寺子屋の報告がすっかり遅くなってしまっております。楽しみにしていて下さっている方が居たらすみません。
さて、今年初の寺子屋も内容が濃いものでした。
ワタシは遅れての参加だったもので、講義を途中からしか聞けなかったのですが(最初は本屋さんからみなさんに御年賀で「特製七妙とんがらし」が配られたようです…)、ワタシが部屋に入ったときの空気の重々しさから「お、新年しょっぱなから本質に迫った内容を話されているな」と直感しました。
「医療は、手に職を付けようとか思って入ってきていい世界なの?」
席に着くなり耳に入ってきたのはこういう言葉でした。とても核心に迫るメッセージです。
多くの鍼灸学校が「この時代だからこそ手に職を!」と謳っており、それに乗って入学を決断された方も少なからず居るはず。普段、鍼灸師が人の生き死に接する局面は日常的ではないにしろ、その方の症状というは「心身の使い方」=「日常をどう送っているか」、突き詰めれば「どのように人生を捉えて過ごしているか」そして「どういう死に方がしたいか」という非常に個人的な部分と関わるわけです。
今現在つらい肩こり、腰痛を治すときにはそこまで関わることはないかもしれませんが、その方の仕事や育児や介護など心身の使い方の問題点が再発の大きなポイントであることが多く、姿勢を変える、筋力を付ける、体重を落とす、体の使い方を変える、心の持ち様を変える、生活習慣を変える、といったアフターケアをしないと慢性的不定愁訴等から抜け出せず、その作業には決まって個人の人生観に関わらざるを得ない場面にぶち当たります。そのときにこちらが何を持っていないといけないのか。それが本屋さんがいつも言い方は違えど伝えたいと思ってらっしゃる「自分の生き方で示す」態度なのだとワタシは思っています。それが言葉を超えた所で相手を変える後押しになる「人間的説得力」なのだろうと。
「ちゃんと生きなきゃ駄目だよ」。そう言われているのは何も品行方正に生きよという意味ではなく、「自分の軸を持ちなさい」ということなのだと思います。「だってそう言われたから」、というような他人に責任転換させる思考ではなく、「自分がそう思ったからやったのだ」と自信を持って言える裏付けを日常的に積み上げろ、大きなことではなく小さなことこそ積み上げる。そういうことではないかと。
軽い所の例で云えば、毎日毎日お菓子を食べている。健康に携わる人間がそれでいいのか、と投げかけられたときに「それでも健康でしょ」と納得させる風体を保てていればOK(笑)。これは半分冗談ですが、「先生を見ていると真似したくなる、取り入れたくなる」と云わしめるのが人間的説得力であって、生き方での提示なのでしょう(反面教師の意味でなく)。
ただし、お菓子を食べ続けていても説得できる風体というのは実はものすごいハードルの高いことだと思います。上から目線で「食べるべきではない」というのは簡単ですし、多少ストイックな部分があればこの種の我慢はそれほど難しいことではありません。
玄米菜食主義を一貫して貫き、排他的で心身ともにギスギスに痩せて魅力のない高圧的な先生に、とあるワークショップで出会い、がっかりしたことを覚えています(菜食主義で素晴らしい人間性を備えた方は沢山居ますね、念のため)。それに比べて毎日お菓子を沢山食べているそうだけど、ものすごく壮健に見えるってのは、食だけの問題じゃ健康は解決しないんですね、例えば運動ですよね、あとはそんなににこやかに居られる余裕のある精神のあそびに人間的魅力を感じてしまうのかな、先生みたいにおおらかに日々を送らなきゃ損よね・・・、でも虫歯にはなるかもしれないからデンタルフロスを毎日しよう、血糖値は必ず上がるから食べる時間帯や量も気にした方がいいかも、そうなるとこの種の甘さが体に害がなさそうかも、などと、患者さんが勝手に思考し、考えを改め、生活習慣を改めていったら治療は治療院の外でも続いていき、患者さんの人生観をちょこっと路線変更させることができるのです。このちょこっとの路線変更の蓄積によって新しい習慣を定着させ、再発防止となり、健康を自分でコントロールできるタイプの人間になっていくことができますよね。
さて、前回だかその前だかで手根骨のばらけるヤツとかをやられていましたが、その延長なのか、今回は五兪穴の話から始まって、動きとツボの話、そして『治療家の手の作り方』というテーマに沿って、ようやく(笑)、満を持して指の練習方法が始まりました。何年ぶりでしょうね、京都医研で教えた以来かな、とおっしゃる本屋さん。教えてもらいながら参加者は一生懸命に手を動かしていくのですが、何パターンか教えてもらううちにゴチャゴチャになっていきます。それに対して本屋さんは「何をしてはイケナイのかを覚えていないからで、それは話を聞いていないのと一緒!」と、ピシリ。何かを身につけたいときは、守らなきゃいけないことを1番に、やった方が良いことを2番に。これを続けていくと2番の出番が多くなり、クオリティーが上がるというすべてに共通する普遍的なお言葉に、皆さんうなずく。
手を作りたいなら意識的に手をまず開く。体を動かすときには、大きい部分を動かすと痛めにくいというのを毎回のように注意されます。これは武術では基本中の基本なのでしょうが、体を作るというのはこういう基礎が当たり前として入っていないと土台が出来上がらないのだなぁと身に沁みます。これが治療に於いても活きてくる訳で、患者さんの姿勢の取らせ方、技を効かせる位置取りなんていう発想(鍼灸学校では欠如してますが)が出てくる土台となるわけです。だから本屋さんの手技治療法は瞬時に効くんですね。
また、これとは逆に「一番小さなものを動かして体を全部動かす」、の練習もしました。仰向けに寝た人の足の小指を持って全身を動かす練習。そりゃぁ小指をうごかせば全身が揺れるものですが、本屋さんがおっしゃるのは体の軸をどう動かせるか。つまり、小指を持って全身の症状を瞬時に取る、という「芸」に続く基礎練習です。本屋さんがやると内蔵が揺さぶられ、首の凝りが外れて体が整います。下手な人がやるとあまり揺れなかったり、指が痛かったり、ベクトルが下になりがちで把持が甘く靴下が脱げるだけ(笑)。次の段階では、小指を持つ反対の手で足首を引把持するのですが、うまく出来ないと、そこで出来る遊びを利用できずにかえって邪魔して刺激が伝わらない人…。そして刺激の戻りを待てずに自分勝手に(相手の反応を見ず)ゴンゴンと押すだけの不快な刺激となる人…。
こういう揺らしは副作用として「吐き気」「めまい」などの気持ち悪さを引き起こしますから、むやみやたらと揺らせば良いわけではないと、安易な揺らしへの警告もありました。また、こういうタイプの人には揺らしをしてもうまく行かなかったり気持ち悪くなったりしやすいよっていう話も。
とまあ、同じ一日の中にものすごい濃縮された時間が集中するのが毎回の寺子屋なのであります。
ところで、明日は目黒鍼灸師会で開催される本屋さんの実技講習の日です。散ずる鍼(散鍼)と秘密兵器の紹介がされる模様です。