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2008年7月16日 (水)

こじんまり勉強会

 先週の日曜日、本屋さんの手技勉強会がこじんまりと始まりました。思いの他、参加希望者が多かったため(本屋さんは「人数多過ぎ! 断って!」と言っていましたが)急遽2部制になりまひた。学生チームと臨床家チーム。こういった分け方を今までした事がありませんでしたが、非常に上手く行きました。双方にとって益がある時間となったと思います。

 学生さんは《人への触り方から教えていかなくてはいけない》というところに落ち着きましたです。実際にそういったレベルから学校では教えていないので、参加者にとっては大変有意義だと思います。こういった基本は鍼を刺す以前の問題であって、「触りなれてくれば自然と上手にできるよ」的ズルズル感のようなアドバイスとは一味も二味も違った、実践バージョンの触り方を指導されていく模様です。始めに本屋さんが参加者に聞いていたのは下肢の筋肉や骨をどれだけ知っているか、でした。このあたり、東洋医学を勉強しに行ってるんだから西洋医学は無駄、みたいな考えの方もいらっしゃる事を本屋さんは批判しています。鍼灸学校でやる解剖学程度は当たり前、特に体表解剖学はちゃんと押さえないとお話になりません、とのことです。耳が痛い参加者もいた模様。

 さてさて、痛風の方に見られる特徴的硬結、というテーマになったとき、ワタシの足を(痛風じゃありません!)提供していたのですが、全員が触った後に今まで痛みを感じた事のない側が痛くなったりと予期せぬ痛みが作り出されてしまいました(笑)。ワタシ的には「そう押すと、こっちに来るのね」という理解が深まったので有り難い事でしたが。本屋さんが患部をいじらずに他で処置してくれたのでそれも勉強になりました。翌日には治りましたし。

 そうそう。面白かったのはですね、参加されている学生さん全員が鍼灸あん摩科の学生さんではないという事なのです。鍼灸あん摩科では全身を揉む時間がありますから、人を触っている満足感があって、特に焦りがないんだろうと推察されます。比べて鍼灸だけ師予備軍は、そこがないので非常に危機感を抱いているのではないかと。鍼の手ごたえよりも、手技での手ごたえのほうが分かりやすく、初心者には充実感があると思います。ワタシが学生だったころは「あん摩10年」と古い先生にはよく言われてものです。ただ、学校が変わっていく中で(鍼灸科に配慮して)そういう言い方は禁句となってしまったようで、今じゃ聞かれないフレーズかも知れません。本屋さんの絶妙手技に触れながら卒後2年が経ちますが、あん摩を手技療法と広く解釈して、と前置きをしてみると、やっぱり「あん摩10年」という言葉は意味があるなぁと思える今日この頃です。因みに、無資格者でもピカイチの腕を持つ方の存在を知って以来、資格じゃないよなぁと心底思います。

  さてさて、臨床家チームの事も書かないと。学生さんがいない分、どんどん進みました(笑)。同じ時間内かと思うほど進み具合の差が歴然。ペアになっての実技指導でしたが、実際にできなくても本屋さんの言うポイントの理解がとても早い。しかも応用バージョンを即座に作り上げてしまうツワモノもいらっしゃたりと、「打てば響くよ~」感溢れる時間でした。

 では実際にどんな事をしていたのかをご報告いたしましょう。特に臨床家篇は笑いの絶えない時間でした(笑)。今回の手技療法は本屋さんがまだ若かりし頃、取材に回っていた先で出会った先生の療法を教わる会です。例の如くテキストの出番は訪れずじまい。その先生がどういう影響を受けてこられたのか、つまりどのような先生についた後に完成させた手技だったのかに焦点を当てられていました。そこに《伝統》が持つ強さがあるからと強調。そして、本屋さんがそれを修得する前に、似たような系統で既に習っていた治療法を今回は教えてくれました。

