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2014年8月

2014年8月22日 (金)

妊婦の動作あれこれ

引退宣言後に投稿です(笑)。産後しばらくは目を使うな、との本屋さんの仰せに「あ、そうだった」と、その助言を守ることにいたしまして、産前に書き上げておこうと思いました。妊娠9か月のころ、本屋さんに同席してもらいながらお腹が大きくても負担にならない、マイナートラブルを出さない体の使い方あれこれを撮影した時の話です。

ワタシの湯たんぽ本を作ってくれた編集さんとはその後も仲良くさせて頂いておりまして、妊婦のマイナートラブル色々を体の使い方でかなり解消できるよ、なんて話をしていたらワタシをモデルにして写真を撮っておこう!と作戦会議が進みました。編集さんのご主人がカメラマンさんなので、うさぎ堂を撮影場所として座り方、立ち方、掃除機の掛け方、寝方などを撮影しましたよ。これは資料としての撮影でしたが、いずれ公開できる時が来るのかもしれません。ワタシもどんな風にまとまっていくのか楽しみにしているのですが、彼女が骨折してしまった関係で、だいぶ先になるのだと思われます。

さてさて。皆さんと共有したいなと思ったのは、本屋さんが指導してくれた起き上がり方なんです。これは、以前にも身体の使い方講座の中で、身体を伸ばしたり縮めたりしながらゴロゴロと転がり、移動するというのがあったと思いますが、それと根本的には変わらないとのことでした。

妊婦が寝床から起き上がる動作はかなりの、よっこらしょなんです。患者さんでも向きを変える時、起き上がるときに大変そうにされている方がほとんどです。これが本屋さんの教えの通りにやってみると、なんと殆どストレスなくすんなりと起き上がれます。

仰向けに寝た状態から横を向いて起き上がるのですが、ワタシがやってみたところ、無駄なステップが多すぎる、力を使う方向が違う、とのご指摘。足をもっと体に引き付けてから回るとか、足を伸ばす方向がそっちじゃなくてこっち、等々のアドバイス通りに何回かやってみるとできるもんなんです。とても起き上がりやすい! お腹がじゃまでここまで足を持ってこれない、持ってきてはいけない、という存在意識があるんですね。これは歩き方や立ち方に至っても同じで、お腹を突き出すようにしてしまうのはこの「意識」の問題だと思います。掃除機の掛け方もそう、理にかなった動きをしていれば、掃除機かけて腰痛、なんてあり得ない…、「起き上がる動作の中でバラバラに体を動かすのではなく、一緒に動かす」。これは常々本屋さんが「初めて立ち上がる子供のマネ」付きで言われていることでした。妊婦の動作も同じだったのか!と、合点しました。妊婦=特別な状態、と思うから間違う動作も多いのでしょう。単に太ってる、お腹が出っ張っているだけと最近は思って動くとかなりスムーズに行けることを発見しました(笑)。赤ちゃんがいる、転んではいけない、という用心する心がけが足を蟹股にし、お腹を目立たせるように突出し、すり歩くようになってしまうんでしょうね。そのせいで、腰や背中のコリが生まれてしまうのですが・・・。

妊婦になる前から、本屋さんが不適当な妊婦歩きを揶揄するのを見てきましたから、ああなってはいけないと思って気を付けてきました。そのお蔭で背中や腰に余計な負担を掛けることがなかったことから腰痛も起こらず、また胃を背中側から圧迫することもなかったので、お腹が大きくなっても胃に物が入らないということもありませんでした。

臨月になると足元が見えないとも聞いていましたが、このような姿勢を取っていれば特に見えないこともないんです。多くの妊婦さんはお腹をあえて突き出してしまってるのだと思います。鳩尾を引くようにしてあげると背中と骨盤が一体になる感じになります。そして、この姿勢だと背中で呼吸ができるというか、東洋医学でいう腎に息を入れるという感じでしょうか、ストレッチをしなくても、マタニティヨガをしなくても体を楽に保てますよ。

そうそう、先月○っちゃんに「もっとお尻が下がったらいいのに」と言われました。お尻のお肉ではなく、骨盤の形のことを言われているわけですが、妊婦のお尻の形に注目していなかったので、これは目うろこでした。

