ニコイチの後姿

2007年11月19日 (月)

ハリムシ王子

 行ってきまぴた(笑)。そう、鴻仁先生の京大での授賞式。う~ん、やっぱり行って良かったなぁ。鍼灸燃料タンクに相当給油されてきました(笑)。本当に素晴らしい会でしたよ、その後の懇親会も含め。ご両親、仲間の先生方、鴻仁先生を慕っている学生達が駆けつけ、受賞後は記念にと写真撮影会がしばらく続いていました。ばーば先生からのプレゼントの花束を持ってずっと被写体になっている鴻仁先生はアイドル並みの人気でした(笑)。

 「ハリムシ王子」とは受賞者紹介で使われた言葉です(笑)。高校を卒業後、すぐに明治鍼灸大学に入学して、ずっと鍼灸業界を歩み続けておられる「王道を行く」なのでプリンス(王子)、それから最近の研究テーマである「ハラノムシ」に引っ掛けて、ハリムシ王子。会場からドッと笑いが起こりましたですよ(笑)。

 在野で活躍する人間の優れた研究に対して与えられる《人文科学研究協会賞》ですが、鴻仁先生の受賞理由は、古医書の研究と、それを臨床に実際に結び付けている点が高く評価されたとのことでした。見た事がある方も多いと思いますが、鴻仁先生作、自分史《活動マップ》にあるように、ワタシの感覚では「鍼灸師」で「研究者」の鴻仁先生なのですが、主宰側は「とある鍼灸師がいてね、仕事の傍らやけに熱心に追い求めている医学史がさ、実は歴史的発見の連続で、出てくる出てくる過去の遺産、こりゃすごいぞってことで、ここらで一度称えておこう!」的な感覚でした。

 東洋医学関係での受賞者は過去に、小曽戸丈夫先生・浜田善利先生、宗田一先生らがあったそうです。振り返れば、鴻仁先生が23歳の頃、宗田先生に武田薬品の杏雨書屋へ連れて行ってもらったのが、本格的に古典に傾倒し、古典ハンターに化していくきっかけだったそうです。「学生だったこいつが、ここまで育つとは・・・」と某先生は本当に嬉しそうでした。「よく、ここまで育ってくれた」と懇親会で肩を叩きながら、何度も何度も繰り返されていました。

 講演の内容は、ハラノムシ研究に行き着くくだりから、実際にハラノムシの図を解説したりと、一般の聴講者でも分かりやすい内容でまとめていました。現時点でハラノムシの絵本は三部作ありますが、幼児、子供、大人、と各年代別に楽しめる構成になっているとも言えるとのことです。来春には『針聞書』完全復刻版が出ますし。これは鍼灸師用=専門家用とでも言いましょうかね。九州国立博物館の担当の方、フレーベル館の編集担当の方も駆け付けていました。鍼灸関係の取材も数件来ていました。京大の話では、こんなに賑やかな授賞式は初めてだそうですよ。しかも、受賞講演も初の事だったらしく、鴻仁先生も驚いていました。

 講演後、鴻仁先生は京大のお祝いの席に行かれましたが、我々が帰るわけもなく(笑)、近所のお店で先に宴げを繰り広げておりました。先生が到着されるまでに、一通り出来上がってきた面々は、ばーば先生の音頭で自己紹介へ突入。と言っても、殆ど皆知り合いなんですけど、これが毎回オモシロイ(笑)。8時頃、ようやく主賓の登場! ここでもまた撮影会(笑)。すごいフラッシュの量で、みんながカメラを構える中、それぞれが隣に入って記念撮影の嵐。みなさん鴻仁先生の受賞を心から喜んでおりまぴたですよ。

 その後、先生へお祝いの言葉を贈る会へと発展。「鍼灸界にとっての希望の光と、若い鍼灸師にレールを轢いてくれたことに本当に感謝します、有難う」というのがゴルゴ先生の言葉。ジーン、と来ました。その次の奥様ばーば先生の言葉で更にジ~ン。一気に感涙モードへと会場が傾きました。鴻仁先生の強力な助っ人からも「先生のお陰で和方という素晴らしい仲間に出会えた、人生を豊にしてくれたことに感謝します」などと仰るものだから、さらにさらに「うんうん。同感だ」と涙ぐむ面々。そして、本屋さんは何を言うのか・・・、期待が高まる中「この1年ぐらいずっと気になっている事がある・・・。先生の目の周囲のコレステロール班! オフィシャルドリンクコーラもいいけど、そろそろ身体の事を考えて。サッポロポテトもホドホドにしてね」と笑いを起こしつつも、愛情ある言葉を贈っていました。

 和方を支える面々がどれだけ鴻仁先生を大切にしているのかが伺えた1日でありました。冷酒片手にほろ酔い気分のワタシでしたが、和方の面々にも酔っちゃいましたね。みんな温かいな~。あの場に居合わせた誰もが、「和方と出会えてよかった、ニコイチありがとうっ」と思っていたはず。つまらない学校鍼灸で潰されそうな中、ニコイチに出会えて「鍼灸って面白いんだ、自分も勉強しなきゃ」って思えた人達は少なくないみたいで、「このやり方についてこい」って信者を増やすんじゃなくて、「自分の頭で考えよう、その為に本も読め、人にも会いに行け」ってのがニコイチのスタンスですから、遠い距離を顧みず遠くからやってくる人達は、みんな「頼りになるもの」を求めてるんじゃなくて、しっかりし自分の足で立っている人ばかり。余談ですが、高知のレベル3も「田舎では鍼灸師のクセに『針聞書』を「シンブンショ」と読んだ奴がいた。こんな状況を打破するべく、『針聞書』を推し進める!」と言っていました(笑)。こういう支え方も頼もしいですね。この場に居合わせなかった事を悔しく思った貴方。大丈夫、まだ機会はあります!逃さないよう、早めにお申し込み下さいね。↓、仕切っているのは、ばーば先生で~す。

【祝賀会&長野仁先生独演会in大阪のご案内】

各位

長野仁先生の「腹の虫シリーズ」出版と京都大学・人文科学研究賞・受賞を祝して立食パーティ形式で「祝賀会&長野仁先生独演会in大阪」を開催させて頂きます。

来年は「針聞書」(九州国立博物館所蔵)が生まれて440年目の年。そして440年を経た今「針聞書」が完全復刻版として蘇ります。祝賀会では「針聞書」を現代に蘇らせた長野仁先生にマイクをお預けします。440年前にタイムスリップし 「腹の虫」と「針治療」と「病気(虫)退治」にまつわるエピーソードなど2時間たっぷりお喋りしていただきます。

当日は長野仁先生秘蔵の書籍オークションやサプライズゲストも・・・。どうぞお楽しみに。参加資格は問いませんので一般の皆様も遠慮なくお申し込み下さいませ。

大変申し訳ございませんが立食パーティですので当日に人数を増やすことは不可能です。食事無しでの入場もお断り致します。予めご了承のほどお願い申しげます。

お申込みは、先着順で受付けさせて頂きます。立食パーティの定員は120名様です。 当日受付は致しません。参加御希望の皆様はお早い目にお申し込みをお願い申し上げます。

記念撮影は結構ですが、長野仁先生独演会の録音・ビデオ撮影等は一切お断り致します。

【日 程】平成20年4月27日(日)

