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2007年12月

2007年12月31日 (月)

12月23日 本屋さん講座 感想

 前日に引き続いての参加の方が圧倒的に多かったです。今回のテーマは『鍼灸に賭して生きる魂』~「鍼灸師として生きる魂」《by鴻仁先生》パロディ版? 鍼灸にしっかり取り組む前に鍼灸師がハマリやすいヒーリング療法のアレコレ、その傾向と対策!? でした。 参加者からの感想で、毒舌+批判の嵐の根底には「鍼灸頑張ろうよ!」という熱い応援メッセージがど~んと横たわっていた、とありました。単に批判と受け取る人は、鍼灸の事が好きじゃないんだと思いますです。

 《鍼灸師を目指す人が陥りがちな精神病理の例~貴方騙されていませんか?(地球温暖化を一例に)》というプリントが配布されました。 以下、一部抜粋

※ 感染るんです? (強迫神経症的邪気論)  —邪気が移ってそれが嫌なら治療家なんか辞めましょう—

※ 脉が診れなきゃ治療はできないの?(偏執狂的「脈診信仰」等) —技術習得の研鑽を放棄しろと言う意味ではありませんので念の為—

※日本人の大好きな複雑怪奇な「道の思想」  —「なぜ日本ではあっという間に道(信仰)になってしまうのか」—

※弁証論治でマインドコントロール? —なぜ中医学を勉強した人(特に学生~数年間)は(概して)理屈っぽくて鼻息が荒いのでしょうか?—

※ 世界はリアリティであってファンタジーではありません。 —目に見えないものをないがしろにしていいと言うわけではありませんので念の為—

※ 考え方としての「自分探し」は意味のない妄想です。仮想現実への逃避は止めましょう。 —「どうしょうもない自分が歩いている(by種田山頭火)」—

※ 貴方が「いい人」である事と、それが「世の中に対して良い事」であるかどうかは無関係です。

※ 今の自分のダメさ加減を、過去の虎馬や他人様のせいにするのは止めましょう。

※ 事実(現実の患者さん)と伝聞(諸先輩方の生の言葉)と記録(文献や古典)

※ 一時期ブームとなったニューエイジ系のヒーリングや自己啓発や潜在能力開発などが魅力的なのは何故? 貴方がなりたいのは超能力者? ほんとは奇跡が欲しいだけでしょ? 奇跡の追求は不毛です。

※ 宗教を利用するな、舐めるな、修業するなら本気でやれ!

※ 素人受けするヒーリングの落とし穴(不要な用語を破棄しましょう)

※ 現実の生存競争から目を背けているくせに、魂の弱肉強食の中にいませんか?

自分の頭を使って、自ら考え判断することを止めないようにしましょう。自分の意志で、種々の情報を自ら収集し、それを自分の頭で消化し、評価を加え、その結果に基づいて自らの意志で判断し、行動する事が大切です。信念やドグマへの隷属は人生の豊かさを失う事に繋がります。 惑わされ易い怪しい言葉の数々(貴方も使っていませんか?)証明する事が極めて難しい事をあたかも事実であるかのように宣伝するのは如何なものか?

ーーーーーーーーーー以上抜粋でしたーーーーーーーーーー

 項目だけを並べると単に茶化しているだけも見えますが、実際にお話を聞いた方はそうではないことがお分かり頂けたと思います。ダメ出しの連続でありつつも、じゃぁどうしたらいいのか、どう考えていくべきかをそれとなく見せてくれます。「○○になりたくなければ、△△せよ」といったような単純な事ではなく、「○○もこういう面はありなんだけど、基本的にその考え方はまずいでしょ、ただ、☆☆とも、××とも考えられるように持っていけるでしょ」とそれとなく指南。なので、勘の良い方は自分で気付くわけです。「気付き」が訪れっぱなしの人も結構いたみたいです。(イニシエーション的儀式的自己満足的脈診を一刀両断しつつも、ではどうしたら脈診が習得出来るのかの実際例もちゃんと提示していましたね)。本屋さんは「気付いた後、行動を変えてね」と自分に向き合って生きる、情けない自分を包み隠さず見て行け、と言っていたように思います。講演会でよくあるような、美しいお花畑的お話に参加者がぽわ~んとするようなそんな甘ったるい話を本屋さんがするわきゃねえぴー。

 さて、恒例の感想文。今年最後ですから長文です(笑)。プライバシー保護他の為、一部改変引用ですが一応許可は得ています。

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昨日の勉強会は本当に濃かったです。レイキの(批判)話が中心になるのかと思いましたが。いつもより鍼灸師を応援される気持ちがストレートに言葉に表れていたように思いますが違いますでしょうか?  鍼灸学校に入るとき、私は本屋さんの講演のレベルまでは思わないまでも、学校へ入れば近い話をそこここで聞けると思っておりました。人の命、人生に関わる仕事です。当然、入ってくる生徒(あの学校は学生ではなく生徒です!)も、ましてや教える先生もそういう話が通じる人の集まりと思っておりました。なのに話すたびに肩透かしを食らうことの繰り返しで、何かおかしいと4月に思い始め、まずは「ああ、私は団体行動が苦手だから」「クラスは邪魔しない程度に過ごそう」、でも、「先生の中には中身のある先生がいるはず!」とまだ信じていました。

何せ入学前の体験授業で、《教員が全員臨床家》という触れ込みでしたから(臨床家って延べで何人診たのでしょう? 日本語の定義は難しいです)。でも結局、だれ1人として私を満足させる話をしてくださる先生はいませんでした。自分の中に言いようのない絶望が少しずつ積み重なっていきました。 

以前、ブログでゴルゴ36先生が理論を学ぶのにお金に糸目はつけなかったとおっしゃっていたという文を読ませていただいたことがあります。あのゴルゴ36先生がおっしゃるからこそ現実味があるのです。(比べるのは大変失礼とおもいつつ)学校の先生達を見ていて言葉だけ立派に言う人(おそらくブログや本屋さんの文章を読み漁っていると思います。言葉は同じものを使いますから。でもそれで次の展開を期待していますと最後は悲観的な無責任な言葉で終わるのです)もいますが、逆に内容が伴わない分、より、うすっぺらくて心が寒くなります。本屋さんの話は心からうなづけるとともに、「うーん!」とうならせられます。自分に突きつけられる問題提起の言葉、それだけの覚悟があるのか、それだけのことをやっていけるのか、現実やっているのか。そこまで考えているのか。 また自分が心の中でずっと思っていたことが的確な言葉で語られた、と思うこともあります。

