神保町の日々

2008年1月 8日 (火)

新年の抱負

 明けましておめでとうございます! 

今年のお正月は天気も良く新年の幕開けにふさわしい穏やかな日々でございました。頂いた年賀状、メールには共通して「新しい世界との出会いをありがとう」というニュアンスがございました。和方鍼灸友の会&六然社の勉強会、講習会を通して色んな出会いの場を提供できていたのかと改めて気づきましたです。ついつい目線は自分中心ですので(笑)、人間関係や技術、知識等、自分にとって得る物が多かったという点で大満足していたんですが、参加された方々もそれぞれに世界を広げてくださっていたようで、「もしかしてもっとやるべき?期待されている??」と鼻息を荒くしております(笑)。
 
 正月のダラダラモードのまま、溜まりに溜まった資料を整理しながら「講師はこの方で次ぎはコレを解説してもらいたいなぁ~」、という企画ががドンドン沸いてきました。ま、殆ど本屋さんネタなんですけどね。あんまり働かせるのも悪いしなぁ~、と思いつつ、ワタシが知りたいことは皆も知りたいかもしれないし(多分そうに違いないっ)、一人に話すのも、二人に話すのも、もうちょっと増えたって(・・・で30人越えが毎回)構わないんじゃないだろうかと様子を伺っています。例えば、手相・顔相・姓名判断入門編、職養道、身体作りの発展系で介護のノウハウ。それから、YT式一発療法を少人数指導とかも。ま、これはワタシの頭の中の話なので実現はまだ先です。ただ、2月17日から始めて貰えるできるだけ毎月第三日曜の講座では、「経絡経穴学再び」と「身体作り」がありますのでこの中にもしかしたら上記の話が突然出てくるかもしれません。もしくは、開催時間の前の午前中にプレ講座を余力があれば開ける時があるかもしれませんし、兎に角、場所と本屋さんの時間を押さえる事に成功したので、色々と発展できると踏んでいます。ご期待下さい! 

 この2月17日の講座をご希望の方はお早めにご連絡下さい。実は12月23日の講座の際にプリントを配布しまして、その方々からのお申し込みが相次いでおります。なので定員まであと一桁のお席となっております。いつものアドレスにメールを下さった方には詳細をお送りしますね。

 さて、年末に今年最後のプレゼントというような言葉を貰った、と書きました。それからすぐに年が明けて予想外のお年玉がまた!! たった一週間の間に2度もお会いできる事なんて滅多にない上(奇跡の一週間と名付けました)、実は実技指導も頂いておりました。

あぁ、六然社にいて良かった。本屋さんが「先生」という代名詞を使って、ある人物を特定させるのはこの方のみのわけですが、ワタシなんかが同じ人間という種族に属していいのだろうか・・・と本屋さんにも感じる畏敬の念を更に上回ったレベルで感じずにはいられない御方です。本屋さんが(危険を冒して)ワタシに「先生」に触らせてくれたのでした。本屋さんがやるのとワタシがやるのと何所が違うのか先生が身を以て体験して表現してくれたのですが、ものすごい貴重なアドバイスをいろいろと頂きました。この方は治療家ではありません、念のため。ただ、人間の特性を熟知されているので、「治療家でないのにどうして分かるのか?」、「力をこのルートに通せばいい」というような素人的には不思議でならないアドバイスが、「簡単簡単」という感じでポンポン出ます。それと共に「技術を教える」、ということのノウハウも持っていらっしゃる方です。
 
 ちょっと横道にそれますが、鍼灸学校での3年間では、身体の見方(患者さんの)、身体の使い方(治療家の)という視点はほぼゼロに等しい所で、《治療行為》を習っていきます。約一名、身体の見方を教えてくれた先生がいましたが、看板である《経絡治療》に遠慮して2コマぐらいで終わりました(涙)。単に紹介でした・・・。この視点の欠落の大きさに、ワタシは卒後年々怒りにも似た感情を抱き始めるわけですが(笑)、この視点無くして病態を改善するのは至難の業だと今では断言できます。例えば、ゴルゴ36先生のベースにも整体的要素が根付いているのが垣間見られますし、鴻仁先生もシュガイザーのポーズを美しく見せる為に習われていたいくつかの武術の流れが、患者さんが施術を受ける時に何気なく取らせる姿勢の持って行き方に要所要所見られます。現在無資格治療家の王道をひた進む(そろそろ有資格者;笑)の〇っちゃんの治療と「僕のベースは活法だから」という本屋さんの治療は、まさにソレの連続。まだ見た事はないけれど、察するに佐渡のクールヘアー先生も合気道や空手の上に治療を置かれているはず。とまぁ、身体の使い方を自分の身を以って知っているかどうかが治療に大きく関わります。

 鍼灸学校でこの視点の欠落がどうして平然と行われているか、ワタシなりに考えて見まぴた。

 色んな先生を思い出すに、作為的に教えないわけではないんだと思います。要は気付いていないんだと思います。また、気付いていてもそれは大人になってから自分で試行錯誤して自分の身体を見つめてきた自分史になっています。そして、決定的なことを言ってしまえば「母校の設立者達の身体と現代人の我々の身体がもう全く違うんだ」と。簡単に言ってしまえばそうなんです。あの頃の日本人が普通に持っていた身体能力、身体感が今の日本人にないんです。敗戦後、押し付けられた(というより大多数の日本人が望んだ)西洋化で失われてしまったんですね。戦前の日本人が日常所作の中で付けていた筋肉とそれが通る力のルート(どうもこれが奇経の一部らしい)は、もはやワタシにはほぼ無いです。トイレだって和式で済ませるのは苦痛に思える軟弱ぶりです。あの頃の鍼灸師が意識も全くせずにやっていた身体の使い方、身体の見方が現在には受け継がれていないから、そこがミッシングリングになってしまったんでしょうね。先人にとっては言葉に出して共通認識させるレベルの事ではなかったから、却って残らなかった。あの時誰が、こんなに身体を使わなくなるなんて予想できたでございましょうか。便利な世の中を望んで、そればかりを追った結果が身体の退化。機械は進化したけれど、人間は退化しました。能力としては格段に落ちてしまったのが現代人っつうことです。《身体》が不在のまま、治療体系だけが引き継がれてしまったのが鍼灸学校の現状の一端でしょう。そこに気づいている先生がどれぐらいいらっしゃるか。ワタシの経験上、専任の先生方には居ませんでした。で、臨床家の先生方にはチラホラいらっしゃって学生にもその大切さを説いていらっしゃいましたが(そのうちの一人は本屋さんの言葉を受け売りしている事がその後判明;笑)、その知識&身体のレベルが個人的な域(自分で思いついた感じ)を出ていなかった。伝統として引き継いでる身体を持っている方は学校ではお会いできなかったわけです。

 では、伝統的な身体とは一体どういう物か。これは本屋さんに会うまでは全く知らなかった世界です。脈々と続いてきた武術の中に残っている身体って、スポーツの類で鍛えたものとは随分違うんですね。本当に新鮮で驚いたものです。この伝統的な身体というのは実際に目にしないと伝わらないかもしれませんが一応。身体は誰もが持っている物だからそれとの違いをね。

 例えば、鍼灸師で太極拳をやられている方は多いと思いますが、殆どが気功とセットのここ30年ぐらいで作られた物でしょう。文化大革命以前の物ではなく、新政府が新しく作り上げた《中国四千年の秘儀》的外国への一種のプロモーション用。これとは違う太極拳を見た事がない方の方が実は多いんじゃないかなぁ。ワタシも本屋さん経由で実際の拳法である太極拳を拝見させてもらうまでは、主婦が取り組む健康体操の一環というイメージで捉えていました。が、とある太極拳士の演武を見てびっくり。「ビュンビュン言ってるよ。怖ぇ~」と立派な武術だったのを目の当たりにしました(笑)。「どうしてこう動かすのか」という足の出し方、腕のもって行き方一つをとっても意味が含まれているそうです(しかし、この業界でもそういった類の事は失伝しつつあるようです)。健康体操太極拳のように、「出来るだけ大きく~」とか、「こういうポーズで!」という次元ではなく、人間を倒すこと、逆に倒されずにいることを念頭においての武術ですから、ギリギリの所で磨かれてきた動きが型の中に集約されているんだそうです。武術の太極拳をやっている方の身体は独特の基礎練習を積み重ねる事で、数百年に渡る身体開発法のノウハウを身体に浸透させて、練り上げた身体へ変化するのです。ここに《伝統的な身体》が出来上がる過程を見つける事が出来ませんか? こういったノウハウが伝統的な物には分野を問わずにきっとあるはずで、ここに歴史が垣間見れるんです。ワタシとしてはね。

 師匠の師匠、そのまた師匠を追える程の歴史があるノウハウは個人的なレベルで突如開眼した身体とは違うんです。この違いを言えるまでに5年掛かりました(笑)。ワタシの分類では以上のような2通りが《身体を意識している人々》にはあります。そして、得てして《一代にして突如開眼系》の方が一般的に世に出ているので広く認識されており、《真髄系》伝統的な物は地下に潜ってひっそりと続けているようです。本屋さんの師匠も、本屋さんの「○○書房(某有名出版社)で本書きませんか?」との提案に「却下」の一言でした。「時代が必要としてない(理解出来ない)」であろうという判断のようです。メジャーになれば衰退の一途が待ち受けているでしょうから、こっそりひっそりと脈脈と(昔ながらの方法で)続けるというのが継承して行く物には大切な要素なのかもしれません。

