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2017年4月

2017年4月29日 (土)

4月以降の予定

  最初に5月以降の別伝やら寺子屋講座やらの予定を記しておきます。
5月は7日、14日に行います。(11時辺りから15時)
5月21日は鍼灸祭です。(六然寺子屋はありません)
https://www.facebook.com/harikyumaturi/
 なども御参考ください。
5月28日は散鍼の習得講座です(場所はエントリーの方に別途お知らせします)
 6月はフランスに活熙術の教伝に行き、殆ど日本におりませんので六然寺子屋、別伝、ともにお休みさせて頂きます。自主練ご希望の方はK先生と連絡を取ってみてください。
 また第四日曜日は、無事帰国していれば日本にいると思いますが、日本刺絡学会の学術大会がございます。こちらに参画しておりますので、散鍼習得講座もちょっと変則的にさせて頂きます。
 7月、8月の寺子屋講座は、活熙術から「佐素理」(四之内一二三)、三活法などをやりたいと思っています。
 
 まあ、新しい季節はいろいろなことがありますね。
 今年は、桜の咲く期間がが長かったような気がしますが、寒暖の差も結構あり体調を崩される方もいたようですが、皆様お元気でしょうか?
 去る3月8日に、六然社からも『治療家の手の作り方』を出してくれた井秀一先生の最終講義が筑波でありました。
 実は、小生、鍼灸学校に入る前から形井先生とは縁があり、というか形井先生のアドバイスを受けて鍼灸学校に入ったのでした。
 鍼灸学校に入学して間もない頃、当時の新大久保の某治療所で土曜日にやっていた東洋鍼灸専門学校関係者を中心とした集まりの合間に、形井先生が「学校ではどんな事してるの?」みたいな事を聞かれた際、やりたがりの小生は習いたてのなんかの手技を先生にやったことがあったのです。
 そうしたら、先生が「うーん、ちょっと違うんだよね〜」っておっしゃって、小生の背中を数回撫でてみてくれた事があったのでした。
 形井先生は、あの時、小生のやった事が「違う」と言ってくれただけで、それ以上特別には何も言語化はしなかったように小生は記憶しています(たぶんだからよかったのでしょう)。
 まあ、これは小生の妄想に過ぎず、先生があの時どう感じて何を伝えてくれようとしていたのかは分かりませんが、小生はあの時、「ああ、完璧な軽擦を人を救い得るんだな…」と感じたのです。そしてそれが先生の求めているものなんであろうと勝手に思ったのでした。
 小生がやんちゃをして辞任に追い込んだ教員の後始末として、当時小生の通っていた鍼灸学校に教えに来て下さった事もありましたが、実を言えば形井先生に「具体的になんらかの手技」を教わったのは、あの背中を撫でてくれた数秒だけでした。けれども、あの時、ある意味全てを教わったというか、行くべき道を形井先生は示してくれたのだと思っています。治療家としての原点というか、あの数秒がなかったら、多分現在の自分は居なかっただろうと思っています。
 多分、あの時、形井先生が「手は密着させるんだ!」とか「相手の体のラインに沿って」とか「相手の呼吸に合わせて」とか色々な事を言語化して(くれて)いたら、多分、自分は「すべてを教わった」とは思えなかったでしょうし、高いところを見ようとも思わなかったでしょう。だから昔の人は「あえて言語化しない」という手段を取っていたのだろうと、今になって思えば得心がいくのです。
 
 というような話を先日の寺子屋講座の時、したのですが、その後、参加されている先生から下記のような、ご丁寧なというか有難い感想のメールを頂きましたので、一部紹介しておきます。
<<寺子屋での、形井先生とのお話をお聞きして、私が散針に惹かれた最初を思い出しました。
 円通寺での合宿で、初めて散針を腕にして頂いて、先生に「この間に、皮膚の状態が分かるのですか?」と失礼な事をお聞きしたと記憶しています。
 こういう事ができるようになりたいと思いました。
 その後、ご指導頂くようになり、別伝前にTさんのお身体おかりしていた時、「こういうふうに触るんでしょ。」と先生が頭を撫でられた時、涙がでそうになったのです。
その一撫で、二撫でで、ぐっとこみ上げるものがあって。
こういう事ができるようになりたいと、あらためて思いました、
 先生の散針は、手が指が生きているように動いているのに、どうして私の手や指はぼーっとしているのだろうと、どうすれば生きているようにうごけるのだろうと考えておりました。
先生の散針は、深部まで届きながら心地よいと感じるのに、どうして私のは、ただ表面を行ったり来たりしているだけで、強弱をつけようとすると不快にさせるのだろう、きっと手が固いからなんだと思っていました。 手が柔らかくなれば、できるようになるのかなと。
  そのことが、日曜日の寺子屋での実技中に、手を添えてご指導頂いた時、「こんなに身体 をつかっているんだ。私、こんなに使っていないんだ!」と気づきました。
いたるところで、必要のない省エネをしていました。
積極的に動かしていなかったし、積極的に感じようとしていなかったし、積極的に脱力していなかった。
  いつかいつかと、全てにおいて受け身でいました。
そのようなあり方が、身体も手も固くしているのだなと感じています。
頭が身体が、ぼーっとしているから、手や指もぼーっとしていて、時々手や指だけ力で動かそうとするから不快なんだと。
  頂いた資料の「ゾウの時間と、ネズミの時間」。
絵本を読んだことはあったのですが、その時は、大きい生物よ小さい生物の時間の流れ方の違いとしか見えていなかったのが、今回帰りの新幹線で、自分の身体の話に思えてきました。
エネルギーをもっと使う、けれども、大きいところを動かすと必要エネルギーは小さくてすむから疲れにくい。
不活発な所をできるだけなくして、使っていく。
東京駅までの道中でも、先生方から貴重なアドバイスを頂けました。
「小さく動かすときは、大きく動かしているものはのこしながら小さくするのであって、ただ小さく動かすのとは違う」
  寄金先生やT さんの散針と、自分の散針の違いの原因に気づけた週末でした。>>>
 
 なんてメールを頂きました。ありがたい事です。自分も少しは先に進めているのかな…と思いますが、まだまだ明治生まれの爺様達の示してくれた景色が見えてはいないのでさらなる精進を続けたいと思います。
 散針講座は、順調に進んでいる人と中だるみの人とちょっと差が出てきてしまっているようですが、せっかくエントリーされたのですから頑張ってくださいね。
 
 
 

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