診断力を上げるのは大切だが安易な方法に頼るな(これが経絡治療の呪縛にかかっている人たちの解放の言葉なのですが、マニュアル世代の人たちには受け入れられないかもしれません。受け入れたら自分で探さなくてはならないのですから)。何かを(苦行)を否定する前に実践実行してみろ(これは気をつけないといけないと思いました。例えば脈診なら実際やってどの程度のあやふやさか、わざと違う経穴に刺鍼してどうなるか全く体験していません。あやふやというのは本屋さんの経験であって私の経験ではありません。批判する前に、批判するならやってみなくてはならないと思いました)。生きている患者さんに対して○○○(勿体無いので書かない事にします)この言葉を入学以来、どれほど聞きたかったことか!!これを聞きたかったのに誰も話す人はいませんでした。でも今となってはあの薄っぺらい先生たちから聞かなくてよかったと思っています。ありがとうございます。) 自分を信じていけるか。自分を信じる為に勉強が必要(同上です!!)こんなに色々聞かせていただいてしまっていいのかな? と思いましたが、思い出しました。「歳末大サービス」でしたね(笑)。

最後のまとめの文章は、(失礼と存じますが)ここまで丁寧に書いてあげなくてもいいのではないかと思うほどの言葉でした。私が聞きたいと思っておりました本当の(形だけでない)言葉を聞かせていただきましてありがとうございました。ただ、自分が感じていること、わかったと思うことは本屋さんが本当におっしゃりたいことと全然違うのではないかとふと考えます。もっと深く遠くを見られているようで、本当はもっと大切なことをおっしゃっていたのに、それをつかみ損なっているような。濃くて楽しかった、自分に向けられているようでドキッとした、その通りとうなづきっぱなし・・・・本当にそうでしょうか?それだけではないのでは? 言葉の表面だけが一緒ではないか? 本屋さんは、きっと表現者として自分の口から離れた時から、それを聴衆がどう理解しようと構わないと思われているのでしょう。 TAOへの「もう終わった仕事だから」というスタンスから見てそう推察いたします。そして聴衆がふと不安になることまで計算されているのでしょうか?

(身体作りだけど座学編は、知っていていらした勘のいい方もいらっしゃいましたが、唯掌論に基づくエクササイズが中心でした)唯掌論は他の方々から続々と感想がよせられることと思いますので、遠慮させていただきます。どこまで動くようになるかわかりませんが、せめて今時点からの後退は避けたいと思っております。先日(身体の敏感さのお話のときです)、ツボの取り方を見せていただき、実技の捻鍼時にクラスの人にしてみたところ、「ツボの取り 方がすごい気持ち良いね! 私もそうしなきゃ」と言われました。実は全く出来ていないのですが、それでも感激していました。多くの人を触り身につけて行きたいと思っております。話があちこち飛び、どこが感想かわかりづらく申し訳ありません。とても濃い一日でした。

鍼灸の分野はまだまだ入ったばかりでわかりませんが、本当はきっかけが必要なのに、現実にはきっかけとなるものがとても少ない世界のように感じます。学ばなくてはならないものが多くて深く、何を学んだらよいか、どう学んだらよいか学校にいるだけではまったく見えてきません。和方に入ったからこそ、本屋さんに教えて頂いたからこそ、色々体験し広く深く学ばなくてはならないことを教えていただきましたが、そうでなければ迷子になるか諦めてしまったと思います。

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以上。学生さんからの感想でした。その他、本屋さんは「波動の嘘」とか、各種インチキヒーリングのネタ晴らしとかいろいろやりたかったみたいですが、時間が足りませんでしたね。 そうそう、本屋さん「あーっ!言い忘れちゃったあ」、と言っていた事があります。以下、講座に参加された方限定のメッセージ。 

本屋さんが配った資料の最後のページに患者さんからのメッセージが添付されていたと思います。あれを資料にしたのは、「患者さんが来なくなるようにするのが治療家の仕事!(だけど患者さんにとっての保険にはなってあげられる実力は必要)」 「今回、怪しげなヒーリング系を延々と否定したけれども、実際にそういうスピリッチュアルな領域にこだわる患者さんともちゃんと付き合っていく必要があるわけで、でも、その上で(そういう患者さんは依存しがちだからなおさら)患者さんから依存されちゃダメ!」ということを言いたくて、あの資料を添付したとの事でした。私は当該患者さんとの実際のやり取りを見聞きしていますが、患者さんとの距離の取り方が絶妙でした。 何も聞いていないのに患者さんがいろいろ話し始める事が多いのは何故なのか……謎です。

 で、後半。「鍼灸師の為の身体作り…だけど座学編」 ワタシが集めてしまった人数の多すぎる事に文句を言いつつ始まりました。 文句をいう本屋さんの気持ちも分かるんですよね。動作を伴う事はどうしても全員見ていかないといけないし、同じ動作を続けている間、ずっとみんなの間を歩いて見ていくわけです。確かに人数少ない方が、一人にかける時間もとれるし、密な指導ができます。だけどだけどですね、滅多に開催する機会がないわけですし、興味のある方にはご紹介したいんですよね《唯掌論》にしても身体作りにしても。こんなに良い物が世の中にあるのに、知らないで過ごすのは勿体無いでしょ。えらそうで学生をけむに巻くおえらい先生について無駄に時間を失っている人の少なくないのを私も見てきました。労力の短縮ができるすごいノウハウですよ。

 ああ、そうそう、先ほどの感想文にもありましたが、最近某鍼灸学校の先生様にもこのブログをご愛読いただいている模様です。ワタシもその先生方は存じておりますので、大体どんなことをおっしゃっているのかは想像は付きますぽん。資格をとってすぐ鍼灸学校の専任教員になるような先生は社会で揉まれた経験も少なく、開業の苦労も通ってきているわけじゃないので、出てくる言葉は薄っぺらいでしょう。「ベット3台入れて1000万稼げる!」と話す専任の先生が居るそうです。「じゃ、やれば」って突っ込んで欲しかった(笑)。教員よりも稼げるはずですけどね~。社会経験のある学生にとってこの言葉の薄っぺらさは、本当にがっかりしたことでしょう。呆れて言葉も出なかったに違いません。「500万も学費払って聞ける話がこそれかよ」、みたいな。 本屋さんも笑っていってまぴた「それってたまに電話で勧誘してくる先物とか株とかの勧誘と大差ないじゃん?」……もっと寒いのはそれを聞いてほんとに「年収一千万」安易に夢見る学生さん。いいんですよ夢見るのは、でもその前に現実を知ってるの?