 本屋さんが「伝統は(そして技術は)身体を通して伝わるものだ」と散々おっしゃっていますが、そういう事なんです。受け皿の身体が出来ていない事には、伝統的な技は再現できない。治療において伝統的とこだわらなくてもいいですが、効果を上げるためにはやはり身体が出来ていないと難しい・・・とワタシは本屋さんの真似事をしながら痛感しております。ここを避けてはステップアップがないんじゃないか、と思う新年の抱負でありました。治療は人が身体を使って人へ施すわけですからね。テレパシーやイニシエーションで「エイッ」ていうわけにいかないですから。自分の身体をどう使えるか、それをすれば逆に人間の身体の動かし方が分かってくるんじゃないかと、「先生」のお話と実技指導を通して思ったわけです。

 そうそう。「先生」からそろそろ悪い物も見た方がいいと言われました。いつも良い物ばかりに接していると、何が良いのか輪郭がぼけるからとのことでした。その違いを言語化して説明できるくらいに明確にした時に良い物が浮き彫りになってさらに意識できるよとのお言葉でしたので、どこかで悪い物を見たらブログにしっかり書いて違いを明瞭化しようと思います(笑)。

さてさて、2月からの身体作りを励みに、皆さん一緒に頑張りましょう!

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2007年7月23日 (月)

癒しと治し

 先日、ある先生とメールのやり取りをしていた中に「アロマも使う○○先生は、癒しではなく治しをしていますね」という一文があった。

 この韻を踏んだ言い方に「うぉぉ~これだよこれ。ワタシが目指そうと思ったものは」と感激した。今までつべこべ説明していたが、このキーワードで全て解決だ!! イタダキっ。って感じであった。

 アロマ業界から鍼灸学校へ入る動機は、どうせ人の身体を触るんだから治す領域に手を出したい、というものだった。触りながら、こっそりアレコレ治せたらいいなぁ、小人がコソコソ夜中に修理するみたいで、ちょっとしたイタズラっぽくていいなぁと思っていた(もちろん今も)。お顔のエステをやっていた時に、「今日は頭痛がする」と言われると、首や頭皮も何気なく一緒にマッサージして頭痛を楽にさせるのが快感だった(笑)。が、今思えばあの頃は「循環が良くなればいいのだ」という筋と脈管レベルでしか身体を見ることができなかった。今はもう一層違うもの、骨と膜というレベルがあることを知ってはいる(そう、知っているだけ;涙)。

 実は、これを体現する人がいる。本屋さんである。皮膚、肌肉、筋、脈管、骨を全部網羅する治療を組み込んでいる。そして、患者さんが女性の場合は、こっそり骨盤を調節してウエストを締め、首の調節がてらにこっそり小顔矯正と言えるものをしている。これは美容の観点から行っているのではなく、あくまでも治療の一環なのだが、敢えて患者さんには「ウエスト締まりますよ、小顔矯正しますね」とは言わない。こっそり治しておく。顔をいじれば感覚器官の諸問題が解決するし、骨盤を整えるのは必須と言えるほど治療のキーになる。

 顔の左右差を非常に気にしている、過去に顔面神経麻痺を起こされた女性だけには、納得させるために説明していたっけ。治療の度にいつもやっていたのだが、患者さんの意識上に「小顔」という魔法の言葉が昇ると、女性は真剣になる。この相乗効果と来たら、あら不思議(笑)。「いつもより動きの悪い目と口が開けやすい!」と反応がめちゃくちゃ上がる。「顔が引き締まった。また次回もこれをお願いします」とルンルンしてお帰りになった。

 巷には骨盤矯正・小顔矯正と大々的に宣伝し、心理作戦で成り立っている治療院(無資格系に多い気がする)が乱立しては消えていく。短期決戦の経営テクニックとしては悪くないのかも知れないが、宣伝すればするほど、無い技術を隠そうとしているようにも見えてくる。とりあえず洗脳作戦で場を繋ごうというのか、施術前後の写真は笑えるぐらい大袈裟だ。が、コンプレックスを持った女性の行動力は侮れない。飛びつく女性は意外といる。しかし、数回は続いてもずっとは来ないに違いない。人は簡単に騙せるが、騙し続けるのは難しい。

 そういえば、先日。来年の春にウェディングドレスを着る女性がウェスト周りをどうにかしたいと本屋さんに訴えていた。「10分で減りますよ」と簡単に回答する本屋さんに、その女性は藁をもすがる勢いで「お願いします!!」と頼み込んでいた。

 彼女がベットに横たわる前にウェストを測ることにした。実際に本屋さんが骨盤を調整するのはずっと見ているが、測るのは初めてだったので期待が増す。「えぇ、測られたくないっ」とお腹を隠す彼女に、「紐ですから、何センチかは分かりません」と本屋さん。あ、メジャーじゃなくていいのか。これって素敵な配慮だわ、と内心さすがだなぁと思っていたワタシ。お臍のラインと、上前腸骨一番高いラインで測って紐に印をつけておく。

 横たわった彼女の脚を動かしたりすること10分弱。さて、計測の時間。まずお臍から。

 《ひえぇ~。増えてる。明らかに3cmぐらい。まさか、本屋さんでも木から落ちるのか??》と、「増えています」と言い出せずにオドオドしてしまったワタシを見て察したのか知らないが、「お臍周りは増えるかも」と敗北宣言(?!)をする本屋さん。

 この言葉に救われて「あ、増えています」と切り出すと、彼女は「えぇ~!!」とショックを隠し切れない。減ると思っていたのに、そりゃそうだろう・・・。

 この空気を消し去るべく、慌てて上前腸骨の方を測る。こっちは4cmぐらい減っている。《やった~。空気を変えられる!!》と意気込んで、「減ってますよ」と告げると、彼女は飛び跳ねて喜んだ。しばし喜びを共有するとお互いに疑問が・・・。

 どうしてお臍周りは3cmぐらい増えたんだろう??

 「それはですね。言いにくいんですけど、余計なお肉が上に上がったってことです(笑)」と本屋さんがニヤニヤして種明かし。なるほどぉ。お肉は減らないわけね。当たり前か。でも、骨盤の上に上がったお肉は取れやすいんじゃないかなぁと思ったりもした。なので、ウエスト調整を数日置きにやって、そこそこ食べ物を減らしたり、運動をすれば案外簡単に細くなるんじゃないかと。

 本屋さんは「結果として患者さんが楽になれば良いんだよ」としか言わない。施術の方法は鍼灸でもいいし、手技でもいいし、言葉だって良いんだということである。常に非常事体制を頭に置いて考える本屋さんのお好みとしては、「何も無かったら?」という前提で手技が一番に来る。それをワタシもマネっこしているつもりだが、お寺の治療会の時、3時間半で17人を一人でこなした日は、「鍼が出来て良かった」と心底思った(笑)。臨機応変、どんな状況でも対処できる引き出しが多い事が大事なんだと、言われたことを思い出したっけ。

 痛がらせる、熱がらせることは意図的に避ける本屋さんの治療は「癒し」というより、「極楽」という感じ。終わった後の患者さんを見るとそう感じる。「極楽」と「治し」が共存する本屋さんの治療はやっぱり名人クラスだと思うのだ。それはやっぱり、《骨と膜》が見えるからなのではないかと睨んでいるが、この辺りの入り口は合宿の時に出るに違いないと、今から待ち遠しい28,29日なのであった。おしまい。

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2007年6月16日 (土)

うそいち

 《うそいち》。なんだか、この語感・・・・とお思いになった方もいらっしゃるはず。そうです、和方鍼灸友の会コンセプト、「良い手・良い鍼・良い文献」の内のの一つ、「良い道具」最高峰の《やそいち・弥曽以知》をモデルにした調気鍼のことなのです(笑)。面白いネーミングがよく思いつくよなぁ~と、本屋さんの頭の構造に感心することしきりです。

 ホンモノ《弥曽以知》は人間国宝級の金打物師による限定81個発売のものでした。「でした」という表現でお分かりいただけると思いますが、和方鍼灸友の会発足時期前後にあっという間に完売になったものです。ですから、その時期から遅れて和方会員になられた方は、どうあがいても手に入れることができない幻の調気鍼&鍉鍼セットとなってしまったのです。22金で作られたオリジナルデザインの叩き出し調気鍼《鏡》と鍉鍼《珠》の2本セットでした。通し番号が1~81番まであるのですが、1番はもちろん鴻仁先生。ワタシは幸運にもギリギリセーフで購入できました。最後の数個の段階で和方に入会したので、どうにか間に合ったのです。ちなみに番号はその時の自分の年齢がちょうど空いており、しかもワタシの誕生日の月日の数字でもあるので「なんかいいなぁ、ワタシを待っていた??(笑)」という番号を頂きました。

