(批判)話が中心になるのかと思いましたが。いつもより鍼灸師を応援される気持ちがストレートに言葉に表れていたように思いますが違いますでしょうか? 鍼灸学校に入るとき、私は本屋さんの講演のレベルまでは思わないまでも、学校へ入れば近い話をそこここで聞けると思っておりました。人の命、人生に関わる仕事です。当然、入ってくる生徒(あの学校は学生ではなく生徒です!)も、ましてや教える先生もそういう話が通じる人の集まりと思っておりました。なのに話すたびに肩透かしを食らうことの繰り返しで、何かおかしいと4月に思い始め、まずは「ああ、私は団体行動が苦手だから」「クラスは邪魔しない程度に過ごそう」、でも、「先生の中には中身のある先生がいるはず!」とまだ信じていました。
何せ入学前の体験授業で、《教員が全員臨床家》という触れ込みでしたから(臨床家って延べで何人診たのでしょう? 日本語の定義は難しいです)。でも結局、だれ1人として私を満足させる話をしてくださる先生はいませんでした。自分の中に言いようのない絶望が少しずつ積み重なっていきました。
以前、ブログでゴルゴ36先生が理論を学ぶのにお金に糸目はつけなかったとおっしゃっていたという文を読ませていただいたことがあります。あのゴルゴ36先生がおっしゃるからこそ現実味があるのです。(比べるのは大変失礼とおもいつつ)学校の先生達を見ていて言葉だけ立派に言う人(おそらくブログや本屋さんの文章を読み漁っていると思います。言葉は同じものを使いますから。でもそれで次の展開を期待していますと最後は悲観的な無責任な言葉で終わるのです)もいますが、逆に内容が伴わない分、より、うすっぺらくて心が寒くなります。本屋さんの話は心からうなづけるとともに、「うーん!」とうならせられます。自分に突きつけられる問題提起の言葉、それだけの覚悟があるのか、それだけのことをやっていけるのか、現実やっているのか。そこまで考えているのか。 また自分が心の中でずっと思っていたことが的確な言葉で語られた、と思うこともあります。
診断力を上げるのは大切だが安易な方法に頼るな(これが経絡治療の呪縛にかかっている人たちの解放の言葉なのですが、マニュアル世代の人たちには受け入れられないかもしれません。受け入れたら自分で探さなくてはならないのですから)。何かを(苦行)を否定する前に実践実行してみろ(これは気をつけないといけないと思いました。例えば脈診なら実際やってどの程度のあやふやさか、わざと違う経穴に刺鍼してどうなるか全く体験していません。あやふやというのは本屋さんの経験であって私の経験ではありません。批判する前に、批判するならやってみなくてはならないと思いました)。生きている患者さんに対して○○○(勿体無いので書かない事にします)この言葉を入学以来、どれほど聞きたかったことか!!これを聞きたかったのに誰も話す人はいませんでした。でも今となってはあの薄っぺらい先生たちから聞かなくてよかったと思っています。ありがとうございます。) 自分を信じていけるか。自分を信じる為に勉強が必要(同上です!!)こんなに色々聞かせていただいてしまっていいのかな? と思いましたが、思い出しました。「歳末大サービス」でしたね(笑)。
最後のまとめの文章は、(失礼と存じますが)ここまで丁寧に書いてあげなくてもいいのではないかと思うほどの言葉でした。私が聞きたいと思っておりました本当の(形だけでない)言葉を聞かせていただきましてありがとうございました。ただ、自分が感じていること、わかったと思うことは本屋さんが本当におっしゃりたいことと全然違うのではないかとふと考えます。もっと深く遠くを見られているようで、本当はもっと大切なことをおっしゃっていたのに、それをつかみ損なっているような。濃くて楽しかった、自分に向けられているようでドキッとした、その通りとうなづきっぱなし・・・・本当にそうでしょうか?それだけではないのでは? 言葉の表面だけが一緒ではないか? 本屋さんは、きっと表現者として自分の口から離れた時から、それを聴衆がどう理解しようと構わないと思われているのでしょう。 TAOへの「もう終わった仕事だから」というスタンスから見てそう推察いたします。そして聴衆がふと不安になることまで計算されているのでしょうか?