ワタシは先生個人の人間性を否定するつもりはありません。学生時代は色々とお話もしてもらいましたし、感謝している事も沢山あります。でもですね、講師であっても、教育者ではないんですよ。お金を貰ってそのコマを受け持っているだけで「鍼灸師を育てる」という仕事はしていない。「資格が取れるお手伝い」とキャッチコピーを変えた方がいいんじゃないでしょうかねぇ。「臨床家を育てる」というのは「プロ」を育てるという事であって、そういう心持ちを伝えてなんぼなのに(実際込み入った質問をすると「資格を取ってからそういう事は考えればいいから」っていう逃げ口上が待ってます)。片手挿管が早く出来る、お灸が沢山ひねられる、といったことはやっていればできる事だから、二の次で良いんですよ。それよりも、鍼灸師としての核になるような「種」を蒔いておけば、卒業後勝手に育ちますよ、自分で。そういえば、本屋さんは「一分間に何壮!」とか全く言いません(私の一分間に40越えたのをちゃかして言うことはありまぷが……)。でも本屋さんのお灸を受けた事がある人だけが知っている世界を持ってます。……鴻仁先生も同様、鴻仁先生にしか展開出来ない世界観をもってます。 

 で、どこへ行っても批判的だと思われているニコイチと言えば、「他の人は関係ない、勝手にして」と口で言いつつ、鍼灸に賭ける熱意が周りの人を変えて行きます。 和方鍼灸友の会や六然社の講座に参加された人は「今の自分じゃいけない」と焦りを感じる事が多いみたい……。凄い物を見せつけられた後には、自分と比べて色んな事を考えるわけです。世間に出れば同じ《鍼灸師》という肩書きだけど、「自分はこのままでいいのか、患者さんに対して申し訳なくないか、もっとやらなきゃいけない事が沢山ある」ナドナド。そうやって、人々は勝手に育っていくんです。

 先日、本屋さんが尊敬してやまない方とお話しする機会がありました。その方はモノを教えることを仕事にされているのですが、どの分野にも通ずる教育論をお話くださいました。今年最後のプレゼント、とも言える言葉の連続でしたが「できないうちからこそ、とにかく一番良いものに触れておいた方が良い」とおっしゃっていました。現在の鍼灸業界を見回して、こんなにも良いものに触れることができる環境にあるのは、このワタシなんじゃないかと今年一年(池田政一先生、新城三六先生、横山瑞生先生、前田久仁子先生、井手紀公生先生、大浦慈観先生……)を振り返って思った次第です。「人にはお役目がある」とばーば先生がおっしゃっていました。この言葉を良い様に解釈し、より多くの方へ本質をお届けするために、ワタシは来年も勉強会を企画してまいります(既に大分お申し込みを頂いておりますが、2月から第三日曜日の本屋さんの寺子屋講座再開です)! 「勝手にするな」と本屋さんから文句が飛んできそうですが(笑)。

 さて、これが今年最後のブログでございます。今年一年、勝手な事を綴ってまいりましたが、ご愛読いただきまして感謝申し上げます。来年は多賀大社フォーラムがラストですね。和方鍼灸友の会も解散だそうでございます。終わりを迎えるとまた新しい事がそこから始まります。今後の和方鍼灸友の会にもご注目下さいませ(注目しなくていい;笑、とニコイチは言いそうです)。それでは、皆さま良いお年を!!

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2007年12月29日 (土)

12月22日 鴻仁先生講義感想

 歳末特別講演の初日、鴻仁先生こと長野仁先生の講義がございました。またも全国からご参加頂いた皆さん、来た甲斐があったでしょ(笑)。今回のテーマは『東洋医学と心の問題』。さて、どう切り口を持っていかれるのかと楽しみにしておりました。

 東洋思想では、《身心》、つまり身体に重きが置かれており、これが現実だとまず説明。望診にしたって、観相、手相、これらに共通しているのは「身体を観ている」という点。そして、《心身》、これは理想を言うのだそうです。「武士は食わねど高楊枝」というのは、食わないのが現実で、それでも高楊枝をくわえている見栄という心の状態でしょと。

 この説明を聞いて、ハっとしましたワタシ。この秋に吉野のお寺で断食しながら修行の真似事みたいなことを体験して以来、「身体を使った行の意味」をちょっぴり考えていたのです。身体を使う修行(荒行)を実際にされた僧侶の手記なんかを読んでみますと、ある種のパワー(超能力と言えますかね)は、身体を酷使の上に更に酷使した所では案外誰にでも現れる再現性があるんだそうです。「誰にでも」です。例えばチベットの山奥、空気の少ないところで、10往復も数10㎏の水汲みをするとか、不眠不臥で飲まず食わずもその一環だそうでした。「誰にでも」なので、ワタシもやればその仲間になれる可能性が大なのですが、そんな過酷なことやれないと諦めてしまう所が凡人のまま生涯を終えるであろう由縁です。一見無茶苦茶に思える行にも意味があるそうなんです。「やれないよ」と思ったりするのが人間だけど、死にそうなくらいになってやり終えた時に手にしているものがちゃんとある、と書いてありました。ここでポイントなのは「頭で考えても得られないけど、身体を使えば得られる」と言う点です。過酷な状況を身体に作り、それを通った人間だけに現れる特殊な能力。これは、《選ばれた者(誰に?;笑)》的なものではなく、とにかく、誰でも、そこまでやれさえすれば得られるものなんだそうです。次の日の本屋さんの講義でも、長野先生のテーマを受け、こういった話題が出ていました。本屋さんの紹介した資料にあった、湯浅泰雄先生、竹内敏春先生、そして十万枚大護摩供をやりきった僧侶に密着していた藤田庄市氏のルポ等を読むとさらに納得できます。

 一方、今流行のスピリチュアル系はこんなしんどい事をせず、「貴方が考え方を変えれば、新しい自分と出会え、更に他者を思いる心があるなら癒しのパワーを与えましょう」といっているような気がしてます。その過程では身体を使う事はなく、ありがちなのは心がしんどい、心じゃなくて頭かも知れませんが、要は頭を使ってグチャグチャと考える事を促します。「今現在の不幸(悩み)は過去の何に起因するのか」を、ドンドン掘り下げていく過程などは《気付き》を促す為には必要とされていますが、《気付いた》ところで解決法を得たわけじゃないので、行動に変化を起こせないから意外と失敗するんですって、本屋さん曰く。 散々時間を費やして出来てきた事は、単に自分に都合の良い言い訳を作り上げただけだったとか。そして、椅子に座って、たまには寝転んでだって、悶々と考えていることが《魂のステップアップ》的な考えに繋がることだってあるわけです(ホントか?)。ロールプレイゲームのようですね。彼らが出会う「新しい自分」。これは単に妄想ではないでしょうか。ワタシ的にはここにどうも「言葉遊び」的な《思い込み》があるんじゃないかと思えるわけです。

