新年の抱負
明けましておめでとうございます!
今年のお正月は天気も良く新年の幕開けにふさわしい穏やかな日々でございました。頂いた年賀状、メールには共通して「新しい世界との出会いをありがとう」というニュアンスがございました。和方鍼灸友の会&六然社の勉強会、講習会を通して色んな出会いの場を提供できていたのかと改めて気づきましたです。ついつい目線は自分中心ですので(笑)、人間関係や技術、知識等、自分にとって得る物が多かったという点で大満足していたんですが、参加された方々もそれぞれに世界を広げてくださっていたようで、「もしかしてもっとやるべき?期待されている??」と鼻息を荒くしております(笑)。
正月のダラダラモードのまま、溜まりに溜まった資料を整理しながら「講師はこの方で次ぎはコレを解説してもらいたいなぁ~」、という企画ががドンドン沸いてきました。ま、殆ど本屋さんネタなんですけどね。あんまり働かせるのも悪いしなぁ~、と思いつつ、ワタシが知りたいことは皆も知りたいかもしれないし(多分そうに違いないっ)、一人に話すのも、二人に話すのも、もうちょっと増えたって(・・・で30人越えが毎回)構わないんじゃないだろうかと様子を伺っています。例えば、手相・顔相・姓名判断入門編、職養道、身体作りの発展系で介護のノウハウ。それから、YT式一発療法を少人数指導とかも。ま、これはワタシの頭の中の話なので実現はまだ先です。ただ、2月17日から始めて貰えるできるだけ毎月第三日曜の講座では、「経絡経穴学再び」と「身体作り」がありますのでこの中にもしかしたら上記の話が突然出てくるかもしれません。もしくは、開催時間の前の午前中にプレ講座を余力があれば開ける時があるかもしれませんし、兎に角、場所と本屋さんの時間を押さえる事に成功したので、色々と発展できると踏んでいます。ご期待下さい!
この2月17日の講座をご希望の方はお早めにご連絡下さい。実は12月23日の講座の際にプリントを配布しまして、その方々からのお申し込みが相次いでおります。なので定員まであと一桁のお席となっております。いつものアドレスにメールを下さった方には詳細をお送りしますね。
さて、年末に今年最後のプレゼントというような言葉を貰った、と書きました。それからすぐに年が明けて予想外のお年玉がまた!! たった一週間の間に2度もお会いできる事なんて滅多にない上(奇跡の一週間と名付けました)、実は実技指導も頂いておりました。
あぁ、六然社にいて良かった。本屋さんが「先生」という代名詞を使って、ある人物を特定させるのはこの方のみのわけですが、ワタシなんかが同じ人間という種族に属していいのだろうか・・・と本屋さんにも感じる畏敬の念を更に上回ったレベルで感じずにはいられない御方です。本屋さんが(危険を冒して)ワタシに「先生」に触らせてくれたのでした。本屋さんがやるのとワタシがやるのと何所が違うのか先生が身を以て体験して表現してくれたのですが、ものすごい貴重なアドバイスをいろいろと頂きました。この方は治療家ではありません、念のため。ただ、人間の特性を熟知されているので、「治療家でないのにどうして分かるのか?」、「力をこのルートに通せばいい」というような素人的には不思議でならないアドバイスが、「簡単簡単」という感じでポンポン出ます。それと共に「技術を教える」、ということのノウハウも持っていらっしゃる方です。
ちょっと横道にそれますが、鍼灸学校での3年間では、身体の見方(患者さんの)、身体の使い方(治療家の)という視点はほぼゼロに等しい所で、《治療行為》を習っていきます。約一名、身体の見方を教えてくれた先生がいましたが、看板である《経絡治療》に遠慮して2コマぐらいで終わりました(涙)。単に紹介でした・・・。この視点の欠落の大きさに、ワタシは卒後年々怒りにも似た感情を抱き始めるわけですが(笑)、この視点無くして病態を改善するのは至難の業だと今では断言できます。例えば、ゴルゴ36先生のベースにも整体的要素が根付いているのが垣間見られますし、鴻仁先生もシュガイザーのポーズを美しく見せる為に習われていたいくつかの武術の流れが、患者さんが施術を受ける時に何気なく取らせる姿勢の持って行き方に要所要所見られます。現在無資格治療家の王道をひた進む(そろそろ有資格者;笑)の〇っちゃんの治療と「僕のベースは活法だから」という本屋さんの治療は、まさにソレの連続。まだ見た事はないけれど、察するに佐渡のクールヘアー先生も合気道や空手の上に治療を置かれているはず。とまぁ、身体の使い方を自分の身を以って知っているかどうかが治療に大きく関わります。
鍼灸学校でこの視点の欠落がどうして平然と行われているか、ワタシなりに考えて見まぴた。