  体の使い方、見方って面白いですね♪

 さてさて、ワタシはもう予定日も過ぎていますので、失礼致します。編集さんが本を仕上げてくれたらまた御知らせしますね。ではでは〜。

※9月の第三日曜日はいつものお寺がお彼岸の為使えません。ですので、春・秋の<手作り身体作りのテーマ>で別伝会場で行います。時間も午前の10時10分〜昼休みを30分位とりますが、午後の14時半位迄、講習料は普段と同様1万円です。こちらも御希望の方はいつものアドレスまで。予め連絡頂ければと思います。

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2014年8月 8日 (金)

2014年7月寺子屋の感想と8月のおしらせ

7月の六然寺子屋講座は「澤田流針灸術について」でした。澤田流については以前にも話した事がありましたが、今回は、何故、澤田健が「太極療法」という境地に辿り着いたのか、金束流や新海流の資料を参考にしながら解説しました。
 詳細は、ちょっと手に余ります。本屋さんは常にリアルタイムなライブにこそ意味があるので、記録を撮る事を否みますが、ブログ読者の為に、参考になればと思いまして、ここは参加者の先生方に頂いた感想を掲載することでお茶を濁しておきます。

===========もはや超ベテランの先生からちょっとお巫山戯も入った感想です(笑)============

◎「候腹師説」の邪の捉え方は面白いですね。…中略…まさに療術、鍼灸の為の去邪方だと思います。故人を悪く言ってはいけないのでしょうが藤平県達がやってた寒熱を無視して腹症だけで湯液を処方する事に批判的だったので尚更です。…中略…腹症に現れる邪は(寒熱の症状が顕著でなければ特に)湯液よりも療術、鍼灸で対処すべき問題かと思いました。そして療術、所作に対する造詣の恐らく低かった代田文枝(落語家みたいでしょ)は澤田流を真似ても全く効果を引き出せず、結果的にどんどん澤田流の持っていた伝統的な身体観から 離れていったんでしょうね。

=======こちらは、別伝にも熱心に通われている格闘技通の先生から===============
◎△です。
記憶が新しいうちに、感想を送ります。ここ数回の寺子屋テーマの変遷を辿ると
 失伝 → 不可能 → 誤伝
ときていますが(笑)……、ここまでくると、次回以降は
「盲信」
「固執」
「知ったかぶり」
「できたつもり」
とかになってしまう勢いで怖いです(笑)。
帰ってから資料を読み直してみると、
○金思順の『候腹師説』が、写本と、山田国弼先生の本に引かれたのとでは、
五腧の虚実の区分名が変わっている
(前者では「満」-「脱」 「堅」-「縦」となっている関係が、後者では「満」-「脱」 「堅」-「軟」となっている)
○新海流の秘傳書にあるツボの位置が、例えば『ツボと日本人』に紹介されている別流派のものと比べると名前は同じでも位置が違ったりする(村雨など)
……など、これだけでも知識・技術を継承することのむずかしさがヒシヒシと伝わってきます。
知識・技術、沢田健についてのエピソードや印象についても、人により言うことが様々で、課題図書、『芦原英幸 正伝』と同様、
「失伝も不可能も誤伝もすべて勢揃い」
しているような印象があります。
沢田健の場合は、
・中山忠直によって「売り出された」際のイメージも重なって、東洋医学(アンチ西洋医学としての意味で)の代表選手、超人的なイメージ(資料『お灸で治せ』)
・寡黙・実直・勤勉な城一各に比べて「元来学問のない人」で「復興のために足を挙げようとしなかった」(資料 成瀬勝忠「先覚者としての城一格先生」)
等々、さらにそこに対する反論があったり……。外野から見ていると、結局、各人が
「自分の見たいものしか見ず、拾いたい情報しか拾わず」
となっているように見え、そのバラつき具合に、今回の寺子屋は、ちょっとしたミステリーでも読んでいるような気分でした。
中山忠直が沢田流を「出来る」気になってしまっていた、というのも、ある意味沢田健のカリスマっぷりにやられ、同じようなことがしてみたくなったり、出来るような気になってしまったり……ということなのかもしれません
(寄金さんの周りも、そうした例には事欠かなそうですが……)。
恥ずかしながら、かく言う私自身が、寄金さんにお会いするまでは想像していなかったような世界に触れて「しびれてしまった」結果、特に霊手指圧や陰活といったちょっと不思議に見える技で、たまたま良い治療結果を出せた時にはちょっと「出来る」ような気分になってしまったことは否めません。禅でいう、魔境みたいなものでしょうか。その後、すぐにその気分は打ち砕かれましたが。
この「出来た」ような気分も失伝・不可能・誤伝の原因なのでしょうね。「どこが出来ていないか」を問い直し続けるプロセスが動き続けないと、モドキのままで技にならない。
私からすると見上げんばかりの「先輩」たちも寺子屋に通い続けているのは、この「問い直し」の場が欲しいからなのかもしれません(単純に寄金さんの話が面白い、という面も勿論あるとは思いますが)。
そして各人が同じ人間、同じ肉体、同じ感覚ではない以上、人が技を伝える際には、程度に差はあれど取捨選択、編集が生じてしまい「誤伝にならざるを得ない」ということもあるのかと思います。
野口三千三曰く、