 リアリティは身体にあるんだということをここ1、2年でひたひたと観じます。本屋さんがいつも言いますね「肉体離れて伝統なし!」……。長野先生も東洋医学では「身体」がメインだ、と明言されていました。現代社会における諸問題の数々、実は身体を動かさなくなったことが根っこにあるんじゃないかと思えるものばかりです。例えば環境ホルモンのせいにされている精子の数、動きの低下なんてのも、本屋さんに言わせれば「身体を使わなくなっただけ。自分が運動しないのに自分が作るもんが動くわけないじゃん(笑)」と。実際に不妊治療を受けていた友人のご主人も相当低い数値だったそうですが、バスを使わずに歩くようにしただけでグンと増えたとか。キレやすい若者にしたって、身体をへとへとになるほど使わないから、余剰に溜まってしまったエネルギーが爆発してしまうんじゃないかなぁ。後は、食べ物の関係も深いですね。動と食が身体に及ぼす影響ってものすごい事です。

 身体の限界を追求する事の意味、つまり死ぬほどの修行が行われてきた必要性、それを通してしか得られないものがあるからこそ、今尚、そのテのものってなくならないんですね。思い込みヒーリング療法に安易に走る前に、そういう世界がちゃんとあることを知っておくべきだと次の日本屋さんは声を大きくしておっしゃっていました(実際に何種類かやったことがある模様)。「みんな結局奇跡が欲しいんだよ」と本屋さんは常々おっしゃっています。安易なヒーリング療法にはまりやすい方を見ていると、自分を特別視する感情がベースにあるように思えてなりません。そんでもって、長野先生は「僕は技術者ですから」と自分のことをおっしゃいます。「僕の手で作った動き、震動が患者さんの身体に作用を起こしているんですよ」と先日見学させてもらった時に患者さんに説明されていました。「技術者」発言にワタシはピクっとなってしまいました。ナント潔い。治療家と奢ることなく、技術者。「鍼を打つ」、のは技術者だ~と妙に納得しました。(本屋さんは「職人」っていいまぷ…)

 余談ですが、吉野のお寺で指導に当たられていた僧侶の治療をする機会がありまして、その際お腹に触ってびっくりしました。思わず手を引っ込めてしまいましたです。「僕ね、以前飲まず食わずで7日間の行をやってから、お腹の肉が無くなっちゃったんです」と笑っておっしゃるんですが、その皮膚の下の状態は一般人では触った事のない感覚でした。「水も飲まない塩もないなんて、まずいですよ」と思わず口走って後悔しましたが、死ぬほどの(死ぬ場合もある)修行ってやっぱり身体に悪いじゃないか、とワタシ的には思ったわけです(笑)。

 さて、配られた資料にはクリスマスにちなんで、五行のクリスマスツリーの図がありました。以前、色体ちゃんで説明してくださった時よりもより簡素化した図です。この図だけを見てもサッパリ分からないのですが、先生の説明を聞くとその図が生きてくるんですねぇ。簡素化したものって、実は色んな発展形をその上に乗せられるんですね。ああも説明できるし、こうも説明できるといった、東洋医学の複雑さを説明するのにはぴったり。東洋医学を熟知されている鴻仁先生からアウトプットされた図ですもの、当たり前か。

 先生は、色体表を「一覧にして覚えやすくした、圧縮データー」と説明されました。「だから、そのまま使おうとしても無茶なの、解凍しなきゃね。言葉と言葉のつながりが説明されていないんだから」と。例えば、肝=怒=イライラ。この=の部分、言葉の接着剤を今回の講義では沢山お話になっていました。あ、因みに「色体」というのは健康体を指すんだそうです。で、反対語は「爛体(ただれたからだ)」って言うんですって。初めて語源を知りました、っていうか、「色体」という言葉を鵜呑みに使う事に何の疑問も持っていませんでした。いつも気付かされますが、思考停止ばかりのワタシの脳みそ・・・。『五臓六腑変化傍通訣』に載っているんだそうです。

 《色体経象学による「こころ」の解説》と題したプリントが配られました。「怒・思・喜・驚・恐・悲・憂、魂・意・神・志・魄、神、血・営・気、精、骨髓・筋膜・肌肉・血脈・皮毛」といった漢字が並んだ一枚のプリント。これらの漢字を使って先生がホワイトボードに書いていく図形を一生懸命写していましたが、最後の方になって後ろからツンツンしてくる本屋さんに「プリントに書き込めば、こうなるでしょ」と指摘され、びっくり。ワタシには単なる漢字の羅列に見えていたのですが、そこには意味ある配列と線が隠されていたのです! って気づいていた人も多かったみたい・・・。この見えない壁がワタシの限界?!とがっかりもしました(笑)。

 時系列、人間が生まれてから死ぬまでの流れで、どの蔵気のどの感情がどう変化していくか、といった流れで説明されます。レベル3氏は敬服した様子で「よくまぁ、あんだけ説明できますなぁ」と終わった後に先生にお話されていました。ワタシもそう思います。参加していた森ノ宮の学生に聞いた所、「授業では今日話された個々について、もっと時間をかけて説明されています」とのことでした。森ノ宮の学生さんが羨ましい!

 「神」には広義と狭義の意味があって、同じ漢字が指し示す事を「どっちかな」と区別しなければいけない、と教えてもらいました。内気がこころで、外形が身体。そういうカテゴリーでさっきの漢字を見ていくと、また見えてくる世界があります。

 こころが成長する順番と身体が成長する順番は、五行(木火土金水)の並びが違ってきます。幼、少、青、壮、老と進む中で木火土金水のどこから成熟し始めるか。これは出席した人にだけのお土産ですので、書けません(笑)。そして身体の方も然り。「積極性」、「開放性」、「論理性」、「感受性」、「芸術性」、「反応性」、「耐久性」といった分類も身体の方にはありました。これらを早く本にして頂きたいものです。そうすれば学校教育の導入部分が変わるはずです。唯掌論もそうですが、学校に入ってすぐにやるべきことが長野先生のノウハウにあるのです。それが普及する日が来る事をワタシは信じています! ま、普及しなければ今みたいに自分で普及活動を続けるまでです(笑)。