 数ヶ月前、本屋さんが突然「○○氏のところで弥曽以知のレプリカを作ってくれてるんだ」と、話し始めました。「えぇ~!!!」そのお名前を聞いた時のワタシの反応です。《うそいち》の製作協力者は表面的には謎に包まれておりますが(笑)、断言しちゃいますが、この方はすごい人物です。語彙が少なくて「すごい」としか表現できないのが悲しい・・・。本屋さんが尊敬してやまない人物なのです。もっと言っちゃいたいなぁ~(笑)。因に本屋さんは監修。なにやら怪しげな密談と数度の打ち合せの果てに、数本のレプリカ、《うそいち》が産まれたようです。

 今回の《鏡》レプリカは3種類あって、削り出しにて複製されたものです。  本屋さんお気に入りのモノは、母材に純チタニウムが使用されています。アレルギー反応が起こりにくい純チタニウムは「これって、金属?」と感じるぐらい、樹木のようなぬくもりがある、不思議なものです。なんでもチタンはものすごく硬い金属な為削るのがスゴく大変なんだそうです。その上、削りカスが発火するとか? なんだか想像出来ません。

 もう一つ、真鍮を母材に使い、ニッケルメッキをかけ、更に二十四金の鍍金処理を厚めに施したタイプもあります。これは本物と見分けがつかない程です。見た目じゃ分からなかったですねぇ~、って騙されたのはワタシです(笑)。こちらはなんでもメッキを何度もかける為、スゴく手間が掛かるらしく、「今ある分以上はもう作らない」と言ってまぷ。

まあ、大体事の始まりは、《弥曽以知》で患者さんを治療したら、その患者さんが《弥曽以知》を欲しがり、さすがにそれは無理なので、似たようなものが出来ないかとあれこれやってみたのが始まりだとか。

チタン製(白箱)、24金メッキ製(青箱)、そして、純銅製(赤箱)があるようです。もちろん、箱には「うそいち」なんて書いてありません。「うそいち」はもちろん本屋さんなりの自虐ギャグです(笑)。箱にはちゃんと「御鏡 複製品」の文字が……。ワタシも一個貰っちゃおうかなあ。

さてさて、「うそいち」(笑)には「六然社謹製 御鏡 複製品について」と題する鑑定書のようなものがついてございます。それには

ーーー本来 金打ち物師(人間国宝)が叩き出し技法を以て制作された「鏡」を、削り出しにて複製制作いたしました。複製にあたって母材に純チタニウムを用いました。  現在、自然界に存在する金属の中で、アレルギー等をおこしにくいと言われる純チタニウムは、樹木のような肌触りを持ち、その感覚は金属である事を暫し忘れさせます。また、腐蝕に強いと言われるチタニウムは、大気中に放置して置いても変化する事が稀であるため、手入れの煩雑から開放されやすいと言われています。生涯使い続ける事が出来る道具になるものと思います。ーーーーと書いてあります。

 (24金メッキ製、純銅製ともにそれぞれに別な文言の鑑定書みたいなものが入っているようですが、本屋さんは見せてくれませんでした。)

 チタンタイプを既に手に入れた方々もいらっしゃいます。この方達は早かったですね。先日の池田政一先生の難経直伝講習会会場にて、《うそいち》の存在を知るや否や、直接本屋さんに交渉されて申し込まれていました。先日、お手元に渡ったのですが大満足のご様子でしたよ。現在、「うそいちトリオ」と本屋さんは彼らのことを呼んでおります(笑)。 そういえば、以前在る鍼灸の会合を聞きに行った帰りに皆さんでファミレスによって、お茶していた時に、偶然にもそのテーブルを一緒にした先生方が全員《弥曽以知》を持っていたという事が在りました。「モノを買うんじゃない、人間関係を買うんだ(そう考えたら安いものでしょ)」っていう言葉もこうなってくると信憑性ありますねえ(笑)   《うそいち》も和方裏の通行手形になるかもしれません(笑)。

あ、合宿参加ご希望の方は、人数限定の為そろそろ、ご連絡下さい。(返信&詳細は来週以降になりますが御了承願います)

 

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2007年3月24日 (土)

肉マンとコーラと戦国時代のハラノムシ

 今日のワタシの《神保町の日々》。

 午前中。本屋さんの治療の助手をしている際に、患者さんから「土鍋でお味噌汁を作ると美味しいよぉ」と教わったので、早速お出かけ前に作ってみた。お出かけ先は某学園。春休み中の教室で有志が集っての巨鍼作りの会が行われるのだ。「自炊ですか」と声を掛けてきたのはシュガイザー先生。そう。昨日から事務所で猛烈に執筆活動中。「じゃ、後で。難しい患者さんだから少し遅れるかも」と言って出て行ったのは本屋さん。忙しなく働く先生方をよそに、ぐつぐつ出来上がった土鍋のお味噌汁、きなこ餅&からみ餅を頂いて、ワタシも出発。

 午後。京浜東北線が遅れて(言い訳)、駆け込んだ某学園の前で、向うから白衣を翻して颯爽と歩いてこられるH先生にお会いした。「先日はありがとうございました!」とご挨拶をしながら(あ、先日と言ってもあの飲み会は夏であったと頭をかすめる)、「今日は本屋さんが講師をするので・・・」とお話しすると、わざわざ会場の教室まで自らご案内くださった。恐れ多い~。「お客様が見えましたよ」と、うごめく学生に向かってH先生がご紹介してくださったのはいいのだけど、肝心の本屋さんはまだ来ていない。まずい・・・。みんなの顔が嬉しそうにこっちを向いている。期待度120%である。

 とりあえず、5月4日、5日の『診極図説』&『難経真義』講座のおススメポイントをお話させていただきながら場つなぎをしている最中に、主役が到着。ふ~助かったぜ。その後、ちょ~早口ながら濃厚すぎるアジテーションを繰り広げる本屋さん。五行の色彩による色分けで見る世界観、陰陽の見方には2通りあること、腧穴がどうして膀胱経にあるのか、五蔵に応じる刺法や八会穴等について、その使い方を教えない(教えられる教員が殆ど居ない)のに国家試験には出す矛盾などから現在の鍼灸学校の教育システムへの強烈な批判へ展開。そもそも、東洋医学概論がありながら、東洋医学各論がないというカリキュラム自体おかしいとニコイチは主張します。だいたい現在の東洋医学系のカリキュラムや教科書のレベルの低さといったら・・・と嘆いておられる。坂井豊作の『針術秘要』を引き合いに出しながら、「病状はまず筋に現れるから…」といった考え方も披露しつつも、「学校鍼灸は基本的には筋の部分しか見ないので、皮毛(散鍼)と肌肉(巨鍼)や血脈(刺絡)等をも臨床に取り入れると世界観が広がります。さぁ、巨鍼を受けてみたい人手を挙げて」とデモへ移行し、巨鍼製作がスタート。

 今回は新2年生が中心だったようですが、まぎれて新3年生、専攻科、教員と実は幅広い方々がお集まりになっていた(笑)。2時間経たないうちに続々と仕上がる辺りはかなり優秀。

それぞれ出来た方から、本屋さんにコメント&刺してもらいながら、散鍼のオマケも随所でやってまぴた。本当は散鍼は散鍼だけでやりたそうでしたけど、せっかくの機会だから、なるべくてんこもり! マルチユーザーマルチタスクマルチパーパスが信条の本屋さんならではでぷ。こんな授業学生のうちに受けられるなんて凄い贅沢。それに今日の本屋さんの講義は全くのボランティア。あんだけ鍼灸学校教育に文句言ってるくせにやっぱり母校には愛着あるのかなあ(笑)

最後にはちょっとだけ質疑応答もありました。「東京で入学を奨める鍼灸学校ってどこですか?」との、学生の質問に「まず、鍼灸師になることを奨めない(笑)。それでもっていう人には都内だったらやっぱりココかなぁ。現在の鍼灸学校には優・良・可・不可で言ったら可か不可しかない。ココは可。H先生や今日の担当である、熱意溢れる勉強家の専任教師T先生がいる珍しい学校ではある。日本で何処?と言われたら、シュガイザー先生も教えてる学校かなあ」と言っていた。  「長い巨鍼を作ってちゃんと使って滅菌が必要な人は連絡下さい」と大サービスな発言も。他ならぬワタシもそうでしたけど、こういった一言(チャンス)に食いついて、「迷惑な押し掛けにはならずにちゃんとした人間関係の構築」が出来るかどうかが、結構試されるのだと思います。そう言えば、先日の「繁栄の秘訣講座」でも、六然社の本を大人買いしていた学生さんに、本屋さんはサプライズを差し上げていました。

 その後、帰る前に、H先生の引っ越したばかりの研究室にお邪魔した。中医書が壁一面。この数倍の書籍が他の階に散らばっているそう。この研究室の位置づけは鍼灸科の付属というのではなく、独立している部門だそう。「へぇ。うちの学校は伝統、伝統と言いつつ、そういう独立機関まで持っていける人材&熱意不足だったんだなぁ(古典研究室っぽい部屋は確かにあったが、外に向けて動いている気配はなし……M先生頑張って欲しいby黒忍者)」と、お宅訪問的なノリのワタシであった。