【会 場】ホテルクライトン新大阪 http://www.claiton.co.jp/shin-osaka/

大阪市淀川区西中島2-13-32 電話06-6885-1211

【定 員】120名(お申込みは、先着順で受付けさせて頂きます)

【時 間】夕方4時00分開演(立食パーティは約2時間を予定)

【参加費】八千円(税込) 本日10月30日より受付を開始させていただきます。ご参加ご希望の方は、下記のメール・FAX・電話番号へお申し込み下さい。尚、お申し込みの際は、お名前・お電話番号・ご住所をお知らせ願います。

【お申し込み先 】メール・kouenkai アットマーク barba-sachiko.info(講演会@ばーばさちこ.インフォ)

FAX・06-6302-0991

電話番号・06-6390-4722

新城針灸治療院

大阪市淀川区西中島4-8-5 

祝賀会参加費の郵便振替口座

平成20年3月31月までにお振り込みをお願い申し上げます。

【口座番号】00940-5-183572

【加入者名】ばーば佐智子

お申し込み確認後、参加費の振込口座をお知らせさせて頂きます。祝賀会のため領収書は発行致しません。何卒ご容赦のほどお願い申し上げます。

和方鍼灸友の会☆後方広告部隊(笑)

ばーば佐智子

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2007年10月 3日 (水)

本屋の憤り

  ふと気がつけば、こんなワタシも、六然社にいてもう一年以上経っている。 
 その間、本屋さんの治療に同席し、五十肩とか、ぎっくり腰とか、一回で治るのを何度も診てるから、なにやら当然のようにワタシも出来るものだと錯覚してしまったりする。

 先日、「今日ぎっくり腰になっちゃってこれから行っていいですか?」という患者さんと遭遇(場所は六然社ではありません)。うんうん、ワタシに任せなさい、と勢い込んで治療してみまぴた。本屋さんのやってる事を思い出しつつ、一通り施術を終え、「さあどうですか?」って患者さんにいってみた。ここで本屋さんの場合、患者さんは「あれ?、痛くない。あれれ?」と患者さん自身が驚いて、痛みを探すような動作をしたりする事が多い。

 ところが、ワタシの場合、患者さんは壁に伝わって歩いて来たのが、自分の足だけで歩けるようになったものの、治療が終わったのにまだ痛そうだった。本屋さんのようには行かなかったのだ(涙)。本屋さんは、「その日なったぎっくり腰はその日に治るはず」という(一週間経って来た人とか、一回治りかけたのにぶり返してまた痛くなって来た人とかは難しいのだと言っている)。

 「五十肩の人は上手くやれば一回、まあ大抵は3回以内」と言う。事実、ワタシの知る限り大抵、一度の(それも数分の治療で)肩より上がらない人が頭の方まだ上がるようになるのを何度も見ている。先日の身体作りの時には、その技の一部(というか本屋さんは「あれで分る人には全部分るはずだから全部見せた」っていってまぷ)を披露していたが、ワタシが同じようにやっても同じような結果が得られない。

 そういえば、先日の身体作りで、本屋さんに五十肩の一発治療法の実技を受けた人が、「あの教わったやり方やってみたら、五十肩の人すぐよくなりました」って報告してくれました。本屋さんは「ね、使えるでしょ、これで一生五十肩には困らないでしょ」ってニッコリ。引き続き、その人は「○○でやるのがポイントですよね」っていってました。「そうそう、だからそうやってやったじゃん」と本屋さん。分る人がやれば分るんだ。再現性があるって事ね。そういえば、この人は、本屋さんがやってみせた、骨盤の細分化、正座の姿勢から膝をつけたまま足を前に持ってくる技をただ一人一応出来た人でした。やっぱり身体が出来ていると出来る事が違うんだろうなぁ。

 ただ、今回の「ぎっくり腰」については、なんで上手く出来なかったのかについて、本屋さんと○っちゃんとが会話しているのを聞いて納得、というより新たな視点に気づけた。やらなくていい事をしてしまうと却ってダメなんだ!  「だから僕は○○○やってないじゃん」と本屋さん。となりで大きく頷く○っちゃん。言われてみば、確かにそうでした。「やらなくていいことをやりすぎる」。これが失敗の王道ですね(笑)。っていうか、こんなヒントを簡単に手に入れられる環境って素晴らしいぃ~。頼りになる諸先輩方との会話からこそ生きた本当の勉強が出来るのであります。どういう環境に身を置くかで人は変わるといいますが、本当にその通りだと思いますです。

 本屋さんはいつも言います。「みんなお金を儲ける為にワザと治していないんだよ。余裕だよな、っていうかそれはそれでスゴい技のような気がする」って。イヤミではなく、ホントにそう思っている節があります。自分が出来る事は他人も出来るって思われている模様。基準が高すぎると思うのですが・・・。

 先日も、鍼灸学校の学生さんでちょっとシビアな状態を抱える人がいらっしゃいました。色んな後遺症で腕を動かすと痛みが出てしまう方でした。ご本人からのメールを引用。此処にも書いてあります。
「半年、色々な鍼灸の治療を受けていたのに、 なんだったんだろうな・・・と、思ってしまうのは 私だけではないですよね。」って。

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腕は、見違えるほどよくなりました。
元の生活に戻ってみると、今までできなかった動作が 日常の中で楽になっている発見がたくさんあります。
実はブラジャーのホックをかける動作ができなくて(左腕)、 被りの下着をずっと着ているのですが、 それも両腕が痛くて上体を起こしたままでは 脱げなかったんです。
頭を膝まで倒して、下着を丸め込むようにくるくると・・・・ とても見せられない体勢で(って、見せませんが(笑))脱いで いました。
だけど半年振りに下着もTシャツも普通の体勢で脱ぐことが できます\(^o^)/左腕がまだ痛いですが・・・・ 。
半年、色々な鍼灸の治療を受けていたのに、 なんだったんだろうな・・・と、思ってしまうのは 私だけではないですよね。
本屋さんがお忙しいと分かってはいても、我がままを言って治療してもらって本当に良かったと思っています。 体のあちらこちらが楽になったこともそうですが、治療を体験することができたことが、本当に勉強になりました。
これを今後どう自分に生かしていくかですよね・・・・ 。ふぅ・・・・(なんて、ため息ついちゃったりして・・(^_^;)) 。改めて、本屋さんにお礼を伝えてください。
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2007年7月 4日 (水)

本屋さんの教授法

 本屋さんが、あるスペシャルな人に散鍼の手ほどきをしはじめました。
「指サックをするような鍼灸が流行る世の中になってほしくない」と思っている本屋さんは、「真っ当な散鍼が出来る人は絶対指サックはしないだろうから」という理由で、本気の人には本気で教えるみたいです。

 そのレッスンに同席させてもらいました。実は、その日のレッスンの前に、一通りのレクチャーはもう済んでいたので、散鍼の出来具合は別として、手のエクササイズはワタシだって一応知っているので、多忙な本屋さんに代わって(その日は日曜日の朝でした)、手の動きの復習ぐらいならワタシが・・・と立候補してみた所、

 「貴方は何にも分かってない」と・・・。
 突然の奇襲に些かワタシがムッとしていると、本屋さん曰く、「じゃあ、会って最初に何するの?」
 元気よく、「一緒に一からやってみましょう!」とワタシ。

 「・・・」しばし沈黙する本屋さん。…………、(あ、怒った…)

