8月の感想と9月〜10月のお知らせ
ブログ的には、 「はじめまして」の六然社主寄金です
うさぎ堂堂主が数年間に渉り続けて来てくれた当ブログですが、彼女の出産を機会とした卒業(?)に当たって、閉鎖しようかどうしようかと検討中です(そもそも、 仕事としては website 作ったりしてるのに、何故六然社HP無いんだ? とかいう突っ込みもありますが…)。
基本関係者しか辿り着かないブログでしょうから、あってもなくても大して影響がないような気がしているのですが、とりあえず寺子屋は継続予定ですし、別伝予定の告知も在った方が便利だろうし、有り難い感想も幾つか頂いてしまっていますので、掲載しておきます。小生、野口晴哉と松本道別との関係については、誰でも知っている話だと思っていましたが、現実に下記のような感想を頂いてしまうと、ある程度情報を発信し続ける意味はあるのかと思わざるを得ません。野口整体
で有名な「輸気」も『霊学講座』中に記述があることから分るように、元々は松本道別由来ですし、またそれ以前の由来も在ります。
自分の師匠が何を習って、それを編み出したのか…、それを辿る事で見えて来るモノも沢山在るのです。辿れる所迄辿ってみて源流を探る作業をせずに、目の前に現れた安易なモノを神様扱いしてしまう人が多いのは何故なのでしょう?
案外偉そうに話している人御自身が、自分が思いついたように思ってもそれに類する事をやっている先行者は大抵いるもので、それに目を瞑って宗家病
に罹っている人のなんと多い事でしょうか?
ま、それはともかく、頂いた感想を適度に列記させて頂きます。いつも有難う御座います。
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大変勉強になりました。霊学というものを知らなくても、 学ばなくとも、 臨床においてさして参考にもならないだろうという安易な先入観を もちつつ受講しておりました。なんともお恥ずかしい限りです。 野口整体はあまりにも有名で、 その野口晴哉先生ですら松本道別にかなりの影響を受けていた事実について目 からウロコでした。
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8月の松本道別と霊学テーマでしたが
、まさに「霊学」講座でした。
田邉 信太郎は『癒しを生きた人々 近代知のオルタナティブ』等で知っていましたが、松本道別に関する論文も書いていたのですね、あの資料は激レアお宝ものでした。また、惜しくも最近逝去された、井村先生の『霊術家の饗宴』を題材に幾つかの話題を展開されましたが、寄金さんは、井村先生が『霊術家の饗宴』の中で述べている「濱口熊嶽を始めとした霊学家の父性」について、「自分は具体的には何を以て父性とするのか正直分らない…」と述べておられましたね。でも、自分はこれについてなんとなく思ったことがありました。
講義中で、深息法、神息法、それらの源流や、残気排出法(と呼ぶのでしょうか?)等の実技もありました。残気…の簡易バージョンは知っていましたが、あそこ迄徹底的にやるのですね。あれが教われたのは大変な財産だと思っておりますが、お寺で練習している途中で一種のトランス状態に近くなり頭の中が真っ白と言いますか、 意識が何処かへ飛びそうな感覚が何度もありました。ある種身の危険みたいなものさえ感じましたが
、 指導してくれる人が見ていてくれるから大丈夫、みたいな妙な安心感の中で練習できたので、不安はありませんでした。実際数名、途中で頭痛や気持ち悪さを訴えていた参加者がいましたが、寄金さんはすぐさま調整して治されていましたね(ああいうのが見れるのも寺子屋の醍醐味だと思っています。何をやっているのか分る訳ではないのですけど)。
「何かあっても大丈夫感」それが一種の父性なのではないかしら…、帰途、そんな事を思いながら、資料を読んでいました。次回は、輸気の具体的な解説ということでこれまた楽しみにしております。
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今回の「松本道別、『霊学講座』を読む」の中で、オカルトの話が、イヴァン・イリイチの話と繋がったのが、私としてはちょっと感動的な出来事でした。
『シャドウ・ワーク』を20歳前後で初めて読んだときに印象に残ったのは、個別の論よりは、イリイチの論を貫く、「『二元論的なわかりやすい理解の仕方』に
飛びつかず、距離をとって論じる」ような考え方です。
本の細かい内容は今回の寺子屋後に読み返すまでほぼ忘れていましたけれど、
そんな感じの、二元論で問題を単純化してぶった切った時にこぼれ落ちて消えていく(そして、そのことに気付かれもしない)「何か」こそが、イリイチの論じたいところなんだろうなぁ、という、その感覚だけは、残っていました。
改めて読むと、
「環境が次の三つの種類から構成されていると考えるのは、人間的なことである。すなわち食物、禁止された食物、そして非食物。ヒンドゥ教徒にとっては、豚肉はタブーであるが、ベゴニアはタブーではない。」(岩波現代文庫版 p80)