色んな先生を思い出すに、作為的に教えないわけではないんだと思います。要は気付いていないんだと思います。また、気付いていてもそれは大人になってから自分で試行錯誤して自分の身体を見つめてきた自分史になっています。そして、決定的なことを言ってしまえば「母校の設立者達の身体と現代人の我々の身体がもう全く違うんだ」と。簡単に言ってしまえばそうなんです。あの頃の日本人が普通に持っていた身体能力、身体感が今の日本人にないんです。敗戦後、押し付けられた(というより大多数の日本人が望んだ)西洋化で失われてしまったんですね。戦前の日本人が日常所作の中で付けていた筋肉とそれが通る力のルート(どうもこれが奇経の一部らしい)は、もはやワタシにはほぼ無いです。トイレだって和式で済ませるのは苦痛に思える軟弱ぶりです。あの頃の鍼灸師が意識も全くせずにやっていた身体の使い方、身体の見方が現在には受け継がれていないから、そこがミッシングリングになってしまったんでしょうね。先人にとっては言葉に出して共通認識させるレベルの事ではなかったから、却って残らなかった。あの時誰が、こんなに身体を使わなくなるなんて予想できたでございましょうか。便利な世の中を望んで、そればかりを追った結果が身体の退化。機械は進化したけれど、人間は退化しました。能力としては格段に落ちてしまったのが現代人っつうことです。《身体》が不在のまま、治療体系だけが引き継がれてしまったのが鍼灸学校の現状の一端でしょう。そこに気づいている先生がどれぐらいいらっしゃるか。ワタシの経験上、専任の先生方には居ませんでした。で、臨床家の先生方にはチラホラいらっしゃって学生にもその大切さを説いていらっしゃいましたが(そのうちの一人は本屋さんの言葉を受け売りしている事がその後判明;笑)、その知識&身体のレベルが個人的な域(自分で思いついた感じ)を出ていなかった。伝統として引き継いでる身体を持っている方は学校ではお会いできなかったわけです。
では、伝統的な身体とは一体どういう物か。これは本屋さんに会うまでは全く知らなかった世界です。脈々と続いてきた武術の中に残っている身体って、スポーツの類で鍛えたものとは随分違うんですね。本当に新鮮で驚いたものです。この伝統的な身体というのは実際に目にしないと伝わらないかもしれませんが一応。身体は誰もが持っている物だからそれとの違いをね。
例えば、鍼灸師で太極拳をやられている方は多いと思いますが、殆どが気功とセットのここ30年ぐらいで作られた物でしょう。文化大革命以前の物ではなく、新政府が新しく作り上げた《中国四千年の秘儀》的外国への一種のプロモーション用。これとは違う太極拳を見た事がない方の方が実は多いんじゃないかなぁ。ワタシも本屋さん経由で実際の拳法である太極拳を拝見させてもらうまでは、主婦が取り組む健康体操の一環というイメージで捉えていました。が、とある太極拳士の演武を見てびっくり。「ビュンビュン言ってるよ。怖ぇ~」と立派な武術だったのを目の当たりにしました(笑)。「どうしてこう動かすのか」という足の出し方、腕のもって行き方一つをとっても意味が含まれているそうです(しかし、この業界でもそういった類の事は失伝しつつあるようです)。健康体操太極拳のように、「出来るだけ大きく~」とか、「こういうポーズで!」という次元ではなく、人間を倒すこと、逆に倒されずにいることを念頭においての武術ですから、ギリギリの所で磨かれてきた動きが型の中に集約されているんだそうです。武術の太極拳をやっている方の身体は独特の基礎練習を積み重ねる事で、数百年に渡る身体開発法のノウハウを身体に浸透させて、練り上げた身体へ変化するのです。ここに《伝統的な身体》が出来上がる過程を見つける事が出来ませんか? こういったノウハウが伝統的な物には分野を問わずにきっとあるはずで、ここに歴史が垣間見れるんです。ワタシとしてはね。
師匠の師匠、そのまた師匠を追える程の歴史があるノウハウは個人的なレベルで突如開眼した身体とは違うんです。この違いを言えるまでに5年掛かりました(笑)。ワタシの分類では以上のような2通りが《身体を意識している人々》にはあります。そして、得てして《一代にして突如開眼系》の方が一般的に世に出ているので広く認識されており、《真髄系》伝統的な物は地下に潜ってひっそりと続けているようです。本屋さんの師匠も、本屋さんの「○○書房(某有名出版社)で本書きませんか?」との提案に「却下」の一言でした。「時代が必要としてない(理解出来ない)」であろうという判断のようです。メジャーになれば衰退の一途が待ち受けているでしょうから、こっそりひっそりと脈脈と(昔ながらの方法で)続けるというのが継承して行く物には大切な要素なのかもしれません。
本屋さんが「伝統は(そして技術は)身体を通して伝わるものだ」と散々おっしゃっていますが、そういう事なんです。受け皿の身体が出来ていない事には、伝統的な技は再現できない。治療において伝統的とこだわらなくてもいいですが、効果を上げるためにはやはり身体が出来ていないと難しい・・・とワタシは本屋さんの真似事をしながら痛感しております。ここを避けてはステップアップがないんじゃないか、と思う新年の抱負でありました。治療は人が身体を使って人へ施すわけですからね。テレパシーやイニシエーションで「エイッ」ていうわけにいかないですから。自分の身体をどう使えるか、それをすれば逆に人間の身体の動かし方が分かってくるんじゃないかと、「先生」のお話と実技指導を通して思ったわけです。
そうそう。「先生」からそろそろ悪い物も見た方がいいと言われました。いつも良い物ばかりに接していると、何が良いのか輪郭がぼけるからとのことでした。その違いを言語化して説明できるくらいに明確にした時に良い物が浮き彫りになってさらに意識できるよとのお言葉でしたので、どこかで悪い物を見たらブログにしっかり書いて違いを明瞭化しようと思います(笑)。
さてさて、2月からの身体作りを励みに、皆さん一緒に頑張りましょう!
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