 講義終了後、長野先生は神保町の古本街に行くために颯爽と会場を後にしました。広尾で行われる曲直瀬道三生誕500年祭に直接行くのかと思っていたら、「僕はお昼はいいですから、その分、一時間で本屋巡りをします」と(笑)。先生らしいですね。講演会参加者の15名ほどが一緒に記念祭に参加しました。先生にくっついてきた人数の多さに、主宰者の方からは「すごい動員力だね。しかもこんな全国各地から来てもらうなんて」と、とても喜んでくださっていました。

 というわけで、土曜日長野講座が終了。次の日曜日寄金講座へ続きます。この日の夜に実は、《ニコイチ治療での競演》と題して書きたいものがあるんですが・・・。すごく贅沢な治療でしたよ。仰向けが鴻仁先生、うつ伏せが本屋さん。終わって起き上がった患者さんの顔が一回り以上もスッキリしていました。

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2007年12月25日 (火)

12月9日感想②

 歳末特別講義が終わったばっかりですが、12月9日の午前中の感想に引き続き、午後のレポートをせねばなりません。午後は発売になったばかりの『杉山真伝流臨床指南』の発売記念講演でございました。著者の大浦慈観先生と、この本が世に出る筋道を立てた本屋さんのお二人による誕生秘話満載の内容でした。

 午前のばーば佐智子先生が温めまくった(笑)熱気を引きずって、座席はびっちり満杯。45分という短い時間ながら、本屋さんの超濃縮講義は始まりました。いつもの事ですが、用意していた資料の多い事多い事。大体コピーは前日にやる事が多いのですが(なんてったて直前力!)、今回はもう少し前から色々と用意するぐらい伝えたい事があった模様。しかも、いつもは「家で読んでください」と「せっかく準備した資料を潔く捨てる(by正木先生評)」のがモットーなのに、今回はほぼ全部をざっと解説!(実は一つだけ解説しなかった資料があったのに、参加者の皆さんはお気付きでしたか? 帝国鍼灸医報社の『鍼灸諸名家秘伝公開集』……「僕は聞いたんだけどなあ…返事誰からも無かったし……きっと皆知ってたんだろう」「沈黙はイエスの合図なり」(イスラムの諺だそうです)と言って、反応が無い場合はスルーされることがままございます)。

 まず、『鍼灸OSAKA』86に本屋さんが寄稿した文章に、編集段階での大幅なミスがあったのを受け、紆余曲折を経て出来上がった立派な訂正版(別刷)を皆さんに配布。それとセットで、『鍼灸OSAKA』87 横山浩之先生の <編集者への手紙 ~寄金氏「技術の伝承とは」への疑問> にも言及。文中の本屋さんのミスを指摘する内容を「よくぞ書いてくれた」と大絶賛! 「横山先生でなければ語れない事がものすごく沢山ある。鍼灸業界は先代、まして先々代の業績を継承する視点に欠けた、さも自分が発見したかのような輩ばかりがはびこっている。その声が大きく目立つため、学生や後進にとっては悪害この上ない。しかも、それが害だとなかなか気付かれない現状がずっと続いている。だからこそ膨大な読書量を通して、鍼灸業界の隠れた歴史をご存知の横山先生にもっと出てきて欲しい!」「絶対彼はもっと書くべきだ!」「少なくともこれで『鍼灸OSAKA』の読者には、杉山真伝流と杉山流って違うんだ、ということと、片手挿管って明治に生まれたんだ、とか横山先生って凄いんだ、って事は記憶に残るはず(だから今後この手の話や教科書を書く時には必ず彼は外せないって事になるはず)」といった本屋さんのメッセージが込められた話でした。

その他ココでは書けない(笑)、鍼灸界裏事情もいろいろと。でも、まあ「結論から申し上げますと」…本屋さんが一番言いたいのは「誰がどうした」って事ではなくて、鍼灸をやるには「鍼灸師の器(肉体)が大切なんじゃないの?」って事なんだろうと思います。

  あと、一部の人がもっと聞きたがった事は、「陰陽論と五行論が出所が別だから、思想的には別な体系でって教科書や某学会のテキストにも書いてあるようですが、別だから別に考えるっていうのは、頭と実際が一致しないし、思考停止に陥りやすく、せっかくあるものが役に立たないんで勿体ない。こういう風に考えると五行の中に陰陽があり、陰陽の中に五行があり、それが天地人の三才や、気血水弁証や臓腑経絡弁証ともこのように繋がります」って黒板にざっと殴り書きしながら説明した部分。

 私も以前これを聞いた時は、あ、臓腑経絡弁証とか難しく四字熟語を覚えなくてもこう考えれば、血がらみはココがポイント、とか分かるじゃん、ああ東洋医学概論ってこんなにシンプルだったんだあ~、と目からうろこがホロホロと落ちた記憶がございます。つまりは勉強の着眼点を教えてくれるんですね。……ああ、この辺りのお話は、2月から再開する「本屋さんの寺子屋講座(経絡経穴再び/他)」にて詳しくして頂く予定でございます。

でもですね、本屋さんが「日本の鍼灸をダメにした代表的人物、柳谷素霊!」っていうと結構センセーショナルに聞こえますけど、大浦先生だって、「17手技が教科書に載ってますけど、何故17手技という形であれらが載っているかと言うと、柳谷素霊が真伝流の手技を、そうとうデタラメな形で教科書の原形になったようなものに書いてしまったからなんですね」(つまり柳谷先生もその後の先生達も、だあれも真伝流なんか知らなかったまま来ちゃったから、鍼灸手技を教える先生方が、検討も検証もしなかった、出来なかったって事! 酷いなあ、鍼灸学校って何をやってきたのかなあ……って結局お二人とも同じ事言ってるやん! うーん、なんで同じ事なのにあんなに印象が違うんだろう? 本屋さん損してまぷ。(本人は面白がってまぷ)   

 さて、懇親会での恒例の挨拶もユニークなものが多かったです。これは初めて聞いたのですが、大浦先生が、数年前(まだ『皆伝・入江流鍼術』発行前のことだそうです)始めて本屋さんと会った時に「鍼灸界では当時まったくの無名の僕と(真伝流を本にすることを)約束をしてくれた。…中略…それが実現できて、ほんとに感謝しています」との感動秘話がありました。さすが、人を名声だとか肩書きだとか持ち物とかで判断しない本屋さん(当たり前っていえばそうなんですが、これが出来ない人って多いですよね、「結局自分に見る目がないから他人の評価を信じてしまうんだ」って本屋さんはよく言ってまぷ)。大浦先生が杉山真伝流を研究し始めた頃、研究内容が詰まったPCを背負ってバイクに乗って通勤されていた当時を振り返って「今、僕が事故にあったら杉山真伝流がまた消えてしまう」と、緊張して運転していたと講義の冒頭でもお話されていました。そういった想いが詰まったものが『杉山真伝流臨床指南』へと発展したわけです。こういう裏話を直接聞けると、ジ~ンとするものがありますね。「先生と同じ時代に鍼灸師になって良かった!」と思った方も多かったのでは。本屋さんが目をつける(笑)先生方は、鍼灸界にとって本当に価値のあることをされているなぁと、いつも思います。それを世に出してくれるのが六然社という媒体なのだ、と今回も思った講演会でございました。