 駅で本屋さんと別れて、ワタシは事務所へ戻りまぷ。シュガイザー先生はパソコンに向かってキーボードを絶え間なく打ち続けている。どうやら、このまま徹夜らしい。明日朝から治療があるんじゃ・・・。今日のタイトルである肉マンはシュガイザー先生の好物。で、コーラは鍼灸鴻仁オフィシャルドリンク。で、書いているものが4月後半に発売予定の『戦国時代のハラノムシ』。九州国立博物館の『針聞書』の絵本の記憶も新しいかと思われるが、今度はハラノムシ全63種の解説を付けた図鑑のような詳しい本が出るそうだ。一般向けだそうなので、とっても分かりやすい。ざっと頭を拝見した限り、「続きが見たいぃ~。しかもハラノムシの解説が読みたいぃ~」となる(笑)。ハラノムシの解説が素人さんにだって面白く、勉強になる風に書かれているのも、シュガイザー先生のベースに《色体ちゃん=色体経象学》があるからなのだ。これも早く本にして頂きたい。

 先生は書きながらたまに解説をしてくださる。「この戦国時代のハラノムシの概念って、『診極図説』に繋がるんだよね。ムシが毒に変わったの。だから吐かせたり、下したりっていう治療法に結びつくんだよ」と。なるほどぉ~。5月4日の講座が楽しみだ!因みにまだお申し込みは間に合います。こちら  までメールにてお申し込み下さい。参加費1万円のうち、本代が殆どですから講義自体はタダみたいなものです。これを逃す手はない。腹診を身近なものにしたければ、お見逃し無く。今話題の『蟲師』からもヒントを沢山得たようであるシュガイザー先生のお説は、非常にユーモア溢れるハラノナカノハラッパなのだ。

 気付けばもう20時。お腹が空いたので、勝手にワタシは夕食の準備に取り掛かる。先生は寝てしまうから食べないそう。さすがだ。で、コーラと肉まん(笑)。お昼の残りの土鍋お味噌汁が更に熟成されていて、まろやかな美味しさになっていた。一心不乱にパソコンに向かう先生の斜め前に座り、今日4杯目のコーヒーが落ちるコーヒーメーカーをボケ~と見ながらお菓子をつまみ食い。ここにあるコーヒーはどれもすごいランクのようだが、コーヒー党でないワタシにはサッパリ分からない。いつも大事なお客さんには一番いいものを出す本屋さんを見習って、「ハワイコナってすごいんだっけ、先生だからこれにしよう」と、たっぷり夜中の分も落としておいた。本屋さんも0時頃戻ってきて朝まで仕事らしい。シュガイザー先生は始発の新幹線で帰るとの事。一体この人達って?

 そして、ワタシはこっそりブログを書き始めました。途中、シュガイザー先生に見つかってしまい「コラ、アンジェラ何やってるっ」と、つっこまれたが、本屋さんもまだ帰ってきてないし、いいでしょう(笑)。おしまい。

 

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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治療家の手の作り方

神道の呼吸法

ハイブリッド難経

超鍼灸法

東洋虹彩診断 『診断革命』

新日本鍼灸楽会草紙

大師流小児鍼

日本腹診の源流

皆伝/入江流鍼術

六然選書① 尾張藩医浅井家伝 金匱口訣

六然選書② 鍼灸開業繁栄の秘訣

古伝大東流闡明

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2007年2月15日 (木)

自分の頭から出発したもん by白忍者様

 「自分の頭で歩いていきます」を受けて、白忍者さんからまたも投稿がありました!投稿時間から察するに、どうやらご出勤前の超忙しい時間帯に書き上げられた模様。多忙な方の時間の使い方は真似できません…。白忍者さんが「鍼灸だけ師」と一線を介する活動マップも添付されております。なんて親切、超レア物だったはず…(笑)。これで、白忍者さんがどういう活動をしているのか身近に感じていただけるかと思います。今後もマルチな先生の活動には目が離せまへん。以下。

白忍者ことシュガイザーです。
皆さん、色々考えているのですね。

和方の会員も250名を突破したらしく、一年後には300名に届くでしょうか。
顏と名前が一致しないので、申し訳なく思いますし、一度もお目にかかったことのない会員さんもいるのではと危惧しております。 しかし、講義や実演は基本的に一方通行なので、色々な見解を拝見できるのはとても楽しいことです。

アートとエンタについて。
これを「高尚」と「通俗」と訳してみます。
多賀フォー’04で私の「活動マップ(守備範囲)」を配布しましたが、自分にとって…

アートは「医史文献学」であり「唯掌論」です。
エンタは「色体経象学」であり「ツボエクササイズ」です。

「医史文献学」と「色体経象学」は、考証重視か発想重視かの違いであって、「唯掌論」と「ツボエクササイズ」はハードランディグとソフトランディングの違いでしかありません。
臨床から古典を読む作業は、実はとても大変ですし、東アジアの身体知に根ざした簡略なエクササイズを提案するのも意外に難しいのです。

   

    ≪シュガイザー活動マップ≫

  【ツボエクササイズ】   (マスコミ)    【色体経象学】
   軽微な体操       一般大衆    自由な発想
    ↑                         ↑ 
   からだ                      あたま
    ↓                         ↓
  【唯掌論】          (ミニコミ)     【医史文献学】
   重要な鍛錬      少数精鋭    厳密な考証

自分の中では、4者は何の矛盾もなく、共存共栄・切磋琢磨の関係にありますが、頭の固い方からは、テレビで体操を指導したりバラエティで鑑定したりしているとチャラチャラしているとか気が狂っていると思われるようです。まあ、「狂育者」を自任していますので、その程度の酷評は甘んじて受けますが…。

時間切れなので、ここでお終いですが、伝統医学である鍼灸にとって一番大事なのは、「医史文献学」です。伝統医学の立脚点はそこにしかありえません。 そこで…

4月22日(日)、京都にて

第1回・伝統医学史セミナー」を開催します。

奮ってご参加下さいませ。
詳細は後ほどアンジェラ女史にアップしていただきます。
ではでは。

 白忍者さんからでちた。このとっても素敵な会のお知らせは近日中にアップしま~す。

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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皆伝/入江流鍼術

六然選書① 尾張藩医浅井家伝 金匱口訣

古伝大東流闡明

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2007年2月13日 (火)

自分の頭で歩いていきます byレオ・リジンスキー様

 「自分の頭シリーズ」(笑)。今度はワタシと同じ卒後1年目の鍼灸あマ指師さんからです。ワタシに感想を送ってくれると公開される羽目になるのである・・・・(笑)。でも、感想を読んでいると独り占めにしておくのが勿体無いなぁと思えるのだ。この方は今を下積み時代としながらも、それでも自分のやっていることに日々充実感を持っているに違いない。この点こそが大事なのだと思う。必死にもがいている人にはそれなりの強みが生まれる。これが勝負しなかった人からは出ない底力となって、基盤を作ってくれるのだぁ~。以下。

「当方プロ志向、開業希望」

お久しぶりです。年賀状ありがとう。
立春も過ぎ、去年の今頃のことを思うと
「月日ははくたいの過客にして…」の芭蕉的な気持ちになりまする。
1000人揉みを目指す修行はまだ続き、
いまは671人です。あー、たいへん。

ブログが熱いので、私もメールしみますた。

私も、当方プロ志向、開業希望です。
卒業後、一年が経とうとしています。

ライセンスを取ったら、すぐ開業しようと思っていました。
ところが、自分の成りたい、あるいは成れる、
もしくは自分にあっている、鍼灸師像というのが具体的に、
なかなか見えなかったのです。
頭ではわかっている「つもり」でも、腑に落ちてないというか。

で、ここで本屋さんの話を思い出すわけです。

たしかこんな話だったと思います。
「僕の知り合いの先生で看板を出さずに口コミだけでやっててね、
畑の奥の場所も良くわからないところでやってる先生がいます。
でも繁盛しています。
そこにたどり着くのが治療の始まりだって考えもあるんです」

そして、三年の冬に訪れた、
某有名2世先生の豪邸も思い出したのです。

どちらも鍼灸師。
どちらも喰っていっている。
在り方は自由。
なにを選ぶのかは自分じゃん、と思いました。

そしてそれがはっきりしないうちは開業はやめとうと、
丁稚やろうと。

どんな生き方がしたいの?
どんな人間になりたいの?
っていうことと、
どんな鍼灸師になりたいの?
どんな鍼灸院を開きたいの?
ってのは、イーコールだと思いました。

私の場合、25歳から自由業。
サラリーマンはわずか三ヶ月で挫折。
実家は商人なので、月給という感覚も知らず。
確定申告やら国保やら面倒だけど、
そんなぷーたろー15年をおくって鍼灸学校へ。
(ここらへんのダメ人間さ加減が、
堅気な鍼灸師の方とは違うと思います)

私はバンドやら劇団やらに表現に没頭していたので、
自分を河原乞食として見ていました。
で、鍼灸師も、水商売じゃん、って。
それも、おもしろい水商売だな、って。

なので自分が開業するというイメージは、
バンドがメジャーでレコードを出したりするのと
似ているな、と思ったりします。
自分のやりたい音楽、人が見て自分に合ってると思われる音楽、
その差、とか。
売れるということはどういうことか、ってこと。
だって普通の鍼灸師がキューピー先生に憧れたって、
キューピー先生にはなれないでしょ?