「感覚とは錯覚のことであり、錯覚以外の感覚は事実として存在しない。
 理解とは誤解のことであり、誤解以外の感覚は事実として存在しない。
 意見とは偏見のことであり、偏見以外の感覚は事実として存在しない。
 判断とは独断のことであり、独断以外の感覚は事実として存在しない。」
とのことですが、これに倣えば

「相伝とは誤伝のことであり〜」

になってしまう。
それでも少しでもオリジナル近くまで精度を上げていこうと思えば、延々と「問い直し」をする必要があり、先達と過ごす時間やその深さが重要になるし、そこで「見たくないもの」まで見る意識や、「拾えなかったもの」を拾えるようになるような肉体・感覚の練磨が無いと、そもそもお話にならない。
「<悟り>は得て終わりというものではなくて、問い続ける状態こそが<悟り>」
という話や、
「出来ていないことを解消していった末がゴールなのではなく、ようやくそこからスタートだからね」
という話や、
「技を盗むということは、同じ動きをコピーすればいいってことなのではなくて、自分の中で再構成して出力すること」
という話もぜーんぶ繋がってくる(寄金さんの言を借りれば「結局いつもと同じ話」となるのかもしれませんが)、感じがありました。
そんな中でちらりと話のあった丹田のお話、…中略…思えば、初めて『ツボに訊け!』を読んだとき、全体的な文章の中で、丹田について書かれたあたり、丹田を使えって言う人が多いけれど、どれだけの人が使えるのか、という問いかけが他の部分よりキツめのトーンに感じられ、
「この寄金先生という方は、よほど身体をつくることにこだわりがあるに違いない」
と思い、それがのちに私が寺子屋に行き着くキッカケでした。
…中略…