 結局、「まあ、今日僕が帰りにバイクで事故って死んだりしたら貴方に行ってもらう事になるから言っておくけど」と、いつもどこかで「死」を念頭においている本屋さんはしゃべり始めました。

 「あのね、まず相手の頭の中と身体に何が残っているのかを確認する作業が必要なんです。そしてその時にそのひとの思考パターンとか気にするポイントとか陥りやすい部分とかが分かるから、それぞれの部分に楔を打つように固定するものは固定、固定しちゃいけないものは動かし続けながら、ある時は隙間を埋めるように、またある時は一度解体するようにして、もちろんちゃんと組み直して、そうして全体のレベルをあげていくんですよ」

 会って、「せーの」で一緒に稽古をやるんじゃ、相手の頭にある回路を見る前に全てを台無しにしてしまうと言うのが分かってなかったんですね。気付かされると、これってすごく危険技。本屋さん曰く、前回の稽古で相手の回路に何が残っているかを見極めて、抜け落ちたものをできるだけ思い出させるように仕向けるのがまず第一歩。「記憶する事が大事なんじゃなくて思い出す事が大事なんだ」とのことでした。

 その上で、どうしてこの動きが必要か、どこがポイントになるかといったことを上塗りして行って、頭に回路を作ってあげると、それが動作として可能になってくる、と。

 う~ん。奥深いっ!!
 ここまで相手のことを考えてモノを教えてくれるのかぁ。きっとワタシもそういう恩恵に与っているんだろうけど、その読まれ方は全然分かっていなかったのであります。

 普段から本屋さんは机の周りは散らかっているとか(頭の中が整理されてればいいんだとか言い訳してました)、あんまり細かい事は気にされないんですが、「アナタは2穴パンチの穴の位置が毎回正確に同じ位置に開けてない!」と、ワタシに文句を言うのが不思議だったので聞いてみた事がありました。そうしたら、「目分量で正確な位置が毎回分かるようにする能力が患者さんの身体の歪みを見て取る能力を磨くのと一緒だから」と言われてしまいました。「○○と××も結局一緒でしょ」というのは本屋さんがよく言う言葉です。「えーっ、そんなんありかあ!」と思う事もありますが、確かにうなずける事や目からうろこの事も少なくありません。

 ということで、代理人としては役不足、単なる見学者として、頭の回路の作ってあげ方を見に行って参りました。

 そういう目で本屋さんの教え方を見ていると「なるほど~、にくいねぇ」という手順を踏んでいきます。人に伝えるやり方ってこういう事なんだな、というのがちょっと見えた気がします。

 今回のスペシャルな方への教え方は久々に見る最高級バージョンでしたね(笑)。あれで、相当回路が出来たのでは、と思います。以前、本屋さんが散鍼を教えている学生さんに「バッタモノになるのが嫌だったら、ちょっとでいいからマンツーマンでやる時間を持った方がいい。居酒屋で10分程隣に座るだけでも違うから」と言っていた意味が分かったような気がしました。確かに、個人レッスンは違いますね。

 ああ、でもこれもスペシャル様が繋がったネットワーク筋(元をただせばレベル3)だから実現されたんだと思います。ついでに、なんで、ああいう教え方が出来るのか聞いてみると、「自分の師匠がそうだから」という答えでした。

 本来、このようなやり方が本屋さんのオーソドックスな教え方です。
ワタシがお願いしているような多人数相手の勉強会ではなかなかこうはいかないので、あの勉強会はある意味では機能しない部分があるのは承知なのですが(「多人数だと、結局下にレベルを合わせなきゃなんないでしょ」とも言われました)……。ただ、大勢で一緒にやっていても、そこから人間関係を構築していって自分なりに抜きん出てくる人もいるわけですから、無駄ではないと思って乗り気で無い本屋さんにムリヤリお願いし続けているわけです。

 幾多の人が「教えて下さい」攻撃を本屋さんに仕掛けていますが、今回のように全面協力パターン2割、玉砕パターン7割ですね。残り一割はボーダー(笑)。ある意味両極端。大体ファーストコンタクトで判断されてしまいます。本屋さんはリターンマッチは受けますが、リベンジしてくる人はさらに少ない(笑)。残念ながら、どちらかというと、「どうして僕が自分の時間を割いてまで付き合ってあげなきゃいけないの?」と思わせちゃうのに成功する運びが多いのです。でも本当は休日返上して全面協力というのが本屋さんの教え方ですから、何かハードルになっているものを超えればその閾値には入れるわけです。ワタシが観察している内では、その方の情熱というか本気度と同時にどれだけ社会を見ているかをも推し量っている気がしますです。口ではやる気ありと言っても、実はやるべきことやってないのが分かるとか、(ちゃんと理解してればいいんですけど)勝手にアレンジして適当に他所で教えちゃってるとか、社会的な常識が普通にないとか、自分の利益しか考えてないとか、目が厳しいんですよ(笑)。

 と言いつつ、自分も内心ヒヤヒヤいつもしております。

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2007年4月 4日 (水)

白忍者からの追伸

 白忍者さんから前回の「タレント」に続く投稿です。この調子で連載をして頂けたらなぁ・・・(笑)。先生、治療の合間を縫っての投稿待ってま~す。それでは以下↓。

追伸

 また、タレントは「他連人」「多連人」でなければならい。
他人(他人行儀ではなく)と連なる人、多方面(多分野)と連なる人、 それらが「幅」というものであるが、 個の確立なくして「連」はありえない。ただの埋没である。

 現代医学と「連」なるためには、お説拝聴では駄目で、 鍼灸固有の論理と技法を身についているのが最低条件であろう。 母校はそんなことすら分からない凡暗ばかりである。
そういえば、そのうち改名するそうな。 同窓会紙によれば、「明治国際医療大学」だそうな。 日本初の鍼灸大学の威厳にかけて、 後発の関西医療大学・森ノ宮医療大学と一緒はヤダってことで、 「国際」をかませたのだろうが、 この二文字を挿入することによって、立場が後退している、 逆に後発のイメージを植えつけるってことに気づかないのだろうか? どうせなら、「宇宙」とか「世界」とか、もっと大きく出たら、 新興宗教っぽくっていいと思うのだが…… 。書名もそう、難経が八十一難経になり、黄帝八十一難経になり、 王翰林集註黄帝八十一難経になり、名前が長くなれば長くなるほど 後代のものなのだが……
 人付き合いもそう、自己の確立が前提条件である。 確固とは確個であり、格好がつくというものだ。 鍼灸師という立場から、何が言え、何が出来るか。 とはいえ、「自分って、○○○○って人だから」という 思考停止と勘違いしてはならない。 「変わる気がない」のと「変える必要のない」のは全く違う。 追伸が長すぎた。そのうち別の切り口で続きを述べる。

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2007年4月 3日 (火)