鍼灸も表現だと思っています。
肉体表現。
ので、
表現にはアートとエンターテインメントの問題が常につきまとうのです。
しかしアートとエンターテインメントは両立するのです。
技術が際立てば、それは娯楽としても通用するのです。
ここらへんは、落語、歌舞伎、能、文楽、バレエなどの
伝統芸能の名人の芸を観れば明らかなのです。

あーなんだか文章がとっちらかってきたわ。

なので、いまブログで熱くなっている話題には関心があります。
というのは、私は今年に開業を目論んでいるからです。

単純に言えば、
いろんな治療家、治療院を見学にどんどん行けばいいのです。
そしたら自分の好きなモノ、嫌いなモノがはっきりするのです。

鍼灸師としての、本屋さんの在り方は、
私の憧れのひとつでもあります。
かっこいいと思います。
でも私は師のようにはなれっこないので、
自分の在り方を探しています。

臨床一年生、若葉マークの意見です。しかし、私の場合、ちょっと「普通」ではないので
参考にならないかもしれませんが。

言いたかったのは、とにかく「独りで立つ」ということ。
そしてそれでも伝統医学ゆえ「依って立つとこ」も必要だということ。
キューピー先生以外の学校は抜きにして、学外で良き師匠に巡り会えたので、
今日の自分がいると思わざるを得ません。
「独りで立つ」のですが、けっして「独りで立っているわけではない」のです。
このアンビバレントをわかって欲しいな、と思います。
いまの仕事も局面、局面でいろんな師匠の姿を思い出しながらやっています。
いまの治療法はその師匠方のコピーなのです、恥ずかしながら。
自分のオリジナルなんてひとつもありません。
でもそれでいいと思っています。
毎日、こつこつ、それをやるのが大事だと痛感しています。
なんか偉そうだな。失礼。

本屋さんとは、三年の夏の講座を受けて、
そのあと地震で北海道へ見学へ行けなくなって飲み会に出て、
それが強烈な出会いになりました。天変地異に感謝です。(笑)

あと、某有名2世先生のことは否定はしているわけではないのです。
それもありだと思っていますが、自分は違うな、と。

掲載がまた波紋を呼ぶかも、ですが、
これも一つの意見だと思ってくれれば幸いです。
自分の発言には責任を持っていますし、
発言すれば敵に刺されるのも覚悟のうえです。
表現とは戦いだ!そういうことだと思っています。

以上で~す。

 冒頭に二通りの鍼灸師像として挙げられている最初の先生についてですが(某有名2世先生ではなく)、実は佐渡移住ク~ルヘア~様なのです(笑)。この話題に関して、お二人からメールを頂いた偶然にワタシ一人でニヤニヤしてしまいました。

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2007年2月10日 (土)

自分の頭で生きてゆこう by佐渡移住ク~ルヘア~様

 またまた。勝手に思うことを書いているブログに対するご意見を頂きました。成功鍼灸師のタイプは何も一つではありません。これも言いたかったのですが、なんせボキャブラリー&表現能力&アウトプット能力に欠けるので上手く表現できませんでした。勝手に拝借してみたいと思います(笑)。

 この方は本屋さんの大切なお友達のお一人で、東京暮らしを捨て大好きな佐渡に移住し、地元のコミュニティにも参画しながら、毎晩大好きな日本酒と佐渡で獲れる美味しいものを食べて人生を積極的に楽しんでいる鍼灸師です。お話もとっても面白く、一緒にお酒を飲める次の機会をずっと狙っています。そういえば『TAO鍼灸療法』でも連載を持ち、『新日本鍼灸楽会草紙』にも文章を寄せて下さってますね。早く佐渡に上陸せねばっ。以下転載です。

本日の熱血長編ブログ。 (←「自分の頭で考えよう」)
全国の学生さんに読んでもらいたいものです。

鍼灸師は世間的な成功をするか、
あるいは世間的な成功はしなくとも、
ちゃんと人を治せるようになれば、
存在価値のある生き方ができるかと思います。

また私の知人たちの中には、
自分は続けたくとも、
現状の収入と家族のことを考え転職した人たちもいますので、
できちゃった結婚するような人たちにはまず無理な商売でしょうね(笑)。

世間的には何の花もないのに、
もっとも困難な職種であることを、
学生さんは知ってて入学しているのかな。

もちろん実際は毎日が「お花畑」で仕事のできるすごく楽しい世界なのですが、
しかし、その花が見えんことには不幸なだけでしょうね。

 以上。

 ワタシは現在手ごろなお花畑で日々楽しんでおります。こんなに充実した毎日を送れるのも鍼灸師に必要な知識が生活全般に関わることだからだと思います。生活の中の動作、食べ物、考え方、生き方そのものが患者さんへ提供できるネタになります。ですから、毎日の中でどれもが勉強であって、無駄なものが何一つありません。

 ワタシが20歳から3年間お世話になった爺さんの話はこの前少し書きましたね。この爺さんはコンピューター室長だったのですが、世の中にコンピューターが出始めたのが40も半ばになった頃で、若者に交じって必死で勉強したそうです。しかし、コンピューターの世界は日進月歩、日々新しく変化します。70の爺さんは「ついていけないよぉ。ずっと知識が生きるもの、経験が積み重なっていくもの、年齢を重ねれば重ねることが生きる仕事はいいよ・・・」とこぼしていました。「またぼやいてる。ふ~ん、そんなものかなぁ」と聞き流していましたが、アロマに出会った瞬間に「こりゃいいぞ。女としての日常がぜ~んぶ仕事に生きるじゃないか。出産育児子育て、仕事のキャリアを邪魔するどころか全部がプラスにしかならないや」と、爺さんの轍は踏まない、ライフワーク獲得の雄叫びをひっそりあげたものです。

 そしてアロマショップで働き始め、「こりゃまずい」と思ったのです。単なる売り子に必死に不定愁訴を訴え、どうやったら解決できるかをすがるように聞いてくる人間の多いこと、多いこと。《アロマセラピスト》と横文字を謳っていると、治療者と誤解するのが一般人。アロマ=癒やしのイメージが先行していますから、不定愁訴の女性がはまりやすいのです。こちらはアロマ学校で得たとってつけ知識と雑誌で見るようなお手軽あるある知識を能弁に語り、アロマグッツを売りつけるのですが、それでもしょっちゅうやってくる。4年も経った頃、いい加減自分の薄っぺらい健康商法に嫌気がさし、「しっかり人間の身体について勉強して、ちゃんとしたことを言ってあげよう」と鍼灸学校へ入ることにしました。

 ワタシのアロマの先生は鍼灸あマ指の資格を持ち、人体の理解度が他とは雲泥の差だったので、「鍼灸学校へ行くとああなるんだ。勉強厳しいだろうなぁ」と、意気込み熱く、鼻息荒く入学しました。3年間の授業費+その他モロモロ費を用意して、集中して学生をやるため仕事は辞めました。バイトはしようと持っていたので、アロマの先生のアロママッサージ院でバイトをしたいとお願いしたところ、出産のため一時休業するとになったと。タイミングが合わなかった・・・。実はこれでアロマとはしばし縁が切れ、鍼灸一本になりました(笑)。

 与えられた勉強をこなすだけの1年が過ぎ、2年になって少し鍼灸業界の存在に気付いた頃、シュガイザー先生の講演(『新日本鍼灸楽会草紙』掲載)を聞いてしまったのです。ワタシは熱いの痛いのダメでしたので、シュガイザー先生が救世主のように見えました。自分の好きな鍼灸をやっていけばいいんだ、と発想の転換一歩目でした。その後、本屋さんの散鍼を体験し、「この人はこれが出来るようになるノウハウを持っている。こんなすごいことが自分にも出来るかもしれない・・・」と思い込んで六然社に潜り込んだりしたわけですが、本屋さんの「鍼だけ刺してて治るわけないじゃんねえ」という言葉の背景にあるものを模索しつつ今日に至るわけです。

 雇われ鍼灸師ではなく、自分の鍼灸を追い求める限り、常に裸で歩いているようなものです。「で、ちゃんとやれんの?」と、ファーストコンタクトから値踏みされ、「結果出してよ」と無言のプレッシャーをかけられます。こういう事を《甘くない》というのでしょうが、しかし、上手く乗り越えられたときの喜びは得がたいものです。自分を磨いて、どんどんできることが多くなっていく面白さもこの商売にはつきものですね。だから、経験豊富な鍼灸師は輝いている人間が多いのでしょう。チャレンジせずにはいられない職業です。でも何故か鍼灸学校の専制(?)達には背中のすすけた人が多いんです。

 本屋さんにくっついていると色んなチャンスが転がり込んでくるわけですが、その一つのチャレンジの模様を近いうち紹介します。

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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2007年2月 8日 (木)

自分の頭で考えるには by白忍者様

 じゃ~ん。好き勝手書いている(だから肌つやがいいと評判です:笑)このブログですが、こうやって予想外の反響が来るというのは大変ありがたいことです。皆様にもお福分け!!