 「皆さんに教えるに当って、僕がどういう流れの中でこれを修得したかを見せなくてはいけないと思う。なので、僕の中でベースになっている手技をまず教えます」となりました。「あ、それを出してしまうとは・・・」とワタシはびっくり。ナントこの技、頭痛やら生理痛やら腹痛やらぎっくり腰やらの一発療法でもあったりするのです。これは押さえておかねばならないですっ。以前に習った事のあった某先生曰く、「困ったときにはこれをやってみるとだいたい大丈夫という最終手段」だそうで、臨床によく出てくるらしいです。その他にも「これをやるだけで、患者さんが自分で勝手に治すね。活元運動みたいなものだから」と各自色んな感想をおっしゃいます。この中ではワタシが一番ペーペーなので、皆さんの言葉一つ一つが「患者さんを見てきている人は違うなぁ」ととても勉強になりました。

 この技はかなり痛いです。本屋さん曰く「一発療法とはだいたいが瞬間的な痛みを伴うものだ」そうですが、これはマジ痛いっす(笑)。だけど、上手く行くと青あざになったりはしません。ワタシが習いたての頃は「こないだやっていたただいた後、内出血してたんですが」と言われてしまうことが数回ありました(涙)。そして、上手く行ったときの判断基準として「笑いが出る」という反応があります。痛すぎて笑っちゃうわけです。学生チームでは笑いが出ませんでしたが、臨床家チームではアチコチから笑い声が湧き出ます。「痛い!」という代わりに出てくる笑いなので、心底の笑いです。だから周りにいる人も何故かつられて笑っちゃう。やっている方も「ごめんねぇ」といいつつ、つられて笑っちゃう。涙は出るは、汗は出るはの吐下法に近いものでもあったりするのです。一度笑い始めると、痛いと言う間もなく、「ヒーヒー、アッハハ~」と笑い続ける循環に入ります。でも、ここでも性格が結構出ますね。感情を表に出しづらい方は笑いにくい傾向にあるみたいで、逆の方は相当笑います。クリスマス時期になると街角によく出ているサンタさんの「ワォホッホ~」といった笑い声みたいなのとか、「OH!おうぅ!」と、外人がいるよ~というのとか(笑)。笑うと息が入ってくるので、やっている方も安心です。歯を食いしばって息を止めることは避けねばなりませんので。横隔膜も動くので、内臓の調整も出来るみたいで、うまくやられた後は非常にお腹が空きます。

 後半チームに参加された方からのメールをいつもの如く無断転用。リアリティある文章ですので、参考になるかもしれません。

 すでに技の一部としては常に見させていただいていたが、「私の正体を明かさねばなるまい」からはじまる、教えるモノとしてこんなに正直な講師の講座があるのだろうかと
思いました。何からの引用かずっと言わないどこかとは大違い(笑)。師が常々「勉強するからにはその人が何を見てきたのか、ルーツを知っておく必要がある」の意が深くのし掛かります。

 学生バージョンで下肢の筋肉や一芸を持て、の話がありましたが、臨床家こそが「俺には関係なぇ」となって欲しくないですね。一芸を極めることは他の芸(技術)をも極められること。ある一定の感覚を手に入れたってことですからね。
言葉では理解できてもこの感覚を手に入れるのは難しいよ。まぁ、もちろん簡単に手に入ったら困るけどね。

「僕にとってはこの手技の上に(だか下だか横だかわかりませんが)○×流があるのでまずこれをやりました。」という一言が、「そういうことか〜」と、一人勝手に納得してましたが、そういうことが伝えるための方法論なのかと。それが一番の収穫でした。でもこれは本屋さんの勉強会では終始言われてたなあと今頃になって気付きました。(笑) 

 こんな感じの一回目でした。基本から教える事になった学生班。「あそこからやっている意味が分かっているのかなぁ。これでいいの? 基本に時間を割いているほど回数無いんだけどなぁ」と本屋さんはぼやいています。今回初めて療術勉強会をやり、少人数制で学生と臨床家とに分けましたが、少人数ならでは。参加者の理解度がかなり伝わってきましたね。さてさて。次回はどういう内容が飛び出すのか楽しみです。

 

 

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