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2016年8月13日 (土)

引き続き三活法 収神術 

前回の脳活に関連して、味のある感想を頂きました。ありがとうございます。

参考になる人もいらっしゃるかと思いますので、一部転載しておきます。

また、この感想の方とは別ですが、脳活を「看取り」に活用しようという覚悟を持って、より深い所を学ぼうとしてくれる先生もいました。僕自身にも把握できている領域ではありません。真摯に取り組んでいくしかないと思います。

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脳活という技を目にして7年くらいになると思うのですが、
毎回毎回毎回、発見があります。

それで、今回は「寄金さんが僕らに脳活を教えてくれる意味」

について考えをめぐらせていました。

私は、何でも見たい知りたいやりたい、のタイプですが
ある人にとっては、世の中には見なくってもいいモノ、

知らなくってもいいコト、やらない方がいいモノコト、

が有るんだと思います。

それは鍼灸師、治療家を目指してもいい人、

やらない方がいい人がいるのと同じようなことなのかもしれません

私が国家資格を取ったばかりの頃、

たしか梅川博士のお寺から寄金さんと武蔵境の古本屋に行く小田急線の電車のなかで寄金さんに云われたことを覚えているのですが、そういう意味のことをおっしゃていたと思います。

もう少し、解釈を狭めてみると、
知らなくってもいい治療術というのは在って、
それが身につかなかったとしても何も問題はないだろうし、
ただその技を身につけた人は以前とは違う世界を見ることができるんだと思います。

そして、その技、たとえば脳活、を必要としてる患者さんがいて、
治療家としてその患者さんに向かう時に役に立つモノかもしれません。

(実際、父や何人かの患者さんの末期の時は役に立ったんじゃないかぁと思います)

そして、私たちのなかには明日すぐ使える技術ばかり欲しがる人たちがいるのですが、単にこうやってやるんだという技術論ではなく、長い間その手技を受け継いできた人たちの叡智を技のなかに見つめることだと思います。

ですから、
寄金さんが僕らに脳活を教えてくれることの意味に畏敬の念を感じざるをえません。

(決して大げさではなく)

だって誤解を恐れずに申し上げると、
治療において必ずしもやらなくてもいい技なんだと思うのです。

でもこれを知った以上、

僕らは違うところに既に来てしまった訳です。
だから脳活やるんだと思います。

もう一つ感想を。
中山忠直の資料、拝読しましたが、

かなりレア感溢れるデータでとてもおもしろかったのです。
私のなかでは、ジョージオーサワから昨年のパリ講演の流れに連なりますが、

あの時代の皇漢医学、西洋に対して我が国が誇るモノ、
大切に受け継いできたモノに対する強い愛を中山忠直のの資料ら感じました。

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資料に関連してもう一つ感想を一部無断転載。

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六然寺子屋では、毎回何かしらの資料を配布してくれていますが、たまに解説はあるものの、大抵「読んでください」で済ませてしまっています。この「読んでください」が実は曲者で、以前寄金さんが「僕の言いたい事は全て『ツボに訊け』に書いてあります・・・行間にね」と言っていたように、配布された資料の原典に当たりその周辺までを含めての「読んでください」なのだと思っています。そうすると、寺子屋で配布される資料は、解剖生理学的な構造的な知識の把握確認的なものと、価値観や世界観を提唱されているものに大別されるように思われます。一部ギャグもあり、それはそれで楽しみなのですが。

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まあ、ギャグのセンスっていうのは個人差が激しいですから、自分が面白いと思うものを他人様が面白いと思うかどうかまた別の話ですが、先達が伝えてくれたものを、勝手に換骨奪胎する前に、そのまんま伝える事、それがまず大切なのだと思っていますけれども、それは言うほど簡単ではないと思っています。同じ価値観、同じ世界観、何より同じ肉体を持っているわけではありませんから。ですので「肉体なければ伝統なし」なのです。

という事で、8月は脳活に引き続いて、気血を整える臍活に移ります。

臍活に関しては、「神を収め、肚を啓く」という口伝が残されていますので、これは古方按腹でいう「収神術」に相当するものだとも思われますが、ここで生きてくるのが、4月の寺子屋で行った「手の内を作る」です。

 実は、昨年フランスの指圧学校の面々が勉強に来た時にも、臍活はメニューにあったのですが、その時に伝えた時の経験から、この「手の内」の重要性を実感しました。でもこの「実感」も今更なもので、先達は

「一生一死手之内ニ在 開耳目可明晃者也」

 と残してくれています。当たり前の事が当たり前でない、その当たり前の所にいつでも帰ってこれる原点を示してくれている・・・それが伝統の持つ強みだと思います。

 9月の第三日曜日は御彼岸でお寺が使えませんので、別伝会場で、手作り体作りを行います。

 

  唯掌論ベースの手作り体作り、これも何年もやってきて、散針がちゃんと出来る人が育ちつつありますが、もっともっとそういう「動く手・使える手」の人が増えて欲しいと思っています。こちらに関しましては、参加希望者は自己紹介を添えて、

 こちら まで御連絡下さい。9月の第三日曜日の講座は、散針習得に特化した講座のオリエンテーション的役割も担いたいと思っています。

 


その前日の土曜日に、日本中医学会でシンポジストとして出席しますので、御時間ある方は覗いてみては如何でしょうか?  シンポジウムのテーマは「中医鍼灸は市民権を得たのか」 というものです。いつも言っていることですし、かつて、ちくま書房から『ツボに訊け』等という本を出しながらこんな事を申し上げるは憚られもするのですが、当方は、そもそも鍼灸そのものが「市民権」を得ていないと思っていますし、ただでさえ薄い層の鍼灸に流派概念を持ち込む事自体が不合理だと思っているので、話が噛み合うかどうか心配ですが、そこは、人徳ある浅川先生の采配でまあなんとかなるでしょう・・・と思っています。正直、一般論として、「鍼灸はアングラなもの」だと思っていますし、そしてそれで良いんだと思っているのですが、そういう風に認める鍼灸師はあまり多くないようですねえ。

 

 別伝と今後の予定についてです。

 8月最終週は自主練ですので、参加希望の方は教室の鍵を持っているI先生に連絡を取ってください。

 9月は、4日、11日、25日を予定しております。

 10月の第1日曜日は、福岡で行われる刺絡学会の講習会に講師として参加しますので、お休みです。10月の寺子屋は足活ですが、陰陽表裏やるとすると、多分一回では済まないと思いますので、多分11月もその続きになると思います。また、今から年末の話をするのはなんですが、先日A書店のOさんから、同級生が寺子屋会場のすぐ傍で居酒屋をやっている旨情報がありまして、六然寺子屋は基本的に飲み会とかしないのですが、久々にオープンな忘年会でもしますか、と考えています。遠方からお越しの先生方も少なくないので、今から書いておきます。

 ではでは。暑い夏が続きます。皆様御自愛ください。

 

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