 

初めて投稿します。白忍者ことシュガイザーです。
ネタを明かすと、「シュガイザー」はアニメ「テクノポリス21」に登場する 「ブレーダー」というキャラを元にデザインしたものです(特にメットの部分)。

患者さんとの関係について、参考までに、学校でしゃべっていることを要約しておきます。

不信:

患者さんは鍼灸に対して不信感を持っています。 すなわち、痛い+熱い=怖い、の足し算です。 根強い不信と、紹介者の信用とを比較・検討して 不信(患者)≦信用(紹介者)
となった方が、治療院に電話をかけて下さいます。

来院の予約を入れて下さるかどうかは、電話の応対にかかっています。

患者さん候補は、受話器越しに院長の人柄や実力、治療院の雰囲気などを事細かく察知しているのです。 もし、予約を入れて下さったら、とりあえず不信(患者)≦信用(治療者) 、紹介者から治療者に信用がバトンタッチしたことを意味します。

もし、「また電話します」などといって切られてしまったら、 二度と電話がかかってこないケースが圧倒的です。

すなわち、不信(患者)>信用(紹介者) となり、患者さん候補に「ダメだ、こりゃ!」のダメ出しをくらったということ。 それは同時に紹介して下さった方を裏切ったにもなるのです。

後述するように、やっと築けた大切な信頼を一つ失ったことをも意味する場合もあります。電話を通じて相手の耳に届く、声質・声量・テンポ・内容のどれかが悪いのです。内容(相手の理解=病状の理解)が不十分だとテンポが悪くなり、自信がないとトーンが下がり、声が小さくなるものです。大切なのは、電話越しに先回りして患者さん候補の置かれた状態を読めるかどうかです。電話では、治療者の実力が問題なのではなく、「何としても治そう」という意気込みの部分を感じて下さるのです。とはいえ、実力がないと全く話しになりませんが……

信用:

もし、来院の予約をして下さったら、電話越しにとりあえず信用していただけたことになります。 ただし、この信用は仮のもので、バックに紹介者の信用という保証書が付いていることをお忘れなく。
   

鍼灸未経験の方はまだしも、鍼灸トラウマ(以前の治療で、痛い+熱い=効かない)の方の場合は、よほど注意して施術しないと、鍼灸不信をダメ押しする結果となります。 患者さんの治療は、「施術前より悪化させないこと」を肝に銘じるべきでしょう。
   

ビフォーとアフターがドローなら、再診に応じて下さいますが、ビフォーが勝ちなら、ドロボーと一緒です。恥ずかしくて施術料などいただけません。 患者さんとしては、次の予約なんてする気になる訳がありません。 「一人の成功は一人の増加に繋がることもあるが、一人の失敗は十人の減少に繋がりかねない」、これも格言です。

信頼:

もし、劇的に効いたり、回数を追うごとに恢復していくならば、もはや紹介者の信用なしに、治療者への信用は次第に信頼へと昇華していきます。

信用(患者)≦信頼(治療者)
信頼とは、仲介者なしに、患者さんが治療者に心と体(魂までは知る由もありません)を任せきって、すっかり安心している状態です。 この段階になって初めて、家族なり、友人なり、同僚なり、何らかの苦痛を抱えている周囲の方々を紹介して下さるのです。「まあ、私を信用して、通ってみては?」と提案して下さるのです。

まがり間違っても、新患さんを紹介してくれた方には、 1回無料券発行とか、割引サービスとか、景品進呈とか、浅ましい営業努力はしないように!

不信から仮信用へ(1回勝負)、仮信用から信用へ(1回勝負)、信用から信頼へ(焦らず、弛まず、怠らず)、 このことさえ肝に銘じていれば、臨床家として一人立ちできない訳がありません。以上です。

う~ん。学校の教員をしながら、治療院経営を軌道に乗せている先生のアドバイスはなんて具体的で、示唆に富み、実践してみたくなる話なのでしょう。治療の合間に読んでいただいて、書いてくださったとのことです。白忍者先生に習っている学生は恵まれていますね。先生は1年生の一回目の授業で、本当に厳しいことをおっしゃいます。たまたま見学させて頂いたワタシはびっくりしました。その洗礼を受けて入学早々ブルーになる学生ばかりなんでしょうが(笑)。でも、ワタシの母校でもそれに近い洗礼はありました。4月はブルーでしたねぇ。ただ、ワタシの場合は「学校では限界があるから、自分で外へ動いて師匠を見つけろ」という内容でした。今思えば責任転嫁も甚だしいと思います。自分の職域に制限を最初から設定して、断言して、逃げ道を作っているようじゃ甘いでしょう。白忍者のように師匠につかず、自分の頭と手を開発しつづけ、治療院の合間を縫って教えに来ている鍼灸師が「ちゃんと取り組まないと何にもならないよ。しっかりやるか、道を変えるか。そして鍼灸を取り巻く現状は・・・」と、暗愚主義を徹底的に話しますから、勝手に膨らんでいた卒後の華やかな希望が一瞬にして消え去ります。厳しいけど、親切ですね(笑)。

実は他にも反響がありました。教員になる意義を考え直すきっかけになったと、専攻科に進んでいる方からでちた。皆さんも、思うことがあったらメールくださいね~。クレームも随時受け付けております。クレーム対応能力は顧客=患者を定着させる能力に直結しますので、キチンと対応させていただき、臨床に応用しようと思っています。

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2007年2月 7日 (水)

自分の頭で考えよう

 本屋さんの近くにいると、色んな事があります。キレイ事で繕わない、体裁を気にしない、問題点をぐぃ~っとえぐりだし、本質をズバッと鋭く突きつけるのが本屋さんの性分です。フリーライターを実はかなり手広くやっている(芸名は多数お持ち。ついでに記念写真はヤバい世界の大物から宮様まであるようでそれこそ治療院に貼り出せばスゴい誤解を生むのでは…:笑)、本屋さんの仕事を覗く度に、ジャーナリストとはこういうものかぁと分かってきました。ご本人は「鍼灸や~なりすと」と自虐的に称されています。

 さて、鋭い毒牙に当たった人々の反応は大体同じです。反論を直接やり取りする気は起こらないようで、大抵地下に潜って「陰口」を展開します。本屋さんのたっての希望であるディスカッションが実現しないことが多いのです。何故でしょう。(シュガイザー先生も悪口を言われるようになって本物とも言ってますが)

 例えば、講演をされる時などに出てくる鍼灸業界にまつわる裏話。初めて聞くと衝撃的です。特に従順な学生の方にとってはその傾向が強い。しかし、社会人経験を経てしっかり社会を見てきた学生さんは、ショックというより「ごもっとも」と相槌を打ちまくり、ファーストコンタクトにしてファンになってしまうことが多く見受けられます。

 先日の福岡講演の後日談として、某学校から電話が事務局に入ったことをブログにあえて載せてみまちた。「素晴らしかった!!」と興奮冷めやらない受講者が多いでしょうが(もっとも賞讃をそのまま真に受ける程本屋さんもお人好しではありませんけどね;笑)、毒のある話を聞きながら嫌な気持ちになった方はやはりおいででした。本屋さんも講演の中で、「ある人にとっては気分を害する話でもありますから」と前置きをされていましたね。実は事務局に電話が入った瞬間、ワタシはあの場におりました。事務局のレベル3氏の返答でどういう内容かを推察するのは容易であり、迷える学生のためを想って電話を掛けてきたというのは手に取るように分かった次第でございます。 

 「何も知らない学生に・・・」という先生の主張は、現代の甘い子育てに共通するように思えてならないのはワタシだけでせうか?育ちきらない大人がする子育てそっくりです。しかも学生は子供ではなく、20歳を超えたイイ大人です。自主性を育てるのに情報規制は要りません。「あのオジサン、色々変なこと言ってるね。自分の頭で考えよう」で良いではありませんか。

 ワタシが思うに、皆さんが鍼灸師を目指して資格を取ろうと思った瞬間に思い描いた姿は雇われ鍼灸師ではなく、開業鍼灸師だったのでは??だって、世の中の鍼灸院は殆ど一人で切り盛りしていますよね。その姿を見て鍼灸師になろうと思った人が殆どでしょう。脳裏に浮かんだのは一国一城の主の姿だったのですよ。たまに病院に入っている鍼灸師を思い描いた人もいるかもしれませんが、病院に入れる鍼灸師の数は限りに限られているのが現状で、よっぽど優秀か、よっぽど強いコネがあるかという一般には開いていない門戸です。因みに雇われ鍼灸師のメッカである整骨院の鍼灸師をスイッチマンと呼ぶのはご存知ですか?求人数は圧倒的ですがその反面、回転が良い、つまり「虚しくなって」辞めていく鍼灸師が後を絶たないので求人が絶えないというのもお忘れなく。

 「一国一城」を「一刻一畳」、つまり「ベット一台一時間で○○円」とちゃかしているのも本屋さんですが、ベット一台からスタートの開業したての鍼灸師や、出張でとりあえず始めた卒業したての新米鍼灸師が切実に思っていることは「どうやったら生計が立てられるか」だというのが、卒後1年目のワタシにはよ~く見えてきましたよ。現実が見えてきたと言い換えられますね。なんで卒業して大海原に出てみないと実感が沸かないのかと言えば、簡単です。学生だったときのフィールドは「学校」であって対象が「先生」に認められることだったのに対し、鍼灸師のフィールドは「世間、社会」であり、対象が「私以外の他者」にどう認められるかだからです。