 大浦先生の講義内容について、とっても分かりやすい感想文を頂いたので、それを無断掲載(いつもごめんね~)させていただきます。↓

 以下引用でーす=========================

 おつかれさまです。先日は、大浦先生の出版記念講座に参加させていただきありがとうございました。懇親会では、直に大浦先生に質問する機会もあり、(ていうかずうずうしくお席まで押し掛けたのですが)とても勉強になりました。

 質問したのは、本に記載のある「大熱の補法」のことや、p132の図のこと、あとはデモで拝見した先生の押し手の示指の微妙な動きについて、などなど。 先生は「ねばっこいのを周辺部に広げていくというか」とか、「邪気は上にいく性質があるんだよ」とか、(ここでの邪気という言葉は、鍼灸学生が使いたがるいわゆる「邪気」とは異なるモノだと思ってます)。「(指で刺しめしながら)女性の場合、こういうルートをたどることが多いんです。それで右なんでしょう」とか。とても具体的にわかりやすく説明してくださいました。感謝です。

私にとって今年の鍼灸本ナンバーワンがこの『杉山真伝流臨床指南』だったのです。 証立しました。配穴しました。鍼を刺しました。で、どうすんの?? 手技はどうすんの?なにをどうすればどう変化するの?そういうことが具体的に書いてある本だと思います。「術」がテーマだったわけです。 ○年前のちょうど今頃、鍼灸学校の卒業試験のことを思い出しました。実技試験で生徒に出したお題が、十七手技でしたよね。 たしかに教科書で17手技の記載はあるし、授業で(いちおう)十七手技のデモをやってくれた。こういう手技なんだよ、と。でもでも、じゃあさ、どういう時にどういう場所にこれらの「術」を使えばいいのか。あるいは、これらの「術」を使うとなにがどう変化するのか。それについては、先生からは一言も話していただいた記憶がない(涙)。

  『杉山真伝流臨床指南』○年越しでひとつの答えを見つけたような気がしています。でもこれからが追試。自分で「術」をやっていかなきゃなんですよね。 たしか本屋さんが、散鍼の時にこんなことを言ってたように覚えてい ます。ひとつの「術」を身につけたら、1000回追試してはじめてお金の取れる「術」になる。本を読んだ、で終わりじゃしょうがないし鍼灸はあくまで肉体表現だと思うので、自分で汗をかきかき「術」を試していこうと思います。 長々とすみません。あの素晴らしい本を出版して私たちに届けてくれた本屋さんと著した大浦先生に大感謝しつつメールを終わりたいと思います。(この本の出版は鍼灸界にとって、ホントにエポックなことだと思うんだけど) 。

  ・・・先日の講演は内容が濃すぎてボディブローのように、後になってからじわじわカラダに効いてくるので、今頃になって言葉がポロポロこぼれてきます。感想が言い足りなかった、と思いふたたびメールしてしまいまぴた。 ここからは、ちと不思議な話めいているかもとエキュスキューズを入れておいて。

  懇親会のとき質問しに、大浦先生のお席まで行ったときのこと。説明しながら、先生の指が右季肋部をかすめたのです。うぁあ!この感じ。そういえば昔、I原先生にタッチされた時の感覚に似ているんだが、似て非なるものなんだが、似てるかも。あの時も、うぁあ!と思ったもの。でも非なるもの。でも大浦先生のものは大浦先生のもの。まあ、何が言いたいかというと、指が手がスゴかったということ。それで鍼で「術」でしょ。すごいに決まっているわ。

 それで話は『鍼灸Osaka』の本屋さんの寄稿に飛びます。教科書の鍼術の定義についてふれた文章。 本屋さん曰く、「『技』というものは、人が人へ掛けるものだし、人が人へ伝えるものだ。(中略)人の身体で人の身体へ、という原点に立ち返るべきであろう。」 つまり、大浦先生は、大浦先生の指で、手で、身体で「術」を掛けているという至極当たり前のことが、私はそのときにわかったのです。自分に返って考えてみれば、私は私の身体で「術」を掛けて治療をするのだ、ということ。「術」の検証は本に記してあるし、具体的な手技の仕方も丁寧に説明されている。が、鍼を持つ手はおのれの手でしかない。 ここにいつも行き着くのだなぁ、六然社主催の講習会は…。 房中合宿、多賀フォー、『鍼灸Osaka』、大浦先生の講習会。いつもより、今年は「術」というものを意識させてくれた年になりました。本屋さん、アンジェラさんに感謝を込めて。よいお年を!(ってまだ12/22、23とあるんですよね)

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2007年12月18日 (火)

12月9日感想

もう一週間が経ってしまいました。先週の日曜日のご報告が遅れてしまって申し訳有馬記念。今回の講演会ときたら、またも、大変素晴らしい内容でしたよ。参加できなかった方のために(羨ましがらせる為に;笑)詳細を書きましょう。

 午前中は、ばーば佐智子先生の講座。タイトルは「今年も有難うございました・感謝際in東京 ~僭越ながら多賀フォー前座漫談を再演~ 《絵で見る病気治し入門》、《虹彩と歯形の共通点》」。2時間と感じさせない、中だるみを作らない、常に聴衆を惹き付ける話術のすごさときたら。天下一品ですね、本当に。ご本人は「大阪のオバちゃん」とおっしゃるけど、大阪のオバちゃん全員がこんな話術を持っているわけではない。本屋さんが「究極の自己防衛は、戦闘能力が強くなる事ではなくて、コミュニケーション能力だ。やくざに絡まれても相手を笑わせることが出来れば逃げられる」と何度も言っていたのを思い出します。

