« 2月寺子屋報告&3月のお知らせ | トップページ | 4月の寺子屋「火針の習得と散鍼の世界観」&別伝日程(変更しました) »

2010年3月21日 (日)

2月の感想

先月の感想文が送られて来ました。この方は今度3年生の学生さんで、入学前の講座からいらっしゃっていたと記憶しています。とても行動的で、その後本屋さんの講座は月に一度の寺子屋と身体作りの延長である別伝講座の両方ともほとんど出席されています。

今回掲載させてもらうに当たって、「そうそう!」という着眼点がありました。臨場感溢れる感じで気付きについて書かれているので、皆さんにも読んで頂きたいな、と思いました。これは何度も何度も本屋さんの講座に出ていないとなかなか見えてこない物であろうと思われます。勘の良い方、他にも今までの人生である道を極めて来た経緯のある方はすぐにピンとくるのでしょうが、学校教育の頭のまま(自分で考えない)で寺子屋に参加されると「なんかすごい物を見たなぁ」、あるいは何か分かったように気になって一知半解で終わってしまったり、あるいは何も見て取れなかったりといったケースが少なからずあると思います。

この方のように粘り強く本屋さんにくっついてきた方は、ある時ふとこういう視点に気付くのだと思います。ここからが本当のスタートだ、と本屋さんはよく言っています。

遅ればせながら、2月の寺子屋の感想を送らせていただきます。よろしければお読みください。

2月の寺子屋に参加させていただいて、自分が今まで学校で習ってきたことはなんだったんだろう・・・とショックを感じると同時に「ちから」というものを考えさせられました。
寺子屋の別伝でも、「ちからを出す」と「ちからを入れる」とは全く違う。アナタはいっしょうけんめい入れている・・・と教えていただいていましたが、まさに入れているんだ・・・ということを自覚せざるを得ない実技でした。 ああ、確かに力が入ってる、違う方向にいってる、でもどうやって抜けばいいのかわからない、どうやってそこに出すのかが分からない・・・などという混乱がひどかったです。

今回は始まる前に、自分なりに「寄金先生が、伝えたい共通項はなにか?」という疑問を持って参加させていただきました。
途中、実技もいろいろ変わるので、こんなにたくさん覚えられないや・・・と思っていたら、ある実技の変化が原理のヒントになっていることに気づいて、急に「おんなじだ、同じことを要求されているのではないか」と感じました。

それは言葉にしてしまうとおぼろげなのですが 「ちゃんと愛情を持つこと」 という言葉が一番近いもののように思います。(我ながら怪しいですが、一番近い感じがそれだったので)そう感じたことに関連して、時々笑ってお話される「祖父の遺言は、『人の嫌がることをしろ』だった・・・」という話を思い出し、冗談のように聞いていたけれど、それも「人に愛(うまい言葉がみつかりません・・・)を持って生きなさい」というような意味が含まれているのでは・・・すごい生き方をした人だったんだなと思い、私なぞは、どうしても波風たてるのがめんどくさい、嫌だと感じて、言葉に出さないことが多いので、より痛く感じました(賢しい思い込みだと恥ずかしいのですが・・・汗)。

そして前半で紹介されていた、「そばもん」。
以前からちょこちょこ目に留めてはいたのですが、気になったので、改めてコミックを読みにいき、「変えなきゃいけないのは、考え方だ!、こうやればこうなるじゃないんだ、こうなる様ににどう打つか?だ!」という言葉にハッとしました。霊手指圧にしても、こうやればこうなる・・・っていう方法を捜す気持ちでやっていたんだな、こうなる様にどうするか?だなぁ
自分でやる・・・と思ってはいても、まだまだマニュアルを求めていたんだなぁ、と一人納得し、同時に、力を抜くというのは、部分ではないんだなということ、そのときだけ抜こうとしても上手くいく訳ないな・・・と感じ、日常でも力を抜くことを意識して生活しつつ、延べ1000人を目安に毎日いろいろな人に試しています。

まだまだ力は入っている気はしますが、それでもなぜか硬結がふっと取れるのを時々感じるようになりました。

寺子屋で感じたこと、その後感じること、気づくことがたくさんありすぎて、書ききれるものではありませんが、とりあえずの形で言葉にしてみました。
簡単ながら、感想とさせていただきます。いつもありがとうございます。
それではこの辺で、失礼します。

↑以上です。

今日の寺子屋でも『そばもん』の抜粋を紹介されていました。ワタシも借りたのでこれから読む予定です♪

|

« 2月寺子屋報告&3月のお知らせ | トップページ | 4月の寺子屋「火針の習得と散鍼の世界観」&別伝日程(変更しました) »