 学生のときに世間を見せてくれる先生があまりいないんです。口では「現実は厳しいぞ」と言ったところで、具体的な細かい話がでてこない。まぁ、自分が世間に歩みださずに学校へ戻ってきているんだから、具体的な話は分からないんですね。漠然と不安感を煽るぐらいしかできない。学生の視線を自分の所で止めてしまって、その後ろに果てしなく続く世間を遮断してしまう壁とでもいいましょうか。安くないお金を払ってもらうには、何かを認められないと次ぎはございません。成功している鍼灸師を思い浮かべてください。抜きん出た人間というか、強いキャラを持ってませんか? キャラは一日にして成らず、また、誰かがお膳立てして作ってくれるものでもありません。自主性という自分の中にある柱から、知らず知らず自分で作り上げていった結果です。

 そもそも。鍼灸師は自分以外の全人類を顧客層に狙える恐るべき職業なのです。だから、「乞食か大名」に分かれる。認められれば顧客層は全人類。裁ききれないぐらい押し寄せます。が、誰にも認められなければ顧客がいないのですから収入源がありましぇん。裸一貫、自分自身が商品です。ですから鍼灸師は経営者でもあるのです。自分をマネージメントして世に売り出す、意識するともしなくとも、患者に売り込む側面が必要です。 

 これって、営業職にも匹敵します。経営者であり、敏腕営業マンのセンスも必要です。あぁ、大変になってきましたねぇ。他人から情報規制を受けて、自分の頭で考えない人間がやっていける職業だと思いますか?臨機応変、適宜切り抜ける能力、これを育てなくてどうするんですか、先生。それでなくてもマニュアルで育った人間の思考回路から逸脱する様々な出来事が日常的に繰り返されるわけですよ。なんてったて、全人類が顧客層ですから、65億分の1である自分の固定概念を超えるものなんか普通に出てきます。その都度上手く切り抜け、次につなげる能力こそが鍼灸師を続けられる原動力です。だったら頭を開発してあげなきゃ片手落ちです。「どう考えるか」の回路を沢山作り上げてあげなきゃ、臨機応変に対処できません。先生の得意なレールを敷いてその上を歩かせるのはのは簡単ですが、行き着く先はどこですか? 「後は個人の能力だ、健闘を祈る!じゃっ」では、本屋さんがよく例える「神風特攻隊」「学徒出陣」、行ったきりの片道切符と同じです。砂利道、ぬかるみ、コンクリート・・・色んな地面を捉えて歩くには一つのセオリーでは絶対に無理。だけど、一つのことから応用させる頭が出来ていれば、そこから無数に自分で生み出せるのです。これが能力であり、子育てでも大事なポイントだとワタシは本屋さんのやり方を見ていて思うのです。鍼灸師の資格を取らせる=国家試験をパスさせる、のが学校の一番の目的であるのは仕方ない。それは譲ります。だけど、職業に出来る、食べていける鍼灸師をを育てるのが先生の仕事じゃありませんか? 先生の実績はこの点で判断されるべきだと思います。カルチャーセンター気分なのは学生だけじゃないし、殆どの先生が「自分は就職担当じゃない」と、「食べていける鍼灸師養成プロジェクト」には関係ない風に仕事をこなしていませんか? 誰が責任を負うのか明確じゃないから、先生も曖昧にこなせるんでしょうね。就職先を用意しろと言ってるんじゃないですよ。自力で掴んでくるように仕向けるのも教育の方向性なんじゃないでしょうかぁ。

 その点、本屋さんは大変立派な教育者です。逆説的に言えばね。しかも、毒を除いてよくよく聞いてみると、「○○もありますが、△△もあります。この違いは・・・でとりあえず試してみたら」という風であったり、「××はおススメしませんが、こう捉えるなら価値があるかも」とかであって、「これだけやってやっていれば大丈夫(真意:オレの言う事だけを聞け!)」とは絶対に言いません。だから「俺についてこい」的なものを求める人にはもっともキビシい教育者かもしれません。突き放して「自分の足でちゃんと歩け」って言われるわけですからね。 

 もっとも本屋さんが「これを練習すると良いよ」と言った事を半年続けていた鍼灸学校の一年生が、(患者さんの皮膚を読むレベルには行かないものの)手の動きそのものは、ほぼ本屋さんが福岡の講演会でも70人にやってみせた散鍼の動きに近いものができるようになっているのをワタシは見ています。たった半年ですよ! 「学生の為」とかいうのでしたら、その位のスキルを学生に身につけさせてこそ初めて言えるものじゃないでしょうか? 少なくとも、口先だけでなくそういう風に身体を作る教育法を持っているのは、シュガイザー先生と本屋さん位しか今の鍼灸界にいない気がする・・・。 もちろん「動きが出来てからがスタート」だとは本屋さんも言ってますけどね。 

 なんとか会の会長とか何の肩書きも組織のバックもなく、腕だけで患者さんと一対一の勝負をして行くのが鍼灸師です。自分の業界ばかり見ていて、振り向いたら患者さんは待っていないという先生じゃねぇ、「何のノウハウを提供できるの?」と聞いてみたくなります。まぁ、どこかに所属していれば業界同士の横のつながりで多少は患者さんが来るでしょう。でもきっとたまにです。それよりも何よりも、患者さんが連れてくるのが一番多いでしょうし、それが一番確実に定着するのです。「この先生いいよ。是非行ってみなさいよ!」という太鼓判をもらって戸を叩いてくる患者さんは、それだけで治るモードに入っています。大船に乗った気になって来ます。同じ治療をしても、マインド的に勝算がぐっと上がるものです。そうやって、患者Aルート、患者Bルート、患者Cルートと、頼んでもいないのに増えていくものなんだと本屋さんを見ているとはっきり分かります。治療院を経営してきた経験もない、確実に使えるスキルを提供するノウハウもない先生って意外と多い気がします。サラリーマン鍼灸師と自分で経営をしている鍼灸師から出てくる思考回路は全然違います。場数を踏んだ対応能力が全然違う。これじゃ、卒業したらどう切り抜けていくかっていう、「自分の足で歩いていけ」教育が出来るわけがない。自分が避けて、やっていない道のりへの対処法を教えることなんて誰だって出来ません。

 毒気を撒き散らす本屋さんの本質の部分が見えてこない人が要所要所に現れ、ワタシはあごが外れてしまいそうです。ワタシが社会人になりたてだった20歳からの3年間、同じ職場の70を過ぎた爺さんが毎日毎日「人の本質を見なきゃダメだよ」と人生を切り抜ける5か条を教えてくれました。ついでに毎日毎日「顕微鏡のレンズがどう作られるか」「焼き芋の美味しい作り方」「少年時代の思い出」「ヒステリックな奥さんの愚痴」等、繰り返された話題は沢山あります。当時は「本質」という言葉を漠然と受け取っていましたが、なんとなく頭にこびりついたこの言葉の意味が、六然社にいるとよく見えてくるのです。 

 鍼灸師という職業を選ぶなら、まぁとにかく、患者さんを納得させらるモノを持っていないと続きませんね。それが何で有っても結構ですが惹き付ける何かがなければ絶対に紹介しようなんて思われません。しかも、鍼灸師は「先生」という職業ですから、まず、他人から見える(認めずにいられない何かを持った)存在感が確立していない顔なし君では土俵に上がれません。やっぱり自己主張ができないとダメなのです(※他人との協調性がないのを自己主張とはいいません)。業界の裏でもなんでも見せてあげて、ありとあらゆる情報の中から自分で取捨選択して行動させる自主性を育ててくれる先生は普通学校にはいません。なので学生の皆さん、しょうがないから、自分の頭で考えて、自分で自分を育ててください。

 鍼灸学校の先生方は胸に手を当てて考えてみて下さい。ご自分の同級生達の何人が「開業して成功」していますか? 他人に教えられる程臨床経験がおありですか?  開業して世の中と向き合って勝負してみた事がありますか? 学生なんて弱いもんで特殊な人を覗けば(笑)先生の言う事を聞くしかないんです。  現実に気がついて随分遅すぎたスタートを切るのが殆どです。  シュガイザー先生は、のべ約1万人(正確には9600人代だったように記憶しています)の患者さんを診てから開業したそうです。 本屋さんも嘗てお寺でのボランティアで数千人を診ていたようですし、最近またそれを復活する事になり(理由があるのですけど秘密)、でワタシも邪魔にならない程度に付き合わせて頂くことにしました。 ニコイチは、鍼灸界の暗愚主義にはひたすら攻撃的ですが、鍼灸治療を受ける庶民への施術にはサービス精神満載です。 福岡で「患者様」と呼ぶ事への批判話を聞いても、その精神から学ぶものは沢山あると思うのですけどねぇ?保身ばっかりで嫌だわぁ。  

 

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2007年1月17日 (水)

新年会

 先日、六然社で新年会が行われました。本屋さんの本格料理と本屋さん所蔵のお酒達をたっぷり頂きました(笑)。本屋さんの元へは日本中からお酒が届き、ご家庭内での消費量が追いつかないそうです。ですので、今回の新年会はお酒のお持込厳禁(笑)というお達しが出ました。目的通り、11本減ったので本屋さんは満足されていました。まだまだ有ったんですけどね(笑)。