 さてさて、とにかくすごい人でした。満員御礼。定員の80名をかる~く超えていました。立ち見も出る状況で、椅子を出す為にスペースを急遽作ったりしました。(出版関係の方や歯科関係の先生、本屋さんの奥様とおこちゃま達、それに本屋さんの義兄弟(?)の方達もこっそりさんかされてまぴた)。今回初めてばーば先生の講演を聞く方も多く、きっと衝撃的だったことでしょう(笑)。途中で入った休憩のときは、あくびをしたり伸びをする人々は見なかったです(笑)。トイレに立ってすぐに戻ってくるという感じで、早く始まらないか待っている風でした。弾丸トークを浴びた後の参加者の表情はとても満足感に満ちていました。

 講義の内容は、四柱推命でみる芸能人の相性の話から始まりました。それから食養生の大切さを分かりやすく、テンポよく教えてくれます。元々、ゴルゴ先生が患者さんに話していた事を、ばーば先生が手書きして絵本を作って、患者さんに紹介していたのが始まりだそうです。それが時代を追うごとにパワーポイントになってきたということで、今回の枚数は140枚程。すごいペースでしょ。これを飽きさせずに展開するんですから。

 今回は一般の方も多数参加されていましたので、食べ物にも陰陽があるということから説明されていました。東洋医学的な食養生の基本をきっちり説明されていたので、メモをとりながらの方が多かったですね。戦後食べ物が無かった時代の子供達に栄養を付けさせよう、という発想で始まった学校給食がそのまま現代でも続いているのはおかしいでしょうと言う話もありました。「穀物を食べなさい、甘いものは害ですよ」のメッセージを発信し始めた20年前と今の状況はだいぶ違うそうです。随分聞く耳を持った人間が増えたそうです(笑)。所謂西洋的な食養の考えとは違うところが多いですが、人間の生理を考えればすごく当たり前のことが詰まっていた講義でした。「入り口(口)と出口(肛門)」、つまり人間を生かす食べ物と、そのカスである排泄物がきちんと出る事が大切だということも、ちゃんと教えてくださいました。

 この2時間の講義内容が一般常識となったら、相当病気が減るだろうなぁと思ったのであります。鍼灸師は患者さんの健康管理について色々とアドバイスできる瞬間が多いはずですから、この内容を頭に詰め込んで生かしていかねば! 食べる事は誰もがやっている事ですもんね。これが間違っていると、とんでもない結果(病気)が訪れるというのは当然の事だと、改めて納得した講義でございました。

 大浦先生の感想は後日またアップしま~す!

 

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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難経真義

杉山真伝流臨床指南

治療家の手の作り方

神道の呼吸法

ハイブリッド難経

超鍼灸法

東洋虹彩診断 『診断革命』

新日本鍼灸楽会草紙

大師流小児鍼

日本腹診の源流

皆伝/入江流鍼術

六然選書① 尾張藩医浅井家伝 金匱口訣

六然選書② 鍼灸開業 繁栄の秘訣

古伝大東流闡明

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2007年12月15日 (土)

お振込み日訂正

 9日の熱い余韻を書き溜めておりますが(笑)、その前に重大事項に気付きました。22日&23日のニコイチ講座のお振込み日の日付と曜日が間違っている・・・。star field先生、ご指摘ありがとうございました!

 12月16日(月)となっておりますが、16日は日曜日でした。ごめんなさい。17日の月曜日と書きたかったのですが、ゴチャゴチャしてしまうので18日(火)まで期限を伸ばす事にしました。謹んでお詫びと訂正を申し上げます。

 この場をお借りして、郵便振替のシステムについてちょっと説明をば。お振込みいただいた日から数日後に、こちらの事務所に「振込みがあったよん」書類が送られてきます。土日をはさむと長くなりますが、大体2日程度かかります。ですので、18日にお振込みの場合、こちらで確認できるのが20日となります。例えば今回の場合、18日にできず、19日にお振込みされた方が居たとします。こちらで確認できるのは講演前日になってしまいます。「キャンセルかなぁ。キャンセル待ちの方へ連絡しなくちゃなんだけど・・・、前日になっちゃったしなぁ」という事務的作業が発生します。殆どの方は期限ギリギリの場合は、「18日に入金しました!」などとご報告いただけるで助かっておりますし、特別な事情で入金が遅れてしまう場合は事前にご一報くださる方ばかりです。

 ・・・が、まれに入金日を過ぎて確認が出来ずに連絡すると、キャンセルの意向をおっしゃる方もいます。「社会人としてどうなの、その感覚」と思うわけですが、定員の設定が少ない場合は必ずキャンセル待ちがいると思ってくださって間違いありませんので、早め早めのご連絡をお願いしたいのであります。貴方がウダウダ、「行こうかなぁ、どうしようかなぁ」と悩んでいるその後ろに、「どうしても参加したい」という熱心な方の列がございます。仕事の都合で予定が組めずに居たとか、子供を見てもらえるようになったとか、突然だけど、参加したい熱意のある方は多いものでございます。そういった方々の機会をできるだけ潰さないように、と番頭としては思っております。

 さて、来週末のニコイチ講座。生憎、23日の本屋さん講座は定員に達しました。

 そして22日の長野先生《東洋医学と心の問題》は、年末のビックイベントとして広いお部屋を確保しておりますので、まだ受付大丈夫、余裕ありです。七情=感情=心の問題は病因の中でも外せない要因ですね。東洋医学の病因は、六淫・七情・飲食労倦・外傷・痰飲、瘀血とありますなり。要は気候風土、気持ち、食べ物、お仕事、怪我が体調不良の主要な原因だという事で、プラス二次的副産物の痰飲・瘀血も考えればばっちり、という塩梅です。「眩暈がする」とお見えになった方に夜も眠れない心配事がある関連性や、「耳のトラブル」の影に爆発した怒りがあった例に出くわす度に、「気持ちの問題って大きいなぁ。ご本人は気付いていないけど、症状も気持ちの表現の一つなんだなぁ」としみじみ思います。人間は感情に大きく左右される生き物なんですね。でも、これは自分で作り出しているわけですから、思考回路の劇的変換で治ることもあるわけです。この辺りは本屋さんはとても上手! 治療中に何気なく誘導して、何気なく違う思考回路の線を取り付けて終了しています(笑)。術とは手だけでやるものではないんだと勉強になります。あ、話がそれましたね。

 といわけで、心の問題というのは東洋医学では敢えて取り組むものではなく、日々の治療に診断に必ず含まれることなのです。ただし、イメージ作りが大事な東洋医学。長野ワールドに触れて、そのイメージを自分の中で確固たる物に練り上げてくださいませ。