……と、食べ物のたとえで分かりやすく表現されていましたが、これは、今回の寺子屋の内容を自分なりに消化する上で、ものすごく重要な切り口だなと感じました。
陰陽に切り分けられた、その手前の、意識されないヴァナキュラーな領域。
『霊学講座』に話を戻すと、松本道別の凄い点は、仄暗い領域にあったオカルティックな技術や知識を、どんどん露出して、まな板の上に載せていったことなのでしょう。
人体ラジウム(人体放射能)という仮説をもとに物理的に検証しようとしてみたり、霊術による治療を当時の解剖生理学と繋げてみたり、遠隔治療を心理作用と喝破したり。
「禁止された食物」や「非食物」だったものを「食物」にするように。
松本道別のもとで学んだ人たちが何人も後に自分の団体を旗揚げするほどになった、というのは、この松本道別の、オカルト的技術・知識の処理の仕方によるところが大きかったのだと思います。
しかし、おそらくこの種の技術や知識を伝承するにあたって、ヴァナキュラーな領域が共有されているかどうか、それ以前に、当事者にヴァナキュラーな領域のことを「拾える」感覚、器がなければ、伝わるものは質的に全然違ったものになってしまう、という点で、「霊学」としての体系化は、諸刃の剣だったようにも思えます。
心理学の実験で、
「写真を見ながら記憶をさぐると写真の被写体と関係の深い記憶はよく思い出せるが、写真に関わらない記憶はかえって思いだしづらくなる」
というものがあると聞いたことがありますが、おそらくそれと同じようなもので、技術・知識の体系化・文字化・言語化は、その隙間に潜むものの継承をかえって妨げてしまうのかもしれません。だから、いわゆる不立文字にも、録画はダメよと言われている寺子屋にも、それなりの合理性があるということですね。
霊学がその後、どんどん発展・普及することは無かった、というのは、やはりオカルトはオカルトに適した、陰花植物のような生存形態がある、ということなのかもしれません。
また逆に、オカルト的な体系の中にあるからこそ、呼吸法などの技法は、時による淘汰を受けつつも何とかノウハウとして生き延びたのかもしれません。
このあたり、よく寄金さんのおっしゃる、
「鍼灸はけっしてメジャーな医学にならない」
「本当にグローバルなものにはなりえない、あくまでローカルなもの」
「エビデンスよりも指でんす」
「<その町>のヒーローであればいい」
……といった話ともつながってくるように思えますし、寺子屋・別伝が、講習会の形はとりつつも、個別の技を「出来た気分にさせる」
ような指導の仕方をとらないのは、ただの技の紹介で終わらないように、このヴァナキュラーな領域を少しでも伝えられないか、というオヤゴコロなのか、
と合点が行ったのでありました。
そんなわけで、私なりに今回の寺子屋に、勝手にテーマを付けるならば、
「陽を当てすぎて枯れる花のごとく、伝え過ぎても失伝」
といった感じでした。
○実技、深息法その他を練習して
ヘミシンクやらも試した人間としては、「変性意識」と聞いたらやらないわけにはいきません(笑)。
ということで、今回実技として教えていただいた深息法、練習しております。
難しいのは吐ききった状態からセーブしながら吸うことで、なかなか、急に空気が流れ込んでくるのを止められません。
無理に止めようとすると自律神経系に相当な負荷がかかるのか、小水をちびりそうになったりしつつ、結局止められない状態……。
が、その程度の出来でも、視野が明るくなるとか、しばらく皮膚の間隔が
鋭くなるといったような効果が実感できて面白いので、淡々と続けられそうです。
一方、一緒に習ったクンバカハ法は、よくわからないなりにやっていますが、
深息法に比べて何かをやっている、という感じがうすいのですが、ひとまずしばらく試してみようと思います。今回も、ありがとうございました。
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皆様、こちらこそ貴重な御時間を使っての感想、有難う御座います。イリイチの話をちょっと書きたい所ですが、長くなるので控えておきます。以前のうさぎ堂主以上に、書き始めるとキリがありませんので。
さて、9月は御彼岸の為、いつものお寺が使えませんので、別伝会場にて「鍼灸師の為の手作り体作り」を行います。これも数年前から、長野仁先生の唯掌論をベースにした手の訓練、そして伝統的な身体技法をベースにした身体の訓練を続けていますが、まっとうな散鍼の出来る人や、療術家的身体が出来つつある人が少しづつ育ってきつつあるのは、嬉しい事です。
会場が狭い為、ほぼ満席ですが、以前小生の講座(寺子屋以外でも可)を耳にした事があり、個人的にでも手のエクササイズ等されていた方は歓迎します。
参加御希望の方はいつものアドレスまで。
尚、9月の別伝は、14日&28日。 10月の別伝は12日のみです。
10月の寺子屋講座のテーマは、「手当法と輸気」、松本道別の遺産から、還元療法(桑田式)と整体法(野口法)を大きな軸にしながら、手掌療法のトリック(これを「真髄」とか言う人もいます:笑)に迫ります。
資料の準備の関係もあるので、こちらも参加御希望の方は御一報下さい。