白忍者「タレント性」を語るの巻

 白忍者ことシュガイザー先生からの投稿です!真夜中の『診極図説』執筆活動中に浮かんだそうです。う~ん、噛めば噛むほど的な内容です。どうぞ数回お読み下さい。以下↓。

 私の地元に法要寺という日蓮宗の寺がある。夏休みになると、境内はラジオ体操の会場となるわけだが、参道に黒地にピンク字、黄色の縁取りで「多恋人」 と掲げるスナックがあった。大人の秘め事をひと目で子供に理解させる優れたネオンである。「タレント」を当て字で「多恋人」とするのは、こうした業界 の常套手段であろう。そういえば、九大医学図書館に伺ったおり、正門の通りにも「多恋人」を見た気がする。神戸市内で車を流していて「愛弗(アイドル)」という看板をみつけた。「多恋の人」には大人の駆け引き、気持ちのやり取りが介在して人間臭さがにじみ出ているが、「愛=弗」ではあまりに守銭奴的、資本の原理に則り過ぎてはいないだろうか。恋愛もカネが解決する世の中ってことなのだろう。
 
 それはさておき、鍼灸はどうか?
 私は「多練人」であるべきだと思う。
 
 鍼灸師には「タレント性」が要求される。さもなくば、わざわざ痛みや苦しみを我慢して、実費を捻出して治療室まで何度も足を運ぶまい。
 
 電話で声を聞いただけで痛みが軽くなる
 あした診てもらえる安心感でぐっすり眠れる
 治療してもらったから安心して何々できる

 タレント性とは、決してビジュアルではない。患者の生活の一部になることである。
いざというときの安心感を提供しつづけることである。だからといって、決して依存性を与えるような真似をしてはならない。

 タレント性とは、「多」「練」によって生ずるものである。
 「多」は、はじめ「量」からこなし、しだいに「質」を高めていく。
 「練」に終わりはない。糸目もない。
 自分が納得するまでというが、じつは納得したら終わりである。

 糸目で、ラジオの話を思い出した。躾という言葉がある。躾は型に嵌めることではなく、仕付け糸のようなもの、仮縫いだという。流派・流儀に依存する輩は多い。躾けて欲しい、型に嵌めてほしい、つまり他人に依存しないと自己規定できないのである。学校教育も、流儀修得も、古典講読も、科学実験も、所詮はすべて仮縫いである。EBMなんてものは、他人の事情であって、二度と来診しないかもしれない一回性の臨床の参考には、ほとんどならない。EBMを芸術だなんてもてはやす 風潮もあるが、料理そのものより、料理のテキストや評論が好きということで、養老孟司の言葉を借りれば、スルメを見てイカが分かるか!絵に描いた餅と はこのことである。

 古典に書いてある、書いてない、といって喧々諤々するのもどうかと思う。私は古典ハンターだが、書いてある、書いてない、ってどれほどの古典を目にしたのだろうか?お里が知れる。

 流儀なんてものこそ、ふつう三年もすれば教えることは無くなるはず。多賀大社フォーラムを5回で打ち切る所以である。それでも長すぎる。よい手・よい鍼・よい文献だけあれば、流儀なんて必要なくなるはずなのだが、よい手も、よい鍼も、よい文献も、最後は自分で見つけざるを得ない。現に私はそうしている。

 学校にも携わるが、私のは狂育であって教育ではない。この道を選んだ時点ですでに手遅れだということを、ひたすら訴え続けるだけである。

 仮縫いは、学校や流派や古典やデータが与えてくれるのかも知れないが、本縫いは自分でするしかない。本縫いができた段階で、仮縫いとはオサラバホイ。 糸を抜くのも自分自身である。私は、幾つもの仮縫いを試し、何回も糸を抜き、いまだ本縫いには至らない。不安定、いな非安定を愉しめるか、それが「多練人」のタレントたる故である。型に嵌ったら懐メロ歌手……、あの人は今……、もうお払い箱である。生涯現役とは、実は本縫いをしないことで、そんなジレンマに付き合えるかが臨床家の度量のように、いまは考えている。
   

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2006年11月21日 (火)

歩みの第二段階(笑)

 黒忍者は当然ながら歩くのが早い。シュガイザー先生もそこそこ早い。
思い起こせば1年前、シュガイザー先生と本屋さんと一緒に歩いた時は、ワタシはお二人の歩くスピードに着いていけなくて、走っていた(ホントです! 笑)。でも、二人ともそんなにシャカシャカ早足で歩いているようには見えないし、ずっと喋りながら進んでいく。本屋さんの歩き方は頭の高さが殆ど変わらず、たしかにちょっと普通の人と違う雰囲気ではあるものの、手足をやたら速く動かしてるわけでも、そんなにコンパスが長いわけでも(笑)、急いでいるように見えるわけでもない。……でも早い。

 これがなんなのか、薄々感ずいてはいたものの、特に一生懸命早く歩くように努力してきたわけではない。

 ところが、数ヶ月前、シュガイザー先生と一緒に歩いている時に「歩くの早くなったね、っていうか僕より早い」と言われて気がついた。おぉ、身体半分シュガイザー先生の前を歩いているじゃないか!先生の前を行くなんてイケナイ、イケナイ(笑)。先生は何時ものようにブロックのような重さの鞄を持ちつつだったのだが、それにしても同じペースが自分のものになっていた。

 ふと気がつくと、本屋さんと一緒に歩いていても、ほぼ同じ速度で歩けるようになっているのである。これが本屋さんのいう「空気伝染」か!(笑)  ワタシの身体も随分変わったもんだとほくそ笑んでいたある日、本屋さんと神保町の町を歩いていた時に突然、本屋さんが、「アナタも大分普通に歩けるようになったから次の段階に入ろうか?」と言って、突如歩き方を変えたのである。変えたと言っても何かが変わったのが分かっただけで、ピッチをあげるとか、シャカシャカ歩くとか言うのではない。……でも着いていけない!?!?!  ぬあにぃ! ホントはこんなに早いの???

 「身体の此処と此処をこう使う」というその秘訣を後から聞いてなんとなく掴みかけているので、そのうちワタシにも、この本屋さんがいう「次の段階の歩き方」にも何時の日か手が届きそうな感じはしているが、「だったら、始めからそれを教えてくれればいいのに!」と思って言ってみたら(笑)、「始めにそう言っても身体の感覚が育ってないからなんのことやら分からんと思うよ」との事。言われてみれば確かにその通りだと思う。ただ「歩く」という誰もが普通にやっている事でさえこうなのだ。「鍼は腹で打つ」とか「足の力を手に伝える」とか「体重を乗せる」とか、いろんな事をいろんな人が言うけど、身体が出来てなくっちゃ分からない、見えない世界って絶対ある。出来る人にとっては「口だけの人」はお笑いの対象にしか過ぎないっていうのも理解できる。

 第二段階へ突入の翌日、朝起きて駅まで歩き始めると腰に若干の痛みがあった。まだ動きが自分のものになっていないので、無駄に力を入れてしまっているのが原因だろう。事務所に着いて、市民講座で本屋さんが教えていた腰痛ストレッチをやってみたら取れたので、身体の大きな筋肉というよりも、中の使い方がイマイチだったようだ。

 本屋さんは本当に楽々と歩いていってしまう。上半身、下半身ともユルユルと何処にも力が込められていない。しかも、軽身功(の真似事、と本人は言う)とかいう技を使うと、ドクター中松が開発した変なスプリング付きのシューズを装着しているのかと言うほど、「ピョ~ン、ピョ~ン」と飛ぶように去っていってしまう。人混みでコレをやられると、見失う・・・。しかも、人々を避けるのが上手なので、速さにはどうにかついていけても、障害物(人)を上手くかわせないワタシはロスタイムが大きくなって、どんどん離されてしまう。昔、修験道の人々は「野山を飛んで駆け抜ける」と言われていたそうだが、きっとこういう事だろうという気がする。たまに本気で走るとあっという間に居なくなる。「陸上部だったんですか?」と聞いてみたが、「たまにね」とか、「頼まれてね」とかよく分かんない答えしか戻ってこない(笑)。