これでも最初に書いた半分くらいまでは編集しているのですが、毎度長くなって申し訳ないです。
====また、1年位前から寺子屋に通われ始めた先生からこんな意見も頂いています。=====
時々、『医道の日本』にて、
「澤田流」についての特集が組まれることがあります。
ですが、読む度に虚しい気持ちになるのは、無理矢理、臨床報告と絡めているからなのか。はたまた、「澤田流」、「太極療法」を筆者自身の都合良く解釈しているからなのか。小生の読解力の問題もありますが、釈然としない、というかどこか虚しい気持ちで読んでおりました。今回、お話を伺い、その辺のモヤモヤが晴れた様な気分です。
========皆様から、感想や反応があると本屋さんも寺子屋講座を続けていく気持ちも続くようですので今後とも宜しくお願い致します。もちろん、反論、御批判御叱正も歓迎です======================
さて、8月の六然寺子屋講座は、またまたマニアックなテーマです。
「松本道別、『霊学講座』を読む」です。「8月は幽霊展とかやるからね、だから寺子屋も霊術(笑)」とか言っていましたが、野口晴哉等とも、密接な関係があり、日本の多くの霊術家、治療家に多大な影響を与えた松本道別、その巨著である霊学講座の解説と読み解きは、本屋さんの隠れた(?)一面を明らかにするかもしれません。正木先生をして「用意した貴重な資料を大胆に捨てる」と言わしめた本屋さん、いつも「読んどいて下さい」と渡される貴重な資料の数々があります。以前、桑田欣児についてやったときは、古書肆で数万円相当の資料を配ってましたが、次回も期待できそうですね。
 お盆の為か、8月は若干の空きがございます。
  参加御希望の方はいつものアドレスまで。
 また、また、9月の第三日曜日はいつものお寺がお彼岸の為使えません。
 ですので、春秋の手作り身体作りのテーマで別伝会場で行います。こちらも御希望の方は予め連絡頂ければと思います。
 それから、寺子屋講座の前座として、ここ一、二年不定期に続けさせて頂いたうさぎ堂講座ですが、ワタシの出産、子育ての為、当分の間休止とさせて頂きます。また、企画開催運営と関わってきた寺子屋講座ですが、今後も本屋さんは続ける意志があるようですが、とりあえずワタシはこれを機会に一旦身を引き、出産子育てに専念したいと思っています。中途半端に関わるよりも、ご迷惑をかけないだろうと思いまして。本屋さんは適当でいいよと言ってくださったのですが、熱心に通われている皆様への対応が遅れがちになってしまうのは否めませんし、本屋さんをサポートしてくれる信頼できる方々もいらっしゃるので安心です。
 出産予定日まで10日を切り、いよいよカウントダウンが近づくにつれ、現実的に産後時間が作れないのを実感しつつあります。今まで独り身で好き勝手に働きたいだけ働き、自分の時間を最大限に謳歌してきましたが、産休に入っていざ主婦業もしっかりやると案外やることってあるんですよね(笑)。結婚や出産を機に今まで通ってらした方々の参加率が急に落ちるはずだと合点しました。
 産休に入る前では大人2人の家事なんて適当で構わなかったのですが、朝から晩まで働いてくれている旦那の生活全般のケアをしっかりしたいとなると、家事のクオリティも必然的に上がります。そうなると時間と労力がかかって当然で、最初は仕事がないと暇だと持て余していた時間も、あっという間に一日が終わるようになりました。働く脳みそ=男性脳であったのが入れ替わりつつあるのを感じています。
 ワタシは専業主婦の母の元に育っておりまして、自分のイメージの子育て環境を実現したいとなると、治療院に戻るだけで精一杯だと、勉強会活動に関わることを諦めました。好きなことを仕事にでき爆走できたのも、38歳まで実家暮らしのパラサイトシングルで、生活全般を母にご厄介になっていた分、余った時間的、体力的、精神的、金銭的余裕の上に築けたものだったのだと結婚して分かった次第です。主婦の見えない力、縁の下の力持ち的存在が家族にとってどれだけ飛躍につながるかが分かっている以上、ワタシもその役割を全うしたいと思っています。
 3人のお子さんを持つ本屋さんは「子供に手を掛けるべき時期を間違えている人が多い」と、よくおっしゃっていました。しょっちゅうお邪魔していましたから、奥様がどれだけ手を掛けて子育てをしてらっしゃったか、ワタシはよく知っています。三つ子の魂百まで、ではないですが、乳児期から幼少期にかけての期間がどれだけ大事なのか、その期間があったから勝手に羽ばたいていける自立した子に育つ、というお話を実践するのみだと思っていますが、治療院に戻れば患者さんたちが待っているという現実に目一杯働きたい欲求も抑えがたく・・・(笑)。今後の葛藤の一番になりそうですが、いざ生まれてきた子を抱いた瞬間にどうでもよくなったりするものなのかもしれませんね。とりあえず、産んでみないことにはわかりませんし、産後になんでも考えようと思ってはいたのですが、勉強会に関しては本屋さん以下、大勢の方に関わるので早めに結論を出してみまぴた。
 寺子屋や直伝会などを通して、全国の先生方や参加者の皆さんに接する機会を頂け、本当にかけがえのない日々を過ごすことができました。ワタシが一番お得だったのは間違いございません。本屋さんという、ものすごい存在があってこそ存続した勉強会です。これからも、皆さん個々にその恩恵を与る機会を十分に活かして頂き、鍼灸師人生を楽しんでいってくださいませ♪
 子育てが一段落した数年後、また顔を出せる日が来るまでの間しばらく、ごきげんよう、さようなら、なのであります。今後ワタシへのご連絡は、うさぎ堂のメールアドレスに頂ければ幸いです。
今までありがとうございました!!!!

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