(身体作りだけど座学編は、知っていていらした勘のいい方もいらっしゃいましたが、唯掌論に基づくエクササイズが中心でした)唯掌論は他の方々から続々と感想がよせられることと思いますので、遠慮させていただきます。どこまで動くようになるかわかりませんが、せめて今時点からの後退は避けたいと思っております。先日(身体の敏感さのお話のときです)、ツボの取り方を見せていただき、実技の捻鍼時にクラスの人にしてみたところ、「ツボの取り 方がすごい気持ち良いね! 私もそうしなきゃ」と言われました。実は全く出来ていないのですが、それでも感激していました。多くの人を触り身につけて行きたいと思っております。話があちこち飛び、どこが感想かわかりづらく申し訳ありません。とても濃い一日でした。
鍼灸の分野はまだまだ入ったばかりでわかりませんが、本当はきっかけが必要なのに、現実にはきっかけとなるものがとても少ない世界のように感じます。学ばなくてはならないものが多くて深く、何を学んだらよいか、どう学んだらよいか学校にいるだけではまったく見えてきません。和方に入ったからこそ、本屋さんに教えて頂いたからこそ、色々体験し広く深く学ばなくてはならないことを教えていただきましたが、そうでなければ迷子になるか諦めてしまったと思います。 ー=======================ー以上。学生さんからの感想でした。その他、本屋さんは「波動の嘘」とか、各種インチキヒーリングのネタ晴らしとかいろいろやりたかったみたいですが、時間が足りませんでしたね。 そうそう、本屋さん「あーっ!言い忘れちゃったあ」、と言っていた事があります。以下、講座に参加された方限定のメッセージ。
本屋さんが配った資料の最後のページに患者さんからのメッセージが添付されていたと思います。あれを資料にしたのは、「患者さんが来なくなるようにするのが治療家の仕事!(だけど患者さんにとっての保険にはなってあげられる実力は必要)」 「今回、怪しげなヒーリング系を延々と否定したけれども、実際にそういうスピリッチュアルな領域にこだわる患者さんともちゃんと付き合っていく必要があるわけで、でも、その上で(そういう患者さんは依存しがちだからなおさら)患者さんから依存されちゃダメ!」ということを言いたくて、あの資料を添付したとの事でした。私は当該患者さんとの実際のやり取りを見聞きしていますが、患者さんとの距離の取り方が絶妙でした。 何も聞いていないのに患者さんがいろいろ話し始める事が多いのは何故なのか……謎です。
で、後半。「鍼灸師の為の身体作り…だけど座学編」 ワタシが集めてしまった人数の多すぎる事に文句を言いつつ始まりました。 文句をいう本屋さんの気持ちも分かるんですよね。動作を伴う事はどうしても全員見ていかないといけないし、同じ動作を続けている間、ずっとみんなの間を歩いて見ていくわけです。確かに人数少ない方が、一人にかける時間もとれるし、密な指導ができます。だけどだけどですね、滅多に開催する機会がないわけですし、興味のある方にはご紹介したいんですよね《唯掌論》にしても身体作りにしても。こんなに良い物が世の中にあるのに、知らないで過ごすのは勿体無いでしょ。えらそうで学生をけむに巻くおえらい先生について無駄に時間を失っている人の少なくないのを私も見てきました。労力の短縮ができるすごいノウハウですよ。
ああ、そうそう、先ほどの感想文にもありましたが、最近某鍼灸学校の先生様にもこのブログをご愛読いただいている模様です。ワタシもその先生方は存じておりますので、大体どんなことをおっしゃっているのかは想像は付きますぽん。資格をとってすぐ鍼灸学校の専任教員になるような先生は社会で揉まれた経験も少なく、開業の苦労も通ってきているわけじゃないので、出てくる言葉は薄っぺらいでしょう。「ベット3台入れて1000万稼げる!」と話す専任の先生が居るそうです。「じゃ、やれば」って突っ込んで欲しかった(笑)。教員よりも稼げるはずですけどね~。社会経験のある学生にとってこの言葉の薄っぺらさは、本当にがっかりしたことでしょう。呆れて言葉も出なかったに違いません。「500万も学費払って聞ける話がこそれかよ」、みたいな。 本屋さんも笑っていってまぴた「それってたまに電話で勧誘してくる先物とか株とかの勧誘と大差ないじゃん?」……もっと寒いのはそれを聞いてほんとに「年収一千万」安易に夢見る学生さん。いいんですよ夢見るのは、でもその前に現実を知ってるの?