 そうそう、先日ラグビーの試合で捻挫をした男性が松葉杖をつきながら治療に来られた。本屋さんが身体を触りつつ、「あんまり夜寝付きが悪いと言うか眠れてませんね、身体の故障も多そうですねえ、あ~肩もやってるでしょ、身体のこちら側だけがよく故障しない? あと、こんな事まで言っちゃうと申し訳ないんですけどこういう風に物事考えるタイプでしょ。」等とご本人が常々気にされているポイントを次々と当てていくので、びびっていた(笑)。故障グセをどうにかしたい、という思いが最近ピークに達していたらしく、本屋さんとの出会いから突破口を見つけられたようで本当に喜んでらした。涙を浮かべて感激しているようにも見えた(笑)。<身体の使い方>は鍼灸師だけでなく、万人が知って、体得しておくべきだなぁ、と思った次第である。体育の授業でこういう事を教えれば日本国民の頑強さが益すのになぁ(笑)。でも、こういう教育って徴兵制に続きそうだから阻止されるって、本屋さん達が話していた気がする。世の中知らない所で、色んなバイアスが掛かっているものなんですね。

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2006年10月22日 (日)

古本

本屋さんは取次店へ納品に行くと、決まって5冊は本を買って帰ってくる。その度に本が事務所に増えていく。本棚は始めから飽和状態に近かったので、所狭しと床に並べられてゆく本達・・・。何度、けっつまずいた事か分からない。分厚い赤い辞書『中正形音義綜合大字典』(これを手に入れた日は嬉しそうだった!)に三度もつまづいて、その度に手をテーブルの上の文房具に突っ込む羽目になった日には、さすがにムカついたが、本屋さん曰く「日常動作で足を引き上げる動作はなかなか無いでしょ。君のために用意してあげているんだから、頑張って足を上げて通りなさい」と(ヘリクツ)。でもそうなのだ。つまづいているのはワタシだけである。アチコチにぶつけて青あざを作っているのもワタシだけである。肉体が違うからしょうがないのだろうが、本屋さんには障害ではないらしい。因みに、青あざには皮内鍼を貼ると早く治ると教えてもらったので試してみた。確かに鍼の周囲だけは色が抜けたので、これは全体を網羅するように貼るべきだったと思ったのである。

さて、本屋さんが先日古本屋で買って来た本の中に『常用腧穴臨床発揮』中国語版があった。本の背表紙をめくりながら「あぁ~誰かが売っちゃたんだねぇ。日産厚生会玉川病院・東洋医学内科のハンコがあるよ」と、本屋さんが発見した。以前買った本には『中医臨床』とかに名前が出ているような有名な先生の蔵書印があった事があったし、間中善雄先生が丸山昌朗先生に贈呈したサイン(丸山昌朗仁兄恵存 昭和45年七月 愚弟 知愚庵 敬贈 印)のある本も古本屋で見つけてきた。本屋さんは「先生が一生懸命集めた本もこうして売られちゃうんだねえ」「丸山先生の蔵書も散逸かあ、御弟子さん達はなにやってんだろうねえ」と嘆く。この日産厚生会玉川病院については、某雑誌で臨床レポートみたいなものが連載されていたけれども、ハンコが押されている『常用腧穴臨床発揮』が売られちゃうってことは誰かが盗んで売っちゃったって事なのか、それとも病院がこんな本いらないって判断したのかどちらかのわけで。本屋さんに言わせると、鍼灸やっている人である年代の人ならピンと来る◯◯のリハビリテーション病院でも、使い込みとかいろいろあったらしいし、ある程度の機関が蔵書を廃棄する場合は廃棄印を押すのが普通だから、案外誰かが持ち出しちゃったものが巡り巡ってここに来たのかもしれないそうだ。もちろん本屋さんは当然の事ながら『常用腧穴臨床発揮』は2冊も持っていて(そのうちの一冊は某先生の印鑑付)、今回は適正な値段で古本屋に出ていたので買っておいとこうと思ってたら、初版(1985年11月)で日産厚生会玉川病院・東洋医学内科の(昭和61年)ハンコ付き、というものだった……との事です。これも来年の多賀フォーの景品になるか、勉強会に来ている人で希望者の手に渡る運命なのかも。長野書店に日本中の『夜鳴く鳥』が集まる程ではないにしろ、ここにも毛色の違う本が結構うようよしている。特に本屋さんは、所謂鍼灸とは直接関係ない、だけどちょっと角度を変えるととても治療には役立つ分野の本が御得意みたいで、長野書店の品揃えとはまた違った領域にも鼻が利くみたいだ。クンクン。

先日のブログ、「押手が甘い 続編」にも書いたが、来年の勉強会は本屋さんの幅広い知識から周辺知識を学ぶ会をやりたいと思っている。毎月一冊の本と共に、それを読み解く周辺知識の解説をお願いするという具合。例えば『八面体質論』、『五輪九字明秘密釈の研究』などを教材として購入して、その本の解説を本屋さんに聞く。単発形式で興味のあるものに参加できるというスタイルにして・・・。と、ご本人の了解が取れていなくても構想だけは持っている(笑)。万が一のチャンスにすぐに乗るためにはコレが重要だと思っている。うっかり、本屋さんがやる気を見せた瞬間に畳み込むには具体的なプランがないといけない。こうやってプランを書いておけば、参加したい人もソコソコ集まるだろうし、たまにこのブログをチェックしている本屋さんも、こうも頻繁に書かれているのを知ったら、なんとなくまあしょーがないかって「やるつもり」になるかもしれない(笑)。刷り込みの術である。

本屋さんの講座に参加しているある学生が言っていた「どこの勉強会も人が来ることを望んでいるのに、早く参加者がいなくなることを望んでいる所は初めてである意味驚いた」って。結局金儲けようとか思ってないし、勉強は自分でするもんだと思っているので、みんながそうなってくれれば誰も来なくなってそれでいいと思っているらしい。ところがどっこい勉強の仕方が分っていない人もいるし、本屋さんのように「鼻が利く」人ばかりじゃないのが現実だ。そういう人達にとっては、先に走っている人の言葉は結構参考になるのである。殆ど毎日一回は「え、○○ってほんとに知らないの?」って言われているワタシである。この間は「カノウジゴロウ」だった。普通の女の子(笑)はそんなこと知りません! でも「自分をバカ呼ばわりして(知らないで済ますって事でって解釈してまぷ)問題の解決を図るんじゃない!」とも言われているので、日々雑学収集に勤しむ今日この頃です。

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2006年10月 5日 (木)

押手が甘い 続編

以前(2006年5月 7日 (日)をみてくださいね)、「押手が甘い」というタイトルで書いたことがある。その後押手に関して新たな発見があったので、そのご報告をしたいと思う。

それは、衝撃的な体験であった。今回もネタソースは例の如く本屋さんである。あまりに衝撃的で笑ってしまった。数回やってもらったが、その度に笑いが込み上げてくる。人は「未知との遭遇」において、笑ってしまうものなのであろうか。な~んて。本屋さんには「あんた、学校で何を習ってきたの?」と聞かれる始末であるが、母校以外の学校でもこんな押手に出会うことはないと思われる。是非、皆さんにもご体験頂きたいと思ってしまう。

その日は本屋さんが珍しく筋肉痛であった。あんなに忙しいのに、毎日武術の稽古は欠かさないようである。「時間の作り方が上手」、「能力が桁外れに違う」と安易に思っていたが、そもそも「根性」が違うのだと気付いた次第である。普通ならやる気にならないもん。「巨鍼の練習を兼ねて足に刺してみてちょうだい」と要請され、下腿にトライしてみた。承山から腓腹筋ヒラメ筋の筋膜を縫って膝関節を越えてへ大腿部へむけて打つと、膝関節痛などにテキメンに効果があるそうである。針先を皮膚に当てて、「えいぃっっ」と気合を込めても空回りして切皮できない。「太い鍼を刺す時こそ、前揉捻をしっかりやった方がいいよ」とアドバイスを頂き、自信を持って「1、2、3・・・」と数を数えながら右にグルグル10回。これが母校の前揉捻テスト方式である。

「ちょっと。そんなに皮膚表面をツルツル回してなんの意味があるわけ?」と、突如後ろを振り返る本屋さん。そうか、そうか。皮膚表面ではなくもうチョイ重めに筋肉までね、と再度挑戦。「1、2、3・・・」と数を数えながら右にグルグル10回。「本気でやってるの?」ともう起き上がっている本屋さんは、ワタシの三里付近にやってみせてくれた。

そのやり方は、ココに鍼をするというスジや硬結だけを捉えた前揉捻。周囲に1mmもブレることなく、確実にそこだけをきっちり押さえ、深部に加重が加わる。これだけで気持ちよい。強圧が嫌いなワタシであるが、所謂強圧とも違ったこの重厚な前揉捻は、昭和の鍼灸を感じさせるものである(なんだそりゃ、と思われる方もいらっしゃるだろうが、ワタシの個人的な感じ方と表現であるので気にしないで頂きたい:笑)。グルグルと深部へ進んだ力が次の瞬間、スジ&硬結を砕くかのようにゅぅっと一点に集中して押し込まれる。ここで笑いが出てしまうのだ。しかも、発汗作用もプラスされ三焦が動くぅ~のである。強烈過ぎるこの刺激に「こんなに強くやったら鍼しないでいいじゃないですか!!」と思わず声に出してしまった。「そうだよ。指鍼(ゆびばり)。刺さずに済むならそれでいいじゃん」との真っ当なお答え。そうかぁ。指鍼ってこういうのかぁと、今まで按摩の授業等で「ゆびばり、ゆびばり」ときゃっきゃ言ってグイグイ押していたのが青っちょろく思えた。

本屋さん曰く、この押手は滅多にやらないそうである。配穴を限定し、本当に少ないツボしか使えないような難病の人や、急性症状の時だけのお出ましだそうだ(陽経の経穴が主らしい…血海も取られたけど…)。だから今までお目にかかる機会がなかったのだ。それから、この押手は人差し指と親指で出来る満月がぴたっと皮膚に寄り添って隙間が全くないシュガイザー先生のマジックハンドだからこそ出来る例のスペシャル押手が捉えている世界観が自分には体現できないから、取りあえずこっち側でやってみてる、みたいなことも言っていた。それにしても、次から次に出てくる知識と技術の引き出しの多いこと、多いこと。しかも、鍼灸の分野に限らず殆どの領域を網羅されている。来年は本屋さんに「本屋に学ぶ本読み講座!(仮)」というタイトルで毎月テーマを決めずに鍼灸関係周辺領域のお話をしてもらうのもいいなぁと思っていたりするのである。経絡経穴の講義中でも脱線して面白い話に進んでいて、無理矢理経絡経穴の話に戻していたりするのだが、そのまま脱線して走ってくれることを望んでいる参加者も結構いて(アンケートを取ったのだ)、結局本屋さんは大まかなテーマを決めておくだけで、あまり限定しないで話してもらった方がいろいろ出てくるような気がするのである。その中には覗き込むのもちょっと憚られるような闇もあるけれど、ものすごく澄み渡った空もあったりして、人生経験の少ないワタシとしては、なかなか得をした気分なのである。それぞれの道のプロのお知り合いも沢山おられるし、特別ゲスト登場~みたいなのも是非やってほしいことの一つである。が、予告通りの「来年はやりません」を覆せない気もする(笑)。とにかく、第3日曜日の本屋さんの勉強会へ出席されている方の意欲と、講義の内容を自分なりに消化して取り組んだ行動次第で、本屋さんのお気持ちも動かせるのではないかと思われまする。本屋さんの講義内容はプロ受けと言うかマニア受けと言うか、すでに自分で開業していたり、肉体訓練をやられている方達から「え、始めからここから教えちゃうの? 勿体なくない?」とか「数年分得した」とか、「あんなこと教えちゃうのあり得ない!」とか「ずっと悩んでいた部分が解決した」とかの興奮しながら伝えにきてくれた反応を聞いている。正直言ってワタシのレベルではなにやら凄そうということは分かっても、具体的に何がどうだったのかは把握できないレベルで、一部の参加者には感動を与えているようです(でも本人は飽きてきてる?)。お金で動かない人を動かすのは難しいようであるが、今まで見ている限り、案外突破口もちゃんとあったりするのである。いつも言っておられるように、「自分の足で立て!」を実践している人間には結構優しい本屋さんなのであった。それを知っている人は少ないけど着実に増えていると思える今日この頃である。

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2006年9月28日 (木)

伝授される人間と出禁になる人間

今日は人間関係についてヅラヅラと書いてみようと思う。まずは、散鍼を皮切りに・・・。

本屋さんの散鍼は「僕の両手でやる散鍼はシュガイザー先生から習った(盗んだ)ものです」(本屋さん談)といわれる技(笑)で、「皮膚をみる」(谷岡先生の言葉)ことに興味があったワタシは、初めて本屋さんにお会いした約2年前から追っかけ続けている技である。一見するだけでは分からないこの動きは、しっかりと段階を経て習わないと身につかないと思える。一般人には。 実際に、「こうやって器用貧乏にやって出来た気になって、ちょこちょこやってるとちょっと気持ちいいかなあだけのバッタもんになるよ」と本屋さんはよく言うし、事実そうなってしまった人を何人も見ている(多分本人は気がついていなかったりする) 。本屋さんは、散鍼について語り始める前に、1000人以上に散鍼をしてみたそうだ(巨鍼も数えているようで、先日は確か800人台だったような気がする)。 また、シュガイザー先生だって、「開業するまでに一万人の患者さんを診よう」と志を立て(実際には9600人台位だったそうだが)それだけの患者さんに触れてから開業し、今日に至っている。こうしたことを忘れちゃいけない。シュガイザー先生にしたって、あの唯掌論を生み出した背景は、この散鍼や鍼が上手くなりたかったという情熱からだそうだ。一定以上の情熱があれば、一人でもその境地に行き着く例はありはするが、一般的にはかなり難しいのが相場だ。一子相伝の古代の世界ではこういった情熱ある人々しか鍼灸師になれなかったのであろう。あんな適当な国家試験を通れば済む、今とは違うのだ。名字から言っても、ワタシなんて間違いなく百姓であったに違いない(笑)。

さて、散鍼とは皮膚表面を扱いながらも、患者の内部をもいじくるものでもある。なので、逆に術者の気持ちがダイレクトに伝わる手技という怖さもあり、半人前の人間が行うと「方針が決まらない迷い」や、「感じ取るべきものが分からず闇雲に触っている」ということがバレバレなのである。このように、上ずった気持ちで施していると、「この先生、経験ないわ」という術者への不信感が芽生えてしまうわけだ。逆に、間違った豪快さをもつ人物が散鍼に取り組むと、それはそれで他人の家にドカドカと土足で踏み込むような「不快な」感覚を味合わせてしまい、患者のガードが固くなってしまう。

本屋さんは散鍼を先ず、体のある部分から始める。というのも、術者主導で患者に身をゆだねさせるタメだそうだ。この技を駆使すると、ワタシのような小娘が60代お偉方を相手にしても、「治療」が始められるという仕組み。押しの弱い容姿とはかけ離れた本屋さんがこういう小技を駆使する辺り、「何事も小技の連続かぁ」という感慨に陥るのだ。意外に思われるかもしれないが、本屋さんは「そこまでやるか」というぐらい細部にわたり丁重に治療を進める。《気遣いの芸術域》を見事に表現されている。

先日の経絡経穴の講義の後、かねてから散鍼を習っている学生さんが事務所に手解きを受けにきた。最近、本屋さんを見習って「いかに寝ないで済むか」をテーマに研究中のワタシは見えつつある秘儀のお陰で、前日3時間睡眠でも講義が終わるまではどうにかいつもと同様にちょっと意識が飛ぶぐらいのレベルを保つことができた。が、事務所に辿り着いた途端に電池が切れ、目も半開きに「指導されている間、別の部屋でお昼寝してもいいですか」とお願いするしかなかった。が、「今日はちゃんと見てあげたいから、モデルになってもらえる? 寝てればいいから」と要請を受け、後ろめたさから解放されて喜んでモデルを買って出た。本気で寝入るまでの数分で、モデルの役目を果たさねばと、シャットアウト寸前の感覚神経を奮い立たせ、お二人の散鍼を受けた。

このような実地指導を受けるのは初めてであったであろう学生さんはかなり緊張した面持ち。手の重さ、つまり重心のかけ方、体の向きの悪さ、使い方の間違いや、接地面積が少ないことから分かる遠慮している精神状態などが伝わってくる。それとは別に、学生さんの持つクセもよくわかる。散鍼ほどその人の個性が露呈する手技も珍しいのではないだろうか。そのクセをまた本屋さんが指摘する、そのやり方が独特で、まずその拙さを上手く捉えて真似してみるのである。「こんな風?」「いえ、もうちょっとバラバラっという指当たり」というやりとりを3回ほど繰り返すと、もう拙さが再現できる。その上で、「ここを修正してごらん」と的確に注意を出すのである。完璧に、個々に合わせたオーダーメイド的指導法である。その後、もう一人合流して口伝公開が繰り広げられていたようである。後から来たもう一人の人はもう臨床歴も長い先生だが、「凄い秘伝満載! ここまで言っちゃうかって感じだけど、本屋さんの散鍼は自分がやりたいことそのもの」と評する。ワタシはもう寝入ってしまったので貴重な機会を水に流してしまった・・・。あそこで、むりやり起きていれば・・・と後悔先に立たずである。

散鍼には肌の上を進むべき方向と、側がある。こんなに回数を見ているワタシでさえ気付かないことが多々あり、いまだに新しい発見がある。「オメェの目が節穴なだけだろうっ」という声が飛んで来そうである。養老先生の「出力が違えば、入力が違う」という言葉を切り返しに使ってしまおう。本屋さんの受け売り(笑)。

節穴ついでに思い出したが、実は巨鍼をしばらく禁止されていたワタシであるが、時期を見て、身を挺して指導をしてくれ、解禁にしてもらえた。しかも、苦労していた切皮が足の角度を変えるように言われただけで「ポンッ」と簡単にできてしまった。こういうように、段階を見てモノを教えくださる考えには、ただただ敬服するばかりである。「これは伝統的なモノを教わる上では当然のことだ」、と涼しいお顔で言いのけるのだが、神業に近いと思わずにいられない。ただ、本屋さんと同様に伝統的な武術をやられている本屋さんの兄弟弟子が、ワタシの治療を受けた後に下さる感想・指摘は、本屋さんと同じ匂いのする、非常に示唆に富む「段階的指導要素」がたっぷりである。

彼らは生まれながらに伝統を引き継ぐ環境で育ったわけではない。20歳ぐらいで、その道に入ったのが大半なのだろうと思うが、師と、どう人間関係を結んで、コアな部分を伝授されるかという思想が身に染み付いている。「伝統的なモノ=人間関係(師弟関係)」と言い換えるとはっきり見えてくるかもしれないが、鍼灸だって同じ伝統的なものであるのを肌で感じ取っている人はかなり少数であると、本屋さんの影から見ているとそう思える。40近ければ当然のように、この仕組みが肌に馴染んでいる人も普通にいるが、30代前半では半数以下、20代に至ってはたま~にお目に掛かる人物が居れば「希望の光」と崇めたくなるほど、惨憺たる現状である。もちろん、ちょっと前の世代では徒弟制度の「弊害」もあり、それに潰されている人もいなくはないが……。

徒弟制度で成り立ってきた鍼灸の伝承に限らず、日本の社会が、戦後の学校教育へと移行するに当たって、失った部分は《技術》と、伝承を成り立たせる《人間関係の構築の仕方》であろう。学校制度に乗っかって、《お金を払って、与えられたものをこなして、資格を取る》のに馴染みきった人間が、「もっとリアルなモノを見たい」と《技術》目当てに外へ出てゆく。熱心なので行動力はある。が、《人間関係の構築の仕方》を度外視しているため、いつまでもコアな部分に触れられない。この自分で作っている落とし穴に気付かないために、お金も時間も労力もロスをする。これぐらいなら、自分の不手際であるから「要領が悪い」と言い訳して対外的にも済まされるが、本当に怖いのは、失礼を重ねた結果の《縁切り》である。「二度と敷居を踏ませない」という感情を先生に抱かせれば、もうオシマイである。大抵、こういう先生方は腹が決まっているのでリベンジは効かない。

えらそうに書いてしまっているが、ここまで読んで、ちょっと、身の危険を感じた学生諸君が居れば実は本望である。が、諦めないでもらいたい。冷静になって周りを見回して欲しい。実力ある先生の後ろには必ず、先生と個人的な関係を築いた《金魚のフン》が一人や二人居るはずである。彼らはどうやって《金魚のフン》を許されているのだろうかを考えてみるべきなんじゃ?   さらに、観察を進めると《金魚のフン》には2パターンあることに気付くはずである。その先生だけに付いている《金魚のフン》と、実力&魅力に満ちた先生方複数と人間関係を築いている《金魚のフン?》だ。前者は、たまたまその先生と気が合うだけなのかもしれない。が、後者は違う。全く違う。例を上げれば簡単だが、前者は「あの先生といつも一緒に居るあの人って一体・・・・」と、存在意義を問われる人物である。対して、後者は強引に他人を押しのけて、後ろにくっつくのではなく、「おいで、おいで」と場所を用意して待たれている《スーパー金魚のフン》である。ワタシは《スーパー金魚のフン》の人物像を想像で書いているのではなく、具体的な方々を思い出しながら書いている。《スーパー金魚のフン》に共通していえる事は一様に、《謙虚》であることと、《やることやって、能力を高め続ける》点である。どうもこの2点が合わさると、実力に満ちた先生方は教えたくなるようである。この《高まり続ける能力》の部分に魅力を感じ、期待を込めて、普通じゃ出てこないコアなエッセンスを惜しげもなく出してしまうようである。これは、コネでもお金でも買えるものではないのである。

コネで思い出したが、鍼灸学校の入学式が終わった教室で「○○先生の紹介で」、「卒業したら、○○先生のところで働きます」という多数いらしたたコネクション系の人々の自己紹介と、「本当に習いたかったら外で師匠を見つけなさい。難しいだろうケドね」という先生の話を聞きながら、「コネも金も無いワタシは、なんて場違いな世界に入ってしまったのか」と、本気で泣きそうになった。1週間ぐらいはかなりブルーであった。学校が終われば真っすぐ家に帰り、与えられた科目を消化するように毎日数時間程度勉強するのみの、芸の無い暗記勉強法を繰り返しただけの1年生であったが、大して勉強しない学生が大半の中ではこんな学習法でも功を奏した。その最大の成果とも言うべきものは、毎回授業後に質問攻撃を繰り返したワタシを嫌がりつつも(笑)、目を掛けてくれたS先生との出会いで、現在ワタシは日本有数の実力在る鍼灸家達を身近に感じる六然社へもぐりこんでいるのである。(本屋さんの目はキビシい、何処かの会長さんとか肩書きや地位や名声とかには全く関係なくシビアに実力を評価する……人相悪いからダメ、で切り捨てちゃうこともあるけど……その後大抵水野南北や目黒ゲンリュウシの話とかが続くのであるが……)

また、文章が長すぎて纏まらなくなってきた。この辺りでやめておこう。2年生の時に、ふと気付いたことがある。「要は実力か。実力つながりの先生方はキラキラしていて楽しそうである」と。(シュガイザー先生も本屋さんも鍼灸の話をしている時は実に楽しそうだ)。

この「楽しい」というのは結構大事なことだと思う。ワタシの場合は構築の仕方の方法論の一つに《楽しそう》も隠れた柱となっている。先生方にとって《楽しそう》な行事やネタを提供することで、良い気分になってもらおうという風に後から見ると動いてきた感があるが、まだまだ素人の域で、却って手間を取らせているだけでもある。しかも、某地域では「暴走丸」とあだ名される一面を持つワタシであるので、本屋さんからは片手で数えられなくなりつつあるペナルティを突きつけられている。しつこいようだが《人間関係の構築の仕方》も実力なのだ。ワタシ自身の情況は常に背水の陣でありながらも、いつも仕事をサボってブログを書いている。「両手で数えられなくなったら、足の指も足してくれるかなぁ」と淡い期待をこめつつ・・・。今回こうも嫌らしく綴っているのは、《楽しそう&良い気分》の真逆である《面倒くさい》件を一掃したいという「願い」からであった。ワタシ主催の勉強会にいらしてくださる学生諸君にも、ご理解いただければ幸いです。

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2006年8月15日 (火)

ニコイチの由来

よく、皆さんから《ニコイチ》ってなぁに??とお問い合わせがあります。薄々お気付きかもしれませんが、長野先生と寄金氏のセットを指しております。

今年の色体ちゃんの講座だったと思いますが、「僕と寄金さんはニコイチですから」との発言からスタートしました。ワタシも《ニコイチ》という単語を知らなかったので、どういう意味かを聞いて見ました。それはアウトレット商品などにある、「今なら2個セットで○○円!」という在庫処分形式を指すそうです。某先生の御指摘では、問題のある車やバイクの二台から部品や骨組みを合わせて一台を作り上げ売っちゃう時に使うあんまりいいイメージじゃない言葉だったりするらしく、こうしたあたりも自虐的でいいなぁと思いますが、《ニコイチ》の意味合いとして「我々二人は鍼灸業界にとっての大して必要ないもの」という定義を含まれているようです(笑)本屋さんは常々言ってますね、「僕も長野先生も面白がっていろいろやったり言ったりしてるけど、誰にもついてきて欲しいなんて言ってない、自分たちの足で立て! って言ってるだけなんだ」って。

この夏開かれる色々な学会・研究会の内容を見回すと、和方鍼灸友の会の《多賀フォー》は異色を放っていますねぇ。まず、会場が神社ですから。既に参加された方はどういう場所かご存知だと思いますが、この多賀大社は伊勢神宮に祭られている太陽神、皇祖神でもある天照大神のご両親にあたる、人間万物の祖である伊邪那岐神・伊邪那美神を祭っているのであります。はぁ~言えた(笑)。世の常識を持ち合わせていないワタシはですね、今回の多賀フォーで「興教の祖・覚鑁の身体論と身体技法」をお話される正木晃先生《宗教学講義》シリーズを通しまして、ようやくこの手の部分がなんとなく分かってきました。以前本屋さんが「三千世界の俗物が水洗便所の音とともに下界に云々・・・」と話をされた時に、「サンゼン?ってなんですか??」とうかつに聞いてしまった所、「えーっ? 、こんな所から説明を始めなきゃいけないの?? だからつまんないんだよなぁ 話が通じない人に教えるのは……」とため息と共に、本屋さんお得意の《勉強会やめますボタン》をあわや企画者自ら押してしまうといった、あるまじき自爆行為を犯しかけたこともございます。話がそれました。

昨年は早朝に到着して、荷物を下ろすまでに境内をお散歩しましたが、お天気だったこともあり、とってもすがすがしい空気でした。周りに高い建物なんて一切ない場所柄ですから、青い空と神社と周りの木々の緑が織り成す風景の中でずっとボーとしているのもいいなぁと思える心地良さです。深夜バスでいらした方が早くからお茶屋でせせらぎを見ながらボーっとされていましたが、早く着くのもいいなぁと思える場所であります。こういう所での勉強会は都内のビルの中に篭って行われる会と根本的に感じるものが違います。浄化されてゆく気分ですよ。「藤村滋権宮司」を偲びつつ、「多賀法印」の慰霊、そして弥曽以知の入魂式、とこんな静謐なイベントがある鍼灸の勉強会って他にありえませんです。

2日間の中で、一流の先生方の技と理論に触れ、鍼灸の歴史にまつわる周辺知識を、業界にこだわらずその道の第一線の研究者に聞く……、日本に入ってきて約1500年という《鍼灸》を学ぶにあたっては、時代時代の鍼灸に関わった人々の物の考えといった背景を知っておくと、なんだかより身近なものに感じられて楽しいなぁと思います。

さてさて、今年の多賀フォーラムのお申し込みは8月25日が締め切りです。毎年、締め切りを過ぎたり、当日参加などもあって、てんてこ舞いです(笑)。お席の確保という基本的なこともありますが、なにより懇親会、お昼のお料理のご用意が当日では無理なのでございます。例年2、3の予備とスタッフの分を減らして対応していますが……。お給料日が締切日となる方もいらっしゃるようですが、万が一期限に間に合わないようでしたらご一報下されば対応させていただきますデスヨ。

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