《講義》

●テーマ:東洋医学と心の問題

●日時:12月22日(土) 受付 9:30~

               講義 10:00~11:45

●場所:代々木 オリンピック青少年記念センター センター棟 402

http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html

●参加費:和方鍼灸友の会会員 5000円、会員以外6000円

●定員:100名

《お申し込み方法》

こちら  までメールにてお申し込み下さい。お名前、ご住所、電話番号、学校名と学年(学生の場合)を明記願います。予約完了の返信をこちらからさせて頂きます(万一、予約者多数の場合は基本的に先着順ですが、熱意の感じられるメールを下さった方、和方鍼灸友の会会員様を優先させて頂きます)。

② 電話(03-6279-5101)、FAX(03-6279-5102)でもお受けしております。ファックスの場合は返信先の電話番号を明記願います。六然社・担当山本まで。

③ お申し込み完了後、入金締め切り期限:12 月18日(火)までに下記の口座へお振込み願います。

和方鍼灸友の会 口座番号
郵便振替 00130-5-351212

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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2007年12月 1日 (土)

歳末特別サービス

 お待たせしました。今年最後のビックイベントです。年末に向けての毒舌2daysにご参加下さい。素晴らしい年越しのために!!(笑)。

六然 歳末特別サービス

『鍼灸に賭して生きる魂』

~鍼灸にしっかり取り組む前に鍼灸師がハマリやすいヒーリング療法のアレコレ、その傾向と対策!?~  

 タイトルを見て「あれ?!」と思った方は相当な通人です(笑)。そう、一見鴻仁先生こと長野仁先生の日本鍼灸師会の講演「鍼灸師として生きる魂、信じる、生きる、掴み取る」のパロディ版? という感じのタイトルですね。 鴻仁先生の上記講演は、結論から申しますと(笑)「《今流行の》空想としての日本鍼灸」を語る事の虚しさを述べながら、臨床鍼灸師として如何に研究と実践と啓蒙に取り組んでいくか、という熱き思いを語った素晴らしいものでした。  

 六然社代表取乱役(笑)が贈る今回のタイトルこそパロディのようですが、前日の長野仁先生の講義「東洋医学と心の問題」を受ける形で、また違った切り口から本屋さんがよくいう「いい人達」に警鐘を鳴らします。まあ、簡単に言ってしまいますと、「儲ける、仕切る、省みず」、の怪しい治療に捉われることなく、ちゃんと汗を出して治療をやれよ! というのが今回のテーマ。  

 学生時代、鍼灸に取り組んでいる傍ら、陥りやすいのが安易な思い込みヒーリング療法ではないでせうか? ワタシの周りにも居ましたですよ。目を瞑ってブツブツ言ってみたり、手をかざしてみたり。こういう思い込みヒーリング療法をやっている人にやたらと多かったのが、患者さんから「邪氣をもらう」という思想と、それを具現化して自ら体調を崩して寝込む態度(笑)。「その思い込みの強さは何かに使えるよ」と背中を押してあげたくなるばかりでした。身体作りを習いつつ、心底思う大切な事は術者の姿勢と重心の取り方です。先日アロマ雑誌を見ていて笑ってしまったのですが、「セラピストの身体を守る」というキャッチコピーで肩を後ろにそらせる矯正バンドが売っていました。これじゃ本末転倒っす。健康を売り物にする人間がそういうものに頼るのってどうよ。生身で勝負して欲しいですねぇ。まぁ、矯正バンドに手を出す人は長い事この仕事をやれないんでしょうけど。

 「邪氣をもらう」という発想は、患者さんに対して失礼だ。これは六然社代表取乱役がよく言っていることです。「そんなこと言うなら治療家なんて辞めてしまえ」くらい言いますが(笑)、ヒーリングの世界を頭から否定しているわけではありません。ヒーリング療法全般にお詳しいからこそ、ニセモノには厳しいのでしょう。ですから、事前に善し悪しの見分け方の情報を得ておくことで、世に氾濫するニセモノ教室に入らないで済むに違いありません。

 さて、今回のテーマである「儲ける、仕切る、省みず」。 (金を)儲ける、(特定の価値観を押し付けて患者さんの人生を)仕切る、(自らの生き方を)省みず、に陥ることなく、自分なりの鍼灸を普及していく指南に富んだ内容となる予定です。とはいえ、取乱役の事、かつてとあるヒーリングセミナー主催者を青ざめさせた(受講予定者相手に総額15万円以上のネタを無料でバラしてました)ネタや、怪しげな気功の真実などをもこっそりと(ほんとか?)公開してくれるでしょう。

 「真実は美しいものとは限らない、だけどなるべく本質を見る目を持とう、そして自分の頭で考えよう」と、まあ本屋さんのいつも言っている事を展開される事と思います(本屋さん曰く、「僕の話をいつも聞いてくれてた人はもう来なくってよいです」……とは言え、同じテーマでも違う切り口で語る事が多いですから、あの毒舌に禁断症状の出始めた人もチラホラ既にお申込頂いています:笑)。

 後半は回数を随分と重ねてきました《身体作り》の「だけど座学編」(これは美味しいと見るかじゃあいいやと見るかでセンスが試されますねー;笑)です。実際に身体を動かしていた方にとっても、これから取り組もうという方にとっても、鍼灸師的身体理解を深める良い機会となるでしょう。

《講義》

●日時:12月23日(日) 受付 13:00~

 前半 13:30~15:00(予定)、 後半 15:15(予定)~16:45

●場所:貸教室・貸会議室 内海 1階教室

     東京都千代田区三崎町3-6-15 http://www.kaigishitsu.co.jp

●参加費:前半 和方友の会会員4000円、会員以外5000円    

       後半 3000円(全員)

●定員: 毎度の事ながら、多人数を嫌う本屋さん。限定約30名(本屋さんパス枠は一割です;笑)

※当日無断キャンセルによってキャンセル待ちの方が参加出来ない前例が生じていますので、キャンセルの可能性のある方はなるべく御遠慮下さい。

《お申し込み方法》

こちら  までメールにてお申し込み下さい。お名前、ご住所、電話番号、学校名と学年(学生の場合)を明記願います。予約完了の返信をこちらからさせて頂きます(万一、予約者多数の場合は基本的に先着順ですが、熱意の感じられるメールを下さった方、和方鍼灸友の会会員様を優先させて頂きます)。

② FAX(03-6279-5102)でもお受けします。ファックスの場合は返信先の電話番号を明記願います。六然社・担当山本まで。

③ お申し込み完了後、入金締め切り期限:12 月16日(月)までに下記の口座へお振込み願います。 

 郵便振替 :口座番号    有限会社 六然社  00150-4-44092

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