ワタシは先生個人の人間性を否定するつもりはありません。学生時代は色々とお話もしてもらいましたし、感謝している事も沢山あります。でもですね、講師であっても、教育者ではないんですよ。お金を貰ってそのコマを受け持っているだけで「鍼灸師を育てる」という仕事はしていない。「資格が取れるお手伝い」とキャッチコピーを変えた方がいいんじゃないでしょうかねぇ。「臨床家を育てる」というのは「プロ」を育てるという事であって、そういう心持ちを伝えてなんぼなのに(実際込み入った質問をすると「資格を取ってからそういう事は考えればいいから」っていう逃げ口上が待ってます)。片手挿管が早く出来る、お灸が沢山ひねられる、といったことはやっていればできる事だから、二の次で良いんですよ。それよりも、鍼灸師としての核になるような「種」を蒔いておけば、卒業後勝手に育ちますよ、自分で。そういえば、本屋さんは「一分間に何壮!」とか全く言いません(私の一分間に40越えたのをちゃかして言うことはありまぷが……)。でも本屋さんのお灸を受けた事がある人だけが知っている世界を持ってます。……鴻仁先生も同様、鴻仁先生にしか展開出来ない世界観をもってます。で、どこへ行っても批判的だと思われているニコイチと言えば、「他の人は関係ない、勝手にして」と口で言いつつ、鍼灸に賭ける熱意が周りの人を変えて行きます。 和方鍼灸友の会や六然社の講座に参加された人は「今の自分じゃいけない」と焦りを感じる事が多いみたい……。凄い物を見せつけられた後には、自分と比べて色んな事を考えるわけです。世間に出れば同じ《鍼灸師》という肩書きだけど、「自分はこのままでいいのか、患者さんに対して申し訳なくないか、もっとやらなきゃいけない事が沢山ある」ナドナド。そうやって、人々は勝手に育っていくんです。
先日、本屋さんが尊敬してやまない方とお話しする機会がありました。その方はモノを教えることを仕事にされているのですが、どの分野にも通ずる教育論をお話くださいました。今年最後のプレゼント、とも言える言葉の連続でしたが「できないうちからこそ、とにかく一番良いものに触れておいた方が良い」とおっしゃっていました。現在の鍼灸業界を見回して、こんなにも良いものに触れることができる環境にあるのは、このワタシなんじゃないかと今年一年(池田政一先生、新城三六先生、横山瑞生先生、前田久仁子先生、井手紀公生先生、大浦慈観先生……)を振り返って思った次第です。「人にはお役目がある」とばーば先生がおっしゃっていました。この言葉を良い様に解釈し、より多くの方へ本質をお届けするために、ワタシは来年も勉強会を企画してまいります(既に大分お申し込みを頂いておりますが、2月から第三日曜日の本屋さんの寺子屋講座再開です)! 「勝手にするな」と本屋さんから文句が飛んできそうですが(笑)。
さて、これが今年最後のブログでございます。今年一年、勝手な事を綴ってまいりましたが、ご愛読いただきまして感謝申し上げます。来年は多賀大社フォーラムがラストですね。和方鍼灸友の会も解散だそうでございます。終わりを迎えるとまた新しい事がそこから始まります。今後の和方鍼灸友の会にもご注目下さいませ(注目しなくていい;笑、とニコイチは言いそうです)。それでは、皆さま良いお年を!!
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