 この日の手料理は本屋さんが2日前から仕込んだものが並びました。シュウマイ、小龍包、東坡肉(トンポウロウ)、大根と卵の煮物、奥様差し入れの機械で切ったのかと見まがうほどに見事なボリュームたっぷり千切りサラダ、他築地の卵焼き、佐渡から送られてきたイカの一夜干、海老の丸焼きぃ・・・、この他にも美味しい差し入れが相次ぎましたが、ここではご紹介し切れませ~ん。あぁ、食べ過ぎたぁ。

 さて。せっかくなので飲み干したお酒達をご紹介しましょう(笑)。

NO.1 水酛仕込み 濁酒 生 醸造元:(株)大倉本家  原料米:自家栽培こしひかり  精米歩合:75%   感想:この製法は全国広しと言えども、こんんあに古典的な蔵元は殆どないそうです。「飲むというより、食べる感覚」と書いてありますが、確かに前回頂いた時は最後の方をスプーンですくって食べていました(笑)。程良い酸味が有っておいしゅうございます。

NO.2  Lacrima Baccus CAVA  スペイン産 スパークリングワイン  感想:本屋さんが「まぁ、とりあえず一杯」的にご用意くださった模様です。CAVAは気の利いたコンビにでも最近は売っておりますね。

NO.3  月山山麗 とらやの ほいりげ 製法:しぼりたて濁りワイン 感想:こりゃぁ、毎年この季節が楽しみになるお品です。ワタシ的にはこれで3シーズン目の恩恵でございますが、毎年新しい喜びです(笑)。白の他にロゼもあります。今シーズンはかなりご相伴に与れてシアワセでした。本屋さんのお宅では毎年必須アイテムだそうです。

NO.4 純米大吟醸 天恵楽 醸造元:(株)よしかわ杜氏の郷  原料米:吉川産 山田錦(100%)  精米歩合:40%  感想:うま~い。さっぱりしすぎないのもまた美味しいものです。甘すぎず、辛すぎず~。昔のお相撲さんは肌がきれいだったのは日本酒を飲んでいたからだ、という話を聞いたことがあります。それが根底にあるのか分かりませんが、ワタシの身体には日本酒が合うと信じて已みませんっ。まぁ、飲んでいて冷えないのが一番好きな点でありますが。

NO.5 来福 純米吟醸生原酒 愛山 蔵元:来福酒造(株)  原料米:兵庫産 愛山  精米歩合:麹50% 掛50%  酵母:9号系  感想:「袋しぼり」と書いてあります。味の記憶が定かではありません・・・。ナンデだろう。

NO.6 純米吟醸原酒 土佐宇宙酒 亀泉  原料米:風鳴子  精米歩合:55%  感想:これは高知県の主力商品だそう(な~んて)。なんと宇宙を旅した酵母AA-41で作られていて、ボトルも蓋も全て宇宙にちなんで深いブルーである(笑)。やるなぁ、高知県。実はこれも味を覚えていない(笑)。きっと、日本手酌の会(会長はM柳先生だと房中博士が言っていた)の新規メンバーが増殖していたので、その辺りで消費された模様です。

NO.7 七七七  醸造元:三浦義夫  原材料:低グルテリン米「春陽」100%  精米歩合:77.7% ・ 掛米77.7%  感想:「あいつ分かってるよなぁ~」と、このギャグのセンスをいたく評価していた本屋さんです(笑)。う~む、本屋さんを唸らせるのは大変だ。

NO.8 生酛本醸造 熟成生原酒 大七 醸造元:大七酒造(株)  原材料:米、米麹、醸造アルコール  精米歩合:69%(扁平精米)  感想:これも覚えていない。誰かのせいにするより、そろそろ記憶が曖昧になった頃だと認めよう・・・。こんな奴に飲まれるお酒もかわいそうだ。

NO.9 柿ワイン 醸造元:沢田ワイン(株)  感想:これは手酌の会付近で、デザート代わりに消費されていた甘口ワインだす。

NO.10 CASTANO MONASTRRELL スペイン産 カスターニョ モナストレル  感想:飲んだのかなぁ~。全然分かんない。

他にもう一本のワインで、11本が空になりました。パチパチ。

で、居残り組みがチビチビやっていたのが

本格焼酎 古代一壷 醸造元:六調子酒造(株)、本格焼酎 陶眠 中々 醸造元:(株)黒木本店、紹興酒、ガウ オーデルンハイマー アイスヴァイン ロゼ 2005 ってのでありました。紹興酒は飲まなかったのかも。トンポウロウに入れてたのかな。

 ワタシの不確かな記憶ばかりで終わるのもなんですから、出席者の方々からの感想をご紹介しましょう。

本屋さんの「料理」な一面を知り、ますます何者なんだ(笑)と思いました。何をやっても一流なんですかね。苦手とかないのかな。

言葉を交わしたことがあるのはトレジャーさん(多賀フォーの帰りの新幹線で一緒だった)だけで、ほぼ初対面の先生ばかりでしたがしたが、みなさん良い方(良いお顔)でおいしいお酒がさらにおいしく飲めました。 本屋さんの料理の腕前は「きっとすんごい上手なんだろうなあ」と予想はしてましたが、上手というだけでない、日前から仕込んだりという手間の掛け方がさすがで、予想のはるか上をいくものでした。 朝帰りになるとは思っていなかったのですが、本屋さんのお話と貴重本のお披露目は「今しか聞けない!今しか見れない!」とついつい欲張りになってしまいました。 貧乏性の長っ尻はイケマセンねぇ。これは反省です。 先生は本当にサービス精神が無尽蔵だなあと、嘆息が出てしまいます。しかし、それに甘えすぎては駄目ですね。

「ワタシ、本当にここにいていいのかしら…」と、最初はおどおどとしておりましたが、見たことのないような珍しくって美味しいお酒と、ご馳走を遠慮なくいただいているうちに、リラックスしてまいりました。最初の生酒からはじまって、どのお酒もとっても美味しかったです。 また、後で無理やりにサインをいただいてしまった房中博士や、ほかの皆様と、 鍼のこと、からだのこと、いろいろとお話をすることができて本当に楽しいひとときでした。 房中における女子三つの心得、其ノ一を正座して聞いたところで、お話がちがう 方向に行ってしまいましたので、またいずれ、そのつづきは是非ともうかがいたいと 存じます。(…房中講義がもしおこなわれるなら、速攻申し込みます。) 本屋さんの作られたお料理をいただいて、「やっぱり《細部》まで行き届いている…」と衝撃を受けたり、(なんでもお出来になる方だと存じておりましたが、あの複雑で滋味あふれるお味はいったい…。あんなに歴然と「美味しい」って凄い…。) ローズさんに巨鍼(はじめて見ました。)の鍼先を見せていただいて、オートクレープで滅菌するところを眺めたり、彼女の巨鍼箱に感心していたら、本屋さんがどきりとする一言を。「センスがない奴は鍼灸師になれないんだよ。」その他にも、小さいネタを挙げたら拾いきれないくらい、色々な事をみて、 きかせていただき、興奮であたまがぐるぐるしながらも、極上のお酒でとても良い気分のまま(もちろん無事に)帰宅することができました。 昨夜、あの時間に、あの空間にいることができて、とってもうれしかったです。

お料理、お酒、お話、来た方々。あまりに、どれもこれもレベルが高く、この会に呼んでいただいた以上、これは今後相当がんばらないと・・・と(勝手に)思った次第です。

 最後に。本屋さんが参加者の皆様に送ったお礼文を一部拝借して新年のご挨拶と代えさせて頂きます!(年末からこの方式で、他人の文章横取り作戦です:笑)

この所、適当におだてられて人前で偉そうに喋っていたりしますが、本来こっそり自分だけ良けりゃあ良いと思って生きてるクチなので、何時引きこもりになるか分かりませんが、シュガイザー先生が頑張っている限り鍼灸界とは関わり続けようとは思っています。とはいえ、既存の多くの団体やお偉いさん達の不甲斐なさにも黙っていられるタチではないので、相変わらず「あんなやつと付き合っていると危ない」と言われ続ける存在になると思いますが、皆様が各々の立てる場所でひとりでしっかり立っていて下さればそれが世の中を変えることになるのだと思いますし、そうやって一人でしっかり立っている人達と、たまには一献傾けたい、…なあんて思っていたりするのでした。

 はぁ。至れり尽くせりの新年会でした。本屋さん、一人で何から何までご苦労様でした!!お料理も料理人を目指しただけあって本当にお上手です。参加者の声から察するに、皆さん度肝を抜かれた模様です(笑)。しかし、宴の後にはビンの山が・・・。ビンの回収日が待ち遠しかったこと(笑)。ごっそりと鎮座するビンの山に、患者さん達は「どんだけ飲むんだこの先生」と思われたに違いない(笑)。しかし、本屋さんは決して呑み助ではありません。念のため。

★★★なお、六然社の本は、 こちらの書店ウェブサイトや こちらのウェブサイトから購